2008年3月31日

日本海と鵜

(ヒッチハイク・シリーズ)

元気を取り戻し「日本海」へ向けヒッチハイク再開です。
を乗り継ぎ、新潟柏崎辺で夕方になり、海岸焚火自炊
砂浜寝袋で眠りに入ると、夜中波打ち際の方から、
ザザァ〜ンというの音に混じり「赤ちゃん」鳴き声が聞こえて
きました?

心配なのと不気味さで、友人こし様子を見に行くと、片翼
だらりと下げた、「鵜」しそうに鳴き声をあげていたのです。
日本海「鵜」も初めて間近で見ましたが、結構きなをしているでした。
時々波にさらわれ、しそうで可哀想でしたが、僕達には何も出来ません!
悲鳴を聞きながら眠りました。

翌日「鵜」波打ち際たわっていましたが、
ないようにして砂浜を歩きざかりました。

       つづく

2008年3月25日

ホームシック

れからか、高校時代からの「十二指腸潰瘍」しくしく痛みはじめ、
体もぐったり。外は直江津駅か?何処の他の国鉄の駅か覚えていませんが、
待合室悶絶不安弱気に襲われ。になったら、切符を買って
横浜ろうと思いました。

その時、これが「ホーム・シック」なのだとりました。
登山部に所属していて、僕よりアウトドアー活動が多かった、弟から貰った
麦芽製品の「オバルチン」の錠剤を何粒かと胃薬を飲んでなんとか眠りに
つけました。

きているうちに見たい所を見て、をしようと横浜を出て来た。
そんなこともれて、はしゃいでいた僕が、また横浜りたいと
思うこと自身おかしなことですよね!弱気が僕達に与える試練は、
強力なものです。そこへ落ち込まない為の、気分転換運動・休息
大事にしたいですね。

     づづく

2008年3月19日

チベット

チベットしい出来事き始めましたが心配です

昨年横浜に来たダライ・ラマ14世が使った「おしぼり」
「もし、欲しければ差し上げます?」と言われた事が有りました。

そのイラク戦争などで、な意味で強調される、
キリスト教徒対モスレム教徒との宗教対立に、ブディストとして
もっと、仲裁的立場ダライ・ラマに持って欲しかった気持ちから、
「僕は少し、彼に失望しているので、いりません!」と、
その善意を撥ね付けてしまいました。

49年前に120万人もの仏教徒のチベタン殺害され、
ダライ・ラマ14世インド亡命
多くのチベタンわれた過去が有ります。

今回こそ、世界情勢味方についている、ダライ・ラマ14世
なんとか仏教徒的・平和的解決方法チベット安泰
なってしいと想います。

オリンピック世界の眼が向いているこそ、中国「食の安全」も含めて、
チベットにも自治を持たせたより良い「共和国」になってもらいたいです。
地球にも人間にも安心を!

どんなじていようが、の色が何色であろうと、
言葉や住む場所が違っていても、仲良く暮らしたいものです。

2008年3月16日

花笠祭り

(ヒッチハイク・シリーズ)

山形には夕方着きました、もう既に「花笠祭り」は始っており、
メインストリートでは、各団体が花笠を被って、
囃子に合わせり歩いていました。町中盛り上がって、
きなおりであることが判りました。横浜「港祭り」位しか
大規模りを見たことが無い僕達は、
日本らしい「花笠祭り」感動しました。

この時、りを観覧している時に、くなった西の空に、
手を伸ばして6〜7cm位直進し、真下に1.5cm位落下し、また直進する
オレンジ色のみたいなものをましたが、宇宙には不思議なことが
いっぱい有っても、可笑しく無いと考えるくらいでした。

パレードも終わり、っぱらいの怒号れた、
らない街でる所を探すのは、大変でした。
取合えず山形駅へ行き、閉店した地下街エスカレター下
絶好の寝場所を見つけ、寝袋に包まり、れからぐっすりりました。

ザワザワとの音でめると、エスカレータ
片側のシャッターいて、通勤客れる商店街真ん中でした。
てて寝袋から出て、怪訝そうな顔をしている人達の目線から脱出するべく、
へ戻りました。

           つづく

2008年3月14日

ヒッチハイク

(ヒッチハイク・シリーズ)

ワン・スッテップ・フェスティバル以外、行き先など何もめていない
僕達は、山形「花笠祭り」が行なわれることをり、市電山形
一番近い終着駅からき始めました。まれてめてのれの
「ヒッチハイク」まりです。

っていたのは、親指きたい方向突き出「かたち」道路
っているだけですまずは「恥ずかしいと言う事です? 
貴方達はやった事が有りますか
何故だか「恥ずかしい」のです!最初に何かやる時は緊張ドキドキ
したりしますが「恥ずかしい」と言う感覚別種のもので、或る種、
までの自分からの「脱出や脱皮」のような不思議な世界でした。

