2009年9月 8日

KENZO Night

peace.jpg

  KENZO君が8/6肝炎くなりました。55歳のさです。
 9/28(月)に「ドラゴン・クラブ」をおりして、
「KENZO Night」追悼ライブ友人ミュージシャン達の 御協力得♫ 18:00開場、18:30開演で ないます。
 1Drink付きで2,000ですが、平服気楽におし下さい。

kenzo 2.jpg

kenzo 1.jpg

KENZO親友でもあり弟分として片腕でした。
「ヒーピー珍道中」シリーズの相棒でもあり、John John創設以来の付き合いで、苦楽にしてきた仲間です。 これからも写真け、その他旅のエピソードけてゆくつもりです!

知る人ぞ知るハチャメチャ「ロック野郎」しい想い出も迷惑を掛けられた数知れずそれでもみきれない?
すべき大バカヤローでした
John Johnの音楽も彼無しでは語れません♪

「ドラゴン・クラブ」の場所はイセザキ・モール直進信号を渡り直進次の角に曲がり右側にあります。「かつ半」の前です。TEL045-262-2601

    ♬

   ♪

  ♯

 ♫

Photo by ひーさん。

Design by もとこ。


PS: 「Bobby Soxer」ベース「Michiaki」君が「テンソー」でも
    演奏してくれるそうで、ルイズ・ルイス・加部さんも特別参加して
    くださるそうです

2009年4月23日

宇宙遊泳

(ヒッチハイク・シリーズ)

高知市市電通りからヒッチを再開!
九州方面に向け、西進夕方近く、山間うように走っていると、
突然視界け、青い海白く長い砂浜松原の前にがって
いました

今夜寝床此処しかないと、運転手さんに「此処ります」
げ、地元の人にくと「松林の中にキャンプ場がある」
えてもらい、たどりくと「有料キャンプ場」でした???

補充キャンプ場け、海岸へ。 左右とも長い砂浜
ど真ん中薄暗い中、薪集め。大きな流木中心かまど完成
やっと食事がとれました。

満天星空水平線には沢山「漁り火」
めてた、ゆっくり 移動する「人工衛星」

寝転がると、「おや?俺は何処にいるんだ?」
KZ「おい、上を見ろ!俺達は宇宙遊泳をしているぞ!」
砂浜寝転がってると、余りにもい為、地球く、
まるで星が瞬く宇宙空間にいるようです!!!
しかも空気きれいなため、2〜3分おきに「流れ星」
もう、ぶつかりそうでよけるのが大変です?!?
この夜から、一番好きな「寝床」は「大地」になりました。

えて来た深夜そうとした時、「カサカサ」「カニ」
流木きこちらをています。
こいつもここがかく居心地かったのでしょうね。
                   「お休み、カニさん♬」

朝起きると「霞」ていて、これはこれで素敵な景色
KZジーパン上半身裸長髪なびかせ
砂浜両手げ、かけずり回りました....♪♪♬♪♪♪♪♪
  朝早く、僕達は、立ち止まってていました

この「天国」名前「入野松原」います。
            その何度れることになりました。

                   つづく。

2009年4月16日

高知・はりまや橋

(ヒッチハイク・シリーズ)

5/12(日)のJohn Johnライブ出演「ROIKI」君が、高知出身で
思い出したので「旅」きをはじめます。

高知では先ず、「ペギー葉山」った「南国土佐を後にして」
で有名な「はりまや橋」見学回り道をして見学すれど、
何の事も無い所でした。

「ROIKI」君の「赤線ブルース」は「はりまや橋」界隈での
経験を歌う、大変聴きごたえある「投げ銭ライブ!」ブログにも
それにれています................しくは、そちらで

「南国土佐を後にして」では「坊さん〜かんざし買うを見た〜♬」
との歌詞がありますが、子供の頃は「毛の無い人が、なんで
かんざしを?」
と、少年になってからは、もう少し違う意味を想像し?
「ROIKI」君ので、その深い意味「横浜・黄金町界隈」
「はりま橋界隈」との「赤線」と言う共通点を初めてりました。

黄金町しく「ゴースト・タウン」になっていますが、
「はりまや橋界隈」現在も健在だそうです
それをっていれば、もうちょっと奥深くまで潜入したのに

その別の「旅」「はりまや橋」近辺を2回も訪ねていますが、
そのっていれば「旅」しさがもっとしたはずですね

                       つづく

2008年10月 2日

室戸岬と好々爺

(ヒッチハイク・シリーズ)

