2008年1月31日

鍋焼きうどん

志賀高原横手山中腹「山本荘」と言う
 昔風ロッジがあって、初めてPapa John
   連れて行ってもらった時から、昼飯必ず此処
「鍋焼きうどん」
食べるのが決まりです !

出来上がるまで長い1時間待ちます!?〜♪~♫
 その間ビールワイン飲めない人子供
 「ヤマブドウ・ジュース」やそれに
   アイスクリームをのせたりして、したづつみをうっています
 僕達は スキー靴脱いで、 のんびり待っています。

テーブルには自由食べられる、
「竹の子・梅干し・のびる・ふきのとう」などの
   山菜漬け物置いてあります。
甘酢漬け「ふきのとう」は絶品がすすみます
 何十年通っていて、今年初めて食べた、
 「さくらんぼ」甘酢漬けは不思議な味でした。

天気良いイスに腰掛け、出来上がるまで
      至極日光浴をして待っています。

鍋焼きうどん出来上がりました
 さあ!食べようとすると、友人「鍋奉行」
 「まだ、まだ!」ふた開けるのを静止します。
「卵が半熟になってからね!」「お酒!もう一杯!」

十種類近くの「きのこ」!
 皆「これは何茸だ?これは見たこと無い!」
  と会話弾みます。また、味付けした「牛肉」だと思うのですが、
  山のこと「いのしし」かなと思ったり。

美味しくいつも感動します 山菜たっぷり入って、
  半熟卵絡んだ「うどん」がたまりません。

横手山標高2300m頂上からの景色抜群で、
 今年大好き「六姫」一人「妙高山」が見えました。
  晴れた日には、渋峠からは「富士山」小さく見えます

条件揃うと、雲の上出て雲海のように
 浮かぶ山々景色には感動を覚えます。

天気良さそうなを選んで行くのですが、
 吹雪くと「地獄の寒さ」襲いかかってきます。

それでも横手山に行ってしまうのは、
「山本荘」へ行って「鍋焼きうどん」食べたいからです。

2008年1月30日

根岸家

最近若者観光で訪れた方から「メリーさん」
「根岸家」のことを良く聞かれます。

John Johnをはじめて、1972年から76年の間、
「根岸家」斜め前公団アパートに暮らしていて、
ニューヨークに今もある、ジャニス・ジョップリンなど、
多くのミュージシャン・アーチストが住んでいた
「チェルシー・ホテル」を気取って、
  「若葉町マンション」と呼んでいました。

以前書いた「デパート・赤灯台」の直ぐ横に
「根岸家」
はあり、 たまに友人達夜中に、
 古いたたずまいの石畳を歩き中に入ると
   いつも「別世界」展開されていました。?♪〜!

食べ物は、和食・中華・洋食となんでも在り、
   チープバンド演奏も時折あり、
酔いどれオンパレード
 マドラスさん(下級外国船員)  
  カツラがとれたオカマやくざ風人種
    飛ばし激論する学生
    お揃いステージ衣装の
バンドマン
 酔っぱらい同士のつまらない喧嘩
   酔いつぶれてあちこちで寝ている

お隣「ニュー・テアトル」映画館
 John Johnにも出していた、
  片腕無い紳士帽「ボルサリーノ」をかぶり
   革靴柄ものスーツ子分を連れて、
 肩で風を切りながら、 「よぉ!」と声を掛けてくれる、
   怪しいオッサン

いろいろ噂話は聞きましたが、 最後まで、
 失ったいきさつは聞けませんでした。

「何でもあり」世界で、店員さんには「注文」
  以外は「何事も起っていない」世界です。
   「無視」とは違う世界だったような?
     全て「受け入れ」世界だったのかな? 

最後火事無くなりましたが、
 これも不思議怪しい噂事件でした。

たまにJohn Johnでのインターナショナル喧噪
  ミニ「根岸家」想うことがあります。

スキー2

ハイカラPapa JohnMama Johnに 歩けない頃から
志賀高原野沢温泉などの スキー場に連れて行ってもらっていました。

覚えているのは、トップヘソ出っ張りがある
ヒッコリーカンダハーと呼ばれるビンディング
ヒモで結ぶ革製のスキー靴安全装置無し革ひも
くくり付けるものでした。

面白かったのは、アザラシの皮で、オモチャ代わりにしていましたが、
リフトなど殆どかった当時、それを板の滑走面に取り付けて
ってはったり、
毛並み利用していたのだとになって判りました。

Papa Johnや友人達は、良く志賀から草津ツアーしてたっけ!

2008年1月23日

スキー

山は白銀〜朝日を浴び〜て ♫
す〜べる〜スキーの ♪

風切る早さ〜〜 ♬ いえ〜ぃ!♪♬

行ってきました!志賀高原!2年ぶりのスキーです。
初日はラッキー連続が続き浮かれ通し!
4日間晴れたのも珍しいことで、
何処へ行っても自然美しさ雄大さ堪能
        満足!満足!

昨年30年近く利用させて頂いていたホテル閉館
「冬の別荘」が無く成った僕たちは途方に暮れて、
オロオロしている内に雪は無く成りました。

今回もスキーが好きで、30代の頃は毎週のように
泊まる処が決まっていない時は、
知り合いのステイしてるホテルに仲間入りしたり
車で野宿したりもしていた友人
最低二人でもと決心!
新しくゴンドラみつまたまで繋がった苗場か?
温泉のある万座か? オロオロ!ドキドキ?

そんなこんなで、以前から良く志賀へ行っていた、
御得意様Sちゃんに素敵「志賀の湯ホテル」
紹介していただき、アットホーム対応
食べきれないほどの食事
御一行様6名(内・シニア5名)大満足!
      ベース基地決定!