国道の左側をきながら、親指き出しますが、殆どの運転手
っても素通り! 最初まってくれたのは、紫色のダンプカー
でした まってくれたのは、「どうしたんだ?何か緊急な事なのか?」
と言う「疑問」です。たり前ですよね、ヒッチハイクなど当時では、
ま〜〜ず認識されていませんでしたからね

事情を話し、旅費節約しながら、山形へ向けをしたいと伝えると、
直ぐに理解して頂け、せてもらえました。その上、「此処は絶対見ておけ」と
「吊り橋」を教えてくれました。そこで降ろしてもらうと、本当に「来て見て」
かったと思いました。結構、怖いですけどね? 7〜80m程の高さの河の上に
200m程吊り橋で、で「ゆら〜・ゆら」といています。真ん中で下の
く流れる急流いていると、引き込まれるようでクラクラしました。

こうして、をかけずに移動が出来る事などの
      「秘密(極意)?」り始めました。

          「シークレット」はつづく

2008年3月12日

仙台でのライブ

(ヒッチハイク・シリーズ)

仙台へ着き、取合えず腹ごしらえをしながら、地元のロック喫茶
ねる事にしましたが、横浜とは違い、ポップスがかかっている、
おとなしい喫茶店ばかりでした?

K君と弟からの情報で、Nさんがライブをすると聞いていたので、
町外れの会場へ向かいましたが、到着すると街の小さな公会堂
ような所で、まだ何も準備されておらず、数人の人達がイスを運んで
いたので、僕達も手伝い始めました。

段々り始め、40人程でいっぱいになった公会堂での
ライブまりです Nさんをそれまで知りませんでしたが、
この時リード・ギターを弾いていたのがKちゃんでした
Kちゃんの音色心地良さに、「一聴き惚れ♫」です。

このは、バンドのメンバーまる、地元のご夫婦招待
される事になりました。失礼にも、お名前も覚えておりませんが
「御好意ありがとうございました!」Nさんのライブ
CDくたびに仙台での出会いと感謝い出しております。

         つづく

2008年3月11日

ワン・ステップの夜

(ヒッチハイク・シリーズ)

初日ジョン・レノンえずに終わり(ヨーコさんは来たそうですが、
結局ジョンは参加しませんでした宿無しの僕達は、知り合いスタッフ達
日本の出演者が泊まっている旅館を訪ねましたが、此処もいっぱいでまれず、
河原主催者達が用意してくれている、テントがあると聞いたので、
そこへ向かいました。

もうくなっていましたが、河原には何張りもの3〜40人用の大型テント
きちんと用意されていました。ただひとけが無く、一つだけ懐中電灯の灯り
チラチラしていたテントに入ると、僕の弟と連れがいました。

まあ、ひとまず落ち着けて、寝袋に入り寝込もうとしたいきなり
テントの方から「バシ・バシ」外側かれ始め、
の上をいてり過ぎ、次のテントへと移って行きました。

そっと、様子を覗くと、7〜8人の警察官でした 防犯の為でしょうが、
「イージー・ライダー」を見て知っていた僕達は、ヒッピー反感
持つ暴漢などにわれたらたまらないと、そのれず、を待ち、
七夕祭りをやっている仙台脱出することにしました。

    つづく

2008年3月 9日

ダンゴ釣り

短竿での黒鯛釣り一辺倒になる以前は、黒鯛を求めてウキ釣りや、堤防での短竿釣りを併用し、三浦半島・伊豆半島などに釣行していました。

その中でも、釣友Mさんとしみとしさで、深夜、車を飛ばし、何十回も通ったのが清水「ダンゴ釣り」です!

まだ暗い早朝釣宿「原金」へ到着。は横浜からも持って来ていますが、モエビを頼みます。40cm程のフタ付きの平たい木桶に、少しだけ水が入っていて、5〜60匹のモエビが、可愛く歩き回っています。

特徴は、タライ程のプラスティックの入れ物に、豆腐の副産物「オカラ」を一人当て、3〜4個と、「ペントナイト」(ダンゴを溶けにくくする)と言う石粉。これが準備された、和船が何隻もエンジンが付いた親船に引かれ、巴川を下り、清水の各ポイントへ曳航されるのです。

僕達が好きだったのは、「ケーソンヤード」と言うポイントで、三保の松原の内側で、富士山ながら釣りしめる所です。清水の次郎長一家大政が、んでやっていた釣りだそうで、も三方からに強く、ロケーション最高!には頼んでおいた、お弁当を運んで来てくれます!

り方は、地元から継承されているのは、糸巻きに、返しの無い針の手釣りですが、僕達は船宿で手に入れた、90cm程の竿に、両軸リールに1.5号のハリス糸を50m巻き、直結で普通のチヌ針を結び、がん玉を一つ付けます。

ダンゴですが、オカラアミ・サナギ粉・集魚材などを混ぜ込み、手で握ってお団子を作り、まずは宣伝用に2〜3個船縁から投入します。それから仕掛けを作り、を付けたごとダンゴに仕込みます。そのさで着底させると、ダンゴが全て溶け分解すると海中り出て、竿先のテンションがけ、直ぐ判ります。

アタリが無い時はリールを巻かずに、そのまま膝元にたぐり寄せ、また餌入りダンゴを投入、その繰り返しをします。ペントナイトを調整して、着底同時けるようにしますが、これが結構、難しいのです?