室戸岬へ到着、が強く2人のヒッピーの長髪っています。「空海」が立っているので、側へ行くと、「中岡慎太郎」でした。なぜか良くりませんでした

「空海」修行した「洞穴」探検しました、って「瞑想」などして、
気取ったえがあります。

室戸岬に着いたかはれましたが、以前、「mori」さんがコメントしてくれた、超面白い事がありました

ダンプ・トラックに乗せて頂いた運転手さんが、の見える高台に在るパーキングで、僕達を降ろした後、「ソフト・クリーム」って来てくれて、
「頑張れよ!」っていきました。

また、酷暑の中、が出る程「ありがたさ」に会って感謝です。
  四国は良〜〜い!

しばらく、親指立てながらき続け、やっとこさ、軽自動車まってくれました。今の私位の60年配の方で、事情を説明し「行き先」げ、車の後部座席に乗り込みました。

をバックに田んぼがある素晴しい日本的風景を、農作業中の人や、床屋さんなど商店人が集っているところで、「この人達は、横浜から来て、ヒッチ・ハイクで日本一周の旅をしているんだ!」紹介して廻り

僕達「ああ、ど〜も」わるたびに「同じ経緯」をしました。

一時間程して満面の笑顔「じゃあ、ここまで」ろされたは、
乗った所です?

その時「え!?」いましたが、となってはれられない
  「良い人(好々爺)・良い日本」との出会いでした。

 「のんびり、ゆっくり、まぁいいじゃん!」
    メキシコの「アスタ・マニュアーナ!」
     「明日で、間に合うよ!」
 てな気持ちで過しているから、mommyやwebに怒られるんだろ〜ね?

                つづく

2008年9月27日

ヒッピーとお遍路さん

(ヒッチハイク・シリーズ)

いつまでも続く、「阿波踊り」余韻の中、小学校での野宿からを迎え、知り合った若者れ、二人旅の再開です。

四国太平洋側国道は、他の地方とは違い、「湘南」景色「箱根」山路交互れる、独特です。

何処漁村か覚えていませんが、夕方を迎え、今夜は「阿波踊り」で燃焼した体力回復すべく、「野菜炒め」決定へ向かい八百屋さんを探すとに在る「野菜くず」発見!

「これ、いくらですか?」ねると、怪訝そうに僕等つめ「只で良いよ!好きなだけ持っていけ!」と。ラッキー! 「キャベツ・大根の葉・ネギ」切れ端・などなどGet!

はとなりの肉屋さん、豚肉が入っていない「野菜炒め」横浜生まれの僕達にはえられません。「豚コマ、100円分下さい」と言うと、へんぴな村の事、しらない顔不信よそ者の登場には敏感です!

ましてや、長髪・短パン・日焼け! 店主と奥さん「尋問」まり 少々の村人くで監視?横浜から出て来て、ヒッチハイクを続けている事や経緯しました。

りの人もどんどんづいて来ます? 店主が秤で、経木豚肉を入れて僕達に渡しましたが、100円で、こんなにあるかと思うでした。

 「待って!これ持っていきな!」と奥様が「卵」2つくれました

その時代のは「空海」「お遍路さん」の事は、殆どりませんでした。今思えば「お遍路さん」も通らない道外れの漁村にも、「お遍路さん」助力する風習・心付いていたのだと思えます。

ヒッピーもお遍路さんも、「心の道」旅人わりありません

ってぬ前に日本を見ておきたいと思ったが、「生きる道」いていた事に、本人づいていません!?! 

「馬鹿は死ななきゃ解らない!」かなぁ〜〜

 

堤防の側で、村人「優しさ」と久々の「焚火の臭い」まれながら食べた「野菜炒め」〜〜〜「卵」は朝食の「目玉焼き」だ〜!

             つづく

2008年9月22日

阿波踊り

(ヒッチハイク・シリーズ)

徳島市内に入るとのそこそこで、町内の有志が太鼓を持ち出し、踊り手いています。本番ちきれないパワーです。

旅費ぐべく「アルバイト募集」の張り紙を頼りに「面接」僕等風体を見て担当者は明らかに「硬直」うちは飲食店なので」られました。し紛れに「僕も飲食店をやっているのですが」と言ったけど無駄でした。

めて、街中での野宿どうし続くであろう喧噪危険を避けるべく、今夜寝床を決めるためお寺ねましたが、当然ここでも門前払い!

