ワン・スッテップ・フェスティバル
1974年8月、ジョン・レノンが来ると聞いたのと、精神的にダメージを受けていた僕は、年下の友人Kの助けを借り、横浜以外の「日本」を死ぬ前に見てみたいと思う願望から、ヒッチハイクの旅へ立つ事になりました。Kの家は横浜では有名な「日本料理店」を経営しており、そこからお米やミソを調達してくれました。お金は二人で3万円程持って、関内駅からまずは電車で郡山へ向かいました。
当時は、ロックな音楽や長髪の若者は、まだまだ社会的に受け入れられておらず、平和への一歩を踏み出そうとする、若者達の「ワン・ステップ・フェスティバル」嫌う教育関係や諸団体が多く、開催も危ぶまれていました。
郡山の駅に着くと、わりと普通の感覚でした、高台にある会場の競技場に向かいました。それなりの風体の若者達が三々五々歩いています。知り合いの60年代ワーゲン・バンも定員一杯でボワ・ボワいいながら上り坂を登って行きます。
会場に着いて、まずビックリしたのは、高い鉄のフェンスで競技場が囲まれ、機動隊も周りを、囲っていた事です?
入場して、多くの知り合いと挨拶し、いよいよ開演!また、驚きです!主催者の青年が長髪を丸刈りにしていたのです!悲しくもありましたが、県や公的機関との関係か、どうしても実現したいと思う気持ちも良〜く判りました。
初日で印象的だったのは、「トランザム」でこの時、はじめて「レズリースピーカー」が回転しているのを見ました。GS「タイガース」の「ジュリー」がネイティブ・アメリカンの大きな羽飾りを付けて踊りながら歌っていたのも印象に残っていますが、その時は場違いな気がしました。
(つづく)
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