先ずはボラが集って来て、強烈きをしますが、タモはくなるし、着底する前にダンゴごと食いちぎり、り者です。やっと着底、暫く待つと、クンクンというアタリ!リールを巻くとカイズ綺麗魚体!こんな感じで本命は船の生け簀に入れておきます。

夕方、また親船が迎えに来てくれて、船宿に帰ります。大納得の至れり尽くせりの
「大名釣り」の一日です!

2008年3月 6日

ワン・スッテップ・フェスティバル

(ヒッチハイク・シリーズ)

1974年8月ジョン・レノンるといたのと、精神的ダメージを受けていたは、年下の友人Kの助けを借り、横浜以外「日本」死ぬ前てみたいと思う願望から、ヒッチハイクへ立つ事になりました。Kの家は横浜では有名「日本料理店」を経営しており、そこからおミソを調達してくれました。おは二人で3万円程持って、関内駅からまずは電車郡山へ向かいました。

当時は、ロックな音楽や長髪の若者は、まだまだ社会的に受け入れられておらず、平和への一歩を踏み出そうとする、若者達「ワン・ステップ・フェスティバル」う教育関係や諸団体が多く、開催ぶまれていました。

郡山の駅に着くと、わりと普通の感覚でした、高台にある会場の競技場に向かいました。それなりの風体の若者達が三々五々歩いています。知り合いの60年代ワーゲン・バンも定員一杯でボワ・ボワいいながら上り坂を登って行きます。

会場に着いて、まずビックリしたのは、い鉄のフェンス競技場まれ、機動隊も周りを、っていた事です?

入場して、多くの知り合いと挨拶し、いよいよ開演!また、きです主催者の青年長髪丸刈りにしていたのですしくもありましたが、県や公的機関との関係か、どうしても実現したいと気持ちも良〜く判りました。

初日で印象的だったのは、「トランザム」でこの時、はじめて「レズリースピーカー」回転しているのを見ました。GS「タイガース」「ジュリー」ネイティブ・アメリカンきな羽飾りを付けてりながらっていたのも印象に残っていますが、その時は場違いな気がしました。

                               (つづく)

2008年3月 2日

ミノムシ

最近かけないなぁ〜「ミノムシ」それともが、子供の頃とは違って、
野山路地裏に入り込まないからかなぁ〜 まえて、いて幼虫
取り出してんでいたものです。小学校で教わったのは、マッチ箱に、幼虫
かに切った色紙れておくと、カラフルることでした。

Mama Johnっていた「ヤマガラ」御馳走していたは、
そこら外壁にも沢山いたものでしたが を集めてった、
「ミノムシ財布」小物りましたね!Mama Johnっていました。

それは兎も角、めて寝袋を使ったには、「ミノムシ」になった気分
なれたものです、でも寝返りや違和感は、封筒型寝袋心地良さを
ったには、人形型寝袋使用回数りました。

寒い時期寝床に入った時も「ミノムシ」い出します。な事が
沢山続くと、寝る時布団き付け蓑虫になって、景色い所で、
ぬくぬくしている自分夢見ながら、眠りにつきます。

2008年3月 1日

ニセコでウニ丼

地域によって、形態食べ物の、同名称面白いですね
関西関東違う「たぬきうどん」「きつねうどん」
有名ですが、「カツ丼」「ソースカツ丼」いの他に、
もう一つ思い出しました。「ウニ丼」です

北海道ニセコ・スキー場へ行っていた折、天気いのに
わらず、行く前から切望していた、本場北海道寿司屋で、
たらふくウニられた「ウニ丼」べる事に決め、いて
りました。

快晴の折、りて昼飯を食べに来る人などいない、閑散とした
寿司屋の食堂へ行き「ウニ丼べたいのですが?」
と入ると、総勢10人強の僕達は二階の座敷に通され、
全員「ウニ丼!」注文!ビールんで待っていました。

多分、そんなに多量ウニく、ばしウニ仕入れ
行っていたのでしょう一時間以上たされました。快晴だし
スキーをしたい僕達! イライラ頂点です!

やってきました!「ウニ丼」さすが北海道!想像していた
「ちらし寿司」に使う漆塗りのとはう、カツ丼天丼に使う
ようなきめのです。「ヤッター!」大感激!

それが、テーブルかれた瞬間も含め、顔色わった
と思います。なんと、湯気ているのです「ウニ丼」から

けると、そこにあったのは、でとじた「親子丼」のようなで、
全員唖然!「ソースカツ丼」よりきました生ウニてんこ盛り
期待していた僕達裏切られた とじ逆バージョンですね

ったのですが、これが北海道ではく食べられている「ウニ丼」
だったそうです。地域いにはずいぶん格差がありますね

これがスキー仲間達「ニセコ・ウニ丼事件」の、
ほろ苦かしい想い出です。