枯山水素晴しい禅寺で、もし長髪のヒッピー寝袋横に焚火を食べていたら、拝観者ビックリしたでしょうね?

は、夏休みの小学校体育館目当てで、職員室を訪ねると校舎内駄目だが給食室用具置き場の間ならと許可を貰いました。

本番「阿波踊り」整然とした「連」もくもくっています。僕等素人参加するすべもありません。

何時間も経って行列わりに近づいた頃、突然チャンスが来ました、っぱらって着物ははだけデタラメの踊り普段着で肩を組み合いわめく男女柔道着剣道着!

ここしかい〜〜!バックパック負ったままの踊り方も知らない僕達も、ここは大丈夫!「徳島大学」「連」グループです。ヤッタ〜念願の「阿波踊り」に参加!

「踊る阿呆に、見る阿呆!
   同じ阿呆なら、踊りゃにゃ、そんそん!」

       つづく

2008年9月21日

初めての「四国」へ

(ヒッチハイク・シリーズ)

最近くの方から「行方知れず?」心配されている、ヒッチ相棒KZに会って、当時記憶ねても、2人が京都に、何日居たかはかではありません。多分4〜5日だったと想います、その間、名所と言われているところをブラブラ散策していました。

徳島で行なわれる「阿波踊り」を見学するべく「屋根と畳が在る、安らぎの京都」出発し。まだ多少があったので電車和歌山まで乗り、フェリー乗り場へ向かいました。

乗船券は買わずに、フェリー乗り場で、乗船を待っている車の同乗者として「無料」対岸四国徳島「小松島港」へ渡る「作戦」です。

大成功!ヒッチにもれて来た僕等は、長距離トラックGet、運転席の後ろのベットに相乗り

デッキに出ると、車座になっておを飲んでいる老若男女が、楽しそうに一人・二人とっています。長髪な格好をしている僕達にも「こっちへ来い!」とおを勧めてくれました。僕は当時はまなかったのですが、お言葉に甘え(実は、肴の御馳走が目当て!)およばれしました。

この人達から「阿波踊り」には「男踊りと女踊り」がある事をめてえてもらいました。もう徳島に着く前から「阿波踊り」っているのです 都会いていたり、学業に就いている人々が、一年に一度、この故郷に戻って来るのをしみにしているのです。

両親とも横浜生まれの僕達には、「古里や故郷」に帰る「楽しみ」りませんでした。

最終フェリーだった為、も更け「小松島港」近くの公園野宿僕等と同じようにバック・パック背負った長髪・日焼けの若者合流。芝生で寝転んでいても、同じ公園で小グループの夜明かしの「阿波踊り前夜」しむ環境で「本番」しみに、久々「大地に寝袋」!

       づづく

2008年9月18日

YouとChon

(ヒッチハイク・シリーズ)

京都で、Mさんミュージシャン・ファミリー凸凹コンビヒッチハイカー面倒を見ていてくれた、地元若者カップルは、に彼らのであった「銀閣」から「南禅寺」に続く「哲学の道」におを創るべく「銀閣」参道革細工アクセサリー製作・販売していました。

YouとChon、彼等の夕食招待された時、僕の人生かがわりました。美味しい御馳走想像していた僕等の前に出て来たのは、「パンの耳」と「ジャム」でした。

ミュージシャン・ファミリーの為に、別の部屋まで用意してくれていた方が, こんなに「質素」生活をしていたのかき、の生き方に「質素」であることの「誇りと喜び」ばせていただきました。

それからで、神社境内公園Mさんの「円盤だよ!円盤!ヴァイブレーションだよ!○○君!」車座ぎ合ってになり「世界の平和や安定、愛」みながらユラユラ「円盤」になってんでいた時は、本当に持ち良いものでした。

        つづく  

2008年9月15日

ギター 一本

(ヒッチハイク・シリーズ)

京都での共同生活2日目、ギタリストKちゃんが僕とKZに「これからライブに行くから」いに来ました。これがビックリ!「流し」と同じでスナック酒場ね、演奏をさせてもらうのです、全く当てもなく飛び込みでお願いするのです!

京都大学の近くの「百万遍」という地名にある、ママがいるバーでやっとお呼びが掛かりました。何もお店で注文出来ない、僕とKZは隅の方で小さくなりながら、Kちゃんの演奏が終わるまで見守っていました。

いくら貰ったかは解りませんが、ミュージシャン・ファミリー生活費一役たったはずです。この日からギター一本、体一つでげる「ギタリスト」「ミュージシャン」尊敬の心が芽生えました。

    つづく

2008年9月11日

京都「拾得」

(ヒッチハイク・シリーズ)

京都駅を迎え、取合えず「清水寺」へ行き、緑の庭園にある「茶毛氈」に座りたく、ちょっと贅沢して、2人で「お汁粉」を半分ずつ食べましたが、これが後でも人生最高「甘さ」でした。

当時横浜にもそのいていた、ライブ・スポット「拾得」Mさん達の情報を得に行きました。そこは昔のの後に、酒樽などをイスにしていたり、当時では初めて見た「ヘッド・ショップ」が店内にあり、外国製の見たことも無いグッズを売っており、アメリカ人らしい若者が楽しそうに説明してくれました。僕は2つ程、グッズを買いました。既にライブは何日か前にすんでいましたが、手がかりを掴みました。

ミュージシャン一行は、銀閣寺近くの友人の世話で、十畳程の部屋を別の場所に借りていて、らもそこにがり込みました。 しぶりで、屋根の在る、の上に寝袋で寝ることが出来る日が来ました。

    つづく

2008年7月16日

峠の茶店

(ヒッチハイク・シリーズ)

福井名所見物美味いものを食べないまま、何処を走っているかもらず、京都へ向かっている僕達に、峠の茶店たく美味しい「スイカ」ってくれた、ダンプドライバーの顔は忘れましたが、何時までもれない「想い出」感謝と供に残っています。

京都に着いた僕達は一先ず京都駅へ行き、本日寝床駅のベンチに決め、木造ベンチでまたまた、寝苦しいを過ごしましたが、天井と、り、きな時計と人々のざわめき印象的でした。

仙台でお世話になった、ミュージシャンのMさんにを探し出す「明日」に期待していました。

          つづく

2008年7月 5日

東尋坊

(ヒッチハイク・シリーズ)

もうじき、七夕ですね このところおれ気味で、更新れました?

さて、金沢から脱出!これも学校で習った「東尋坊」を見たくて、道路ヒッチ再開です。 の道路をのせて頂いた乗用車の後部席で流れる、ネオンの光を楽しみながら、を続けていると、ドライバーから「此処から福井だよ」とらされて暫くすると、何かうのです!

外の景色からネオンりが殆どくたっているのです。途中で、叉ヒッチの再開ですが、るのですが、ってくれません!?! 信号待ちで停まっているドライバーも僕達にもあわせませんでした! しょうがなく、何時間国道きました。

までは、最高で20分親指てていると、ドライバーが停めてしをいてもらえました。そんなで、福井県・福井県人に対し「暗い、冷たい」と言う偏見を持ってしまいましたが、最近は随分、進歩的に県民一致で努力している姿がTVなどで好意的に見ています。

てなわけで、目指す「東尋坊」に着いたとき親切ドライバー「此処だよ!」と伝えられましたが寝不足の僕達は、「京都に近い処で降ろして下さい!」と伝えて、又りにつきました!

        つづく

2008年6月13日

金沢

(ヒッチハイク・シリーズ)

能登金剛から城下町金沢へ向け、ヒッチハイク再開!

羽咋からの能登道路は素晴しい景色でした、またいた事に海岸何十キロれるのです。日本海く、白砂しい日本的景色で、そのでも再訪する事になった場所です。

金沢と言えば「兼六園」えているのは沢山有った事位で、まだまだ若造の僕達には日本庭園素晴しさを理解出来なかったことが残念です。

を待って、若者音楽しめるおの場所を聞き出してねました。友人達と横浜伝説「Lazy Bones」る時に参考にした内装で、店内中央長いテーブル印象的でした。ただ音楽はおとなしいポピュラーで、僕達は余り長居が出来ませんでした。

          つづく

2008年5月13日

太陽に飛び込む

(ヒッチハイク・シリーズ)

やって見たかったことの一つで、「太陽に向かって海に飛び込む!」
と言うのがあり、能登金剛の近くにその場所を見つけました。

海辺に小さながあり、小さな堤防先端から見ると、日本海沈む太陽
に向かって、キラキラ輝く海の上に濃いオレンジ色長い道が続いていて、
絶好の場所です。

海底様子が分からずかったけど「ままよ!」海の道飛び込みました
「大成功!」KZ君と何度太陽んでくなるまでけました。

を拾ってハンゴーを炊き、食事をし、さて寝袋に入ろうとしたのですが、
そこは岩場ばかりでらな場所がありません。なんとからに場所
なってもかったり、かったり、何度場所えましたが、
寝不足になりました。

                                 つづく

2008年5月 1日

和倉温泉

(ヒッチハイク・シリーズ)

トンネルに無事到着したものの、道幅く、そんな処に歩行者がいる訳無く、
なくってまってくれるはずがありません。

そんなトンネルを歩いて脱出している時、前に荷物を積んだサイクラーが、
り坂を自転車しそうにしていて、を掛けて一緒に出口に向かいました。

「何処かで、また会おう!」と言うと、「能登半島の輪島へ行きます!」
と言ったので、僕らも輪島を目指しました。

ヒッチを続けていたのですが、和倉温泉あたりで夕方になったので、
食事支度もあるし、そこにまる事にしたのですが、これといった、
適当な場所が無く、大きなホテル外側に小さな海岸が有ったので、
其処をベースに決め、焚火をしていると、ホテルの人が様子を見に来ました。

事情を話すと、「余り遅くまで焚火をしないでね!」と言って、野宿めて
くれました。その時はらなかったのですが、にテレビなどで、皇族や国賓
訪れる、格式高ホテル一番眺めのい所に、ヒッピー野宿していたのです。

あの時の、オジさん! ありがとう! Keep On Trackin' !

                        つづく

2008年4月25日

親不知子不知

(ヒッチハイク・シリーズ)

新潟県糸魚川から富山県とのにある、これも社会科で習った、
「親不知子不知」を見学しようと日本海の海岸を西に向かって
歩き始めました、何キロも歩いていて少し心配だったのは、
海岸淵の国道が段々上の方にいってしまうことでした。
まあその内下って来るだろうと高を括って歩き続けると、
砂浜くなり、前方にはきなが連なっていました。

引き返すには余りにも距離があり、の方のトンネルに向かって、
点検用の4~50メートルもある梯子を上る事にしました、途中で休める所も
ありましたが、何度もしがみついたまま休憩し、成る程!は富山と新潟との
では、も波にさらわれ行方不明になる難所であることを実感しました。

なんとか無事国道に着けて、ヒッチハイクを続けられることになりましたが、
その後二度と、長い梯子らないようにしています。

               つづく

2008年3月31日

日本海と鵜

(ヒッチハイク・シリーズ)

元気を取り戻し「日本海」へ向けヒッチハイク再開です。
を乗り継ぎ、新潟柏崎辺で夕方になり、海岸焚火自炊
砂浜寝袋で眠りに入ると、夜中波打ち際の方から、
ザザァ〜ンというの音に混じり「赤ちゃん」鳴き声が聞こえて
きました?

心配なのと不気味さで、友人こし様子を見に行くと、片翼
だらりと下げた、「鵜」しそうに鳴き声をあげていたのです。
日本海「鵜」も初めて間近で見ましたが、結構きなをしているでした。
時々波にさらわれ、しそうで可哀想でしたが、僕達には何も出来ません!
悲鳴を聞きながら眠りました。

翌日「鵜」波打ち際たわっていましたが、
ないようにして砂浜を歩きざかりました。

       つづく

2008年3月25日

ホームシック

れからか、高校時代からの「十二指腸潰瘍」しくしく痛みはじめ、
体もぐったり。外は直江津駅か?何処の他の国鉄の駅か覚えていませんが、
待合室悶絶不安弱気に襲われ。になったら、切符を買って
横浜ろうと思いました。

その時、これが「ホーム・シック」なのだとりました。
登山部に所属していて、僕よりアウトドアー活動が多かった、弟から貰った
麦芽製品の「オバルチン」の錠剤を何粒かと胃薬を飲んでなんとか眠りに
つけました。

きているうちに見たい所を見て、をしようと横浜を出て来た。
そんなこともれて、はしゃいでいた僕が、また横浜りたいと
思うこと自身おかしなことですよね!弱気が僕達に与える試練は、
強力なものです。そこへ落ち込まない為の、気分転換運動・休息
大事にしたいですね。

     づづく

2008年3月16日

花笠祭り

(ヒッチハイク・シリーズ)

山形には夕方着きました、もう既に「花笠祭り」は始っており、
メインストリートでは、各団体が花笠を被って、
囃子に合わせり歩いていました。町中盛り上がって、
きなおりであることが判りました。横浜「港祭り」位しか
大規模りを見たことが無い僕達は、
日本らしい「花笠祭り」感動しました。

この時、りを観覧している時に、くなった西の空に、
手を伸ばして6〜7cm位直進し、真下に1.5cm位落下し、また直進する
オレンジ色のみたいなものをましたが、宇宙には不思議なことが
いっぱい有っても、可笑しく無いと考えるくらいでした。

パレードも終わり、っぱらいの怒号れた、
らない街でる所を探すのは、大変でした。
取合えず山形駅へ行き、閉店した地下街エスカレター下
絶好の寝場所を見つけ、寝袋に包まり、れからぐっすりりました。

ザワザワとの音でめると、エスカレータ
片側のシャッターいて、通勤客れる商店街真ん中でした。
てて寝袋から出て、怪訝そうな顔をしている人達の目線から脱出するべく、
へ戻りました。

           つづく

2008年3月14日

ヒッチハイク

(ヒッチハイク・シリーズ)

ワン・スッテップ・フェスティバル以外、行き先など何もめていない
僕達は、山形「花笠祭り」が行なわれることをり、市電山形
一番近い終着駅からき始めました。まれてめてのれの
「ヒッチハイク」まりです。

っていたのは、親指きたい方向突き出「かたち」道路
っているだけですまずは「恥ずかしいと言う事です? 
貴方達はやった事が有りますか
何故だか「恥ずかしい」のです!最初に何かやる時は緊張ドキドキ
したりしますが「恥ずかしい」と言う感覚別種のもので、或る種、
までの自分からの「脱出や脱皮」のような不思議な世界でした。

国道の左側をきながら、親指き出しますが、殆どの運転手
っても素通り! 最初まってくれたのは、紫色のダンプカー
でした まってくれたのは、「どうしたんだ?何か緊急な事なのか?」
と言う「疑問」です。たり前ですよね、ヒッチハイクなど当時では、
ま〜〜ず認識されていませんでしたからね

事情を話し、旅費節約しながら、山形へ向けをしたいと伝えると、
直ぐに理解して頂け、せてもらえました。その上、「此処は絶対見ておけ」と
「吊り橋」を教えてくれました。そこで降ろしてもらうと、本当に「来て見て」
かったと思いました。結構、怖いですけどね? 7〜80m程の高さの河の上に
200m程吊り橋で、で「ゆら〜・ゆら」といています。真ん中で下の
く流れる急流いていると、引き込まれるようでクラクラしました。

こうして、をかけずに移動が出来る事などの
      「秘密(極意)?」り始めました。

          「シークレット」はつづく

2008年3月12日

仙台でのライブ

(ヒッチハイク・シリーズ)

仙台へ着き、取合えず腹ごしらえをしながら、地元のロック喫茶
ねる事にしましたが、横浜とは違い、ポップスがかかっている、
おとなしい喫茶店ばかりでした?

K君と弟からの情報で、Nさんがライブをすると聞いていたので、
町外れの会場へ向かいましたが、到着すると街の小さな公会堂
ような所で、まだ何も準備されておらず、数人の人達がイスを運んで
いたので、僕達も手伝い始めました。

段々り始め、40人程でいっぱいになった公会堂での
ライブまりです Nさんをそれまで知りませんでしたが、
この時リード・ギターを弾いていたのがKちゃんでした
Kちゃんの音色心地良さに、「一聴き惚れ♫」です。

このは、バンドのメンバーまる、地元のご夫婦招待
される事になりました。失礼にも、お名前も覚えておりませんが
「御好意ありがとうございました!」Nさんのライブ
CDくたびに仙台での出会いと感謝い出しております。

         つづく

2008年3月11日

ワン・ステップの夜

(ヒッチハイク・シリーズ)

初日ジョン・レノンえずに終わり(ヨーコさんは来たそうですが、
結局ジョンは参加しませんでした宿無しの僕達は、知り合いスタッフ達
日本の出演者が泊まっている旅館を訪ねましたが、此処もいっぱいでまれず、
河原主催者達が用意してくれている、テントがあると聞いたので、
そこへ向かいました。

もうくなっていましたが、河原には何張りもの3〜40人用の大型テント
きちんと用意されていました。ただひとけが無く、一つだけ懐中電灯の灯り
チラチラしていたテントに入ると、僕の弟と連れがいました。

まあ、ひとまず落ち着けて、寝袋に入り寝込もうとしたいきなり
テントの方から「バシ・バシ」外側かれ始め、
の上をいてり過ぎ、次のテントへと移って行きました。

そっと、様子を覗くと、7〜8人の警察官でした 防犯の為でしょうが、
「イージー・ライダー」を見て知っていた僕達は、ヒッピー反感
持つ暴漢などにわれたらたまらないと、そのれず、を待ち、
七夕祭りをやっている仙台脱出することにしました。

    つづく

2008年3月 6日

ワン・スッテップ・フェスティバル

(ヒッチハイク・シリーズ)

1974年8月ジョン・レノンるといたのと、精神的ダメージを受けていたは、年下の友人Kの助けを借り、横浜以外「日本」死ぬ前てみたいと思う願望から、ヒッチハイクへ立つ事になりました。Kの家は横浜では有名「日本料理店」を経営しており、そこからおミソを調達してくれました。おは二人で3万円程持って、関内駅からまずは電車郡山へ向かいました。

当時は、ロックな音楽や長髪の若者は、まだまだ社会的に受け入れられておらず、平和への一歩を踏み出そうとする、若者達「ワン・ステップ・フェスティバル」う教育関係や諸団体が多く、開催ぶまれていました。

郡山の駅に着くと、わりと普通の感覚でした、高台にある会場の競技場に向かいました。それなりの風体の若者達が三々五々歩いています。知り合いの60年代ワーゲン・バンも定員一杯でボワ・ボワいいながら上り坂を登って行きます。

会場に着いて、まずビックリしたのは、い鉄のフェンス競技場まれ、機動隊も周りを、っていた事です?

入場して、多くの知り合いと挨拶し、いよいよ開演!また、きです主催者の青年長髪丸刈りにしていたのですしくもありましたが、県や公的機関との関係か、どうしても実現したいと気持ちも良〜く判りました。

初日で印象的だったのは、「トランザム」でこの時、はじめて「レズリースピーカー」回転しているのを見ました。GS「タイガース」「ジュリー」ネイティブ・アメリカンきな羽飾りを付けてりながらっていたのも印象に残っていますが、その時は場違いな気がしました。

                               (つづく)

2008年3月 1日

ニセコでウニ丼

地域によって、形態食べ物の、同名称面白いですね
関西関東違う「たぬきうどん」「きつねうどん」
有名ですが、「カツ丼」「ソースカツ丼」いの他に、
もう一つ思い出しました。「ウニ丼」です

北海道ニセコ・スキー場へ行っていた折、天気いのに
わらず、行く前から切望していた、本場北海道寿司屋で、
たらふくウニられた「ウニ丼」べる事に決め、いて
りました。

快晴の折、りて昼飯を食べに来る人などいない、閑散とした
寿司屋の食堂へ行き「ウニ丼べたいのですが?」
と入ると、総勢10人強の僕達は二階の座敷に通され、
全員「ウニ丼!」注文!ビールんで待っていました。

多分、そんなに多量ウニく、ばしウニ仕入れ
行っていたのでしょう一時間以上たされました。快晴だし
スキーをしたい僕達! イライラ頂点です!

やってきました!「ウニ丼」さすが北海道!想像していた
「ちらし寿司」に使う漆塗りのとはう、カツ丼天丼に使う
ようなきめのです。「ヤッター!」大感激!

それが、テーブルかれた瞬間も含め、顔色わった
と思います。なんと、湯気ているのです「ウニ丼」から

けると、そこにあったのