2008年3月 6日

ワン・スッテップ・フェスティバル

(ヒッチハイク・シリーズ)

1974年8月ジョン・レノンるといたのと、精神的ダメージを受けていたは、年下の友人Kの助けを借り、横浜以外「日本」死ぬ前てみたいと思う願望から、ヒッチハイクへ立つ事になりました。Kの家は横浜では有名「日本料理店」を経営しており、そこからおミソを調達してくれました。おは二人で3万円程持って、関内駅からまずは電車郡山へ向かいました。

当時は、ロックな音楽や長髪の若者は、まだまだ社会的に受け入れられておらず、平和への一歩を踏み出そうとする、若者達「ワン・ステップ・フェスティバル」う教育関係や諸団体が多く、開催ぶまれていました。

郡山の駅に着くと、わりと普通の感覚でした、高台にある会場の競技場に向かいました。それなりの風体の若者達が三々五々歩いています。知り合いの60年代ワーゲン・バンも定員一杯でボワ・ボワいいながら上り坂を登って行きます。

会場に着いて、まずビックリしたのは、い鉄のフェンス競技場まれ、機動隊も周りを、っていた事です?

入場して、多くの知り合いと挨拶し、いよいよ開演!また、きです主催者の青年長髪丸刈りにしていたのですしくもありましたが、県や公的機関との関係か、どうしても実現したいと気持ちも良〜く判りました。

初日で印象的だったのは、「トランザム」でこの時、はじめて「レズリースピーカー」回転しているのを見ました。GS「タイガース」「ジュリー」ネイティブ・アメリカンきな羽飾りを付けてりながらっていたのも印象に残っていますが、その時は場違いな気がしました。

                               (つづく)

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