最近、良く来てくれる若者 T君、H君
色々なプランを考えてくれ、ありがとう!

2008年1月22日

皆様の募金

昨年(2007)年皆様から頂いた募金や、
「つりはいらないよ!」などと
ホットドッグを買って頂いた方からのお金は、
合計15,562円外国貨幣少々在りました。

林達雄さんの所属する
「アフリカ日本協議会」
石田周一さんの所属する
「地域作業所 グリーン 後援会」
8,000円づつ、送金させていただきました、
募金協力して頂いた皆様
ありがとうごさいました!

2008年1月16日

デパート赤灯台

昭和20年代伊勢佐木町通りには真ん中車道で、
歩道の上にはアーケイドと呼ばれた屋根が連なっていました。

「松坂屋」が「野沢屋」「松屋」と言う
老舗呉服屋デパートになっており、
現在「不二家」米軍「将校クラブ」
日本人入れませんでした。

二丁目「ローソン」あたりに「不二家」が在って、
ソフトクリーム
食べさせてもらうのが楽しみでした。

スーベニアショップと呼ぶ
外人観光客向けのお土産屋多数在り、
日本人なら絶対着ない!
派手絹製の服や、扇子・刀・掛け軸などなど、
まがい物ぽい商品もならんでいました。

三丁目には、現在「ユニー」「赤灯台」
愛称で呼ばれた「まつきや」が在って、
屋上遊園地があり、
愛称である「赤灯台」立っていて、
乗れる飛行機4台廻っており
乗っていて伊勢佐木町
真上出る時は
少し怖かったのを覚えています。

確か此処のエスカレータ野沢屋松屋より
早かったような気がします。

2008年1月13日

昔の野毛商店街

東京オリンピック開催前までは、吉田町から都橋を渡って野毛山に向かう
野毛商店街には、歩道の道路側にどちらも常設の露天が在り、
印鑑・眼鏡・万年筆・時計・服飾品・占いなどの店がぎっちり商売していました。

桜木町に向かう大きな交差点には「傷痍軍人」と呼ばれる
戦争体の一部無くした人達が、まるで「死に装束」の様な格好で
アコーディオン・バイオリンなどで悲しげな曲や軍歌を演奏し募金を募っていて。子供心怖くて近寄れなかったものです。
救世軍
と呼ばれたキリスト教系のアメリカの南北戦争当時風の服装をして、
大きな募金用のの横で、やはり楽器を演奏していましたが、傷痍軍人達とははちょっと離れた場所に追いやられていた様な印象がありました。

2008年1月11日

ギブ・ミー・チョコレート

 吉田町「○○カメラ」の裏を15メートル程歩くと運河ハシケ
「ちょいの間」の在る船など係留され、
その他様々な船が行き来していました

家族生活していた人達も多く、
その子弟専用の学校が在ったのを記憶しています。

また浮浪児が沢山居て米軍ジープなどに
「ギブ・ミー・チョコレート!」と叫び群がりました。

ある日ジープに近づかない僕を見て可哀想に想ったのでしょう、
優しい目をしたアメリカ兵ガムチョコレートを投げてくれましたが、
それは手を出さない僕の足下に暫くあった後、誰かが持っていたのでしょう。

当時はパンパンと呼ばれた売春婦たちは、
お金と同様にストッキング食料などと交換に
仕事をしていたみたいです。

2008年1月10日

横濱芸術のれん街

Bank ART主催の,食と現代美術 part4 「食堂ビル1929」の関連のイベント

『横濱芸術のれん街 Ⅱ』作家商店のコラボレーションで
100以上の店舗で開催されており、John Johnでは
井上尚子さんのオレンジがテーマの映像を店内で映写しています。

本当にオレンジに圧倒させられる映像です!
いつももどおり音楽お酒コーヒーホットドッグと同時にお楽しみください。

「食堂ビル1929」を鑑賞した方には
800円の入場券に、協賛各店舗200円の割引券三枚も付いているので、
アートと併せて横浜散策を楽しむことができます。

勿論John Johnでも使えます!期間は2008年1月11日〜29日です。

2008年1月 9日

吉田橋

桜木町駅から石川町駅へ向かう道路は昔は運河で、
伊勢佐木町馬車道を結ぶ「吉田橋」が在りました。

伊勢佐木町側には貸しボート屋
アベック子供連れ相手に営業していて、
馬車道側には主に外国人芸者さんに利用されていた
人力車の溜り場となっており、
の上両側の歩道には多くの乞食空き缶を前に座っていました。

カメラを持った人が外国人観光客相手の
商売記念写真を撮らせろとしつこく勧誘していたものです。

の周りには専用の台も在って靴磨きをしている人もいました。

馬車道に向かう左側には「天津甘栗」
右側にはキャバレー「オリンピック」があり、
道路の中央は緑地帯電信柱程の高さの「トーテムポール」
が立っていて、市電道りを越えた
馬車道の入り口左側に「○○カメラ馬車道店」があり
三男の叔父さんは昭和30年代に此処で「珈琲屋」を始めました。

2008年1月 4日

今年の顔

 

新年お目出度うございます。
楽しい年であります様に!

元旦John John名物紙岡啓介君の
「超大型油絵年賀状」
を送って頂きました。

今年主人公三大ギターリスト一人
なお前進し続けるギター小僧
「ジェフ・ベック」
テレキャスター奏でている姿は紙岡君の
作風技術進歩がありありと感じさせられます。
毎年本当に有り難うございます!

皆様も是非、お店にいらして御鑑賞なくださいませ。

P.S. ホーム・ページ新表紙の二段目、
店内写真右側に掛かっている、
キラビやかグレッチのギターは紙岡君が
「爆音ライブ」で使用したものです。                     Love & Peace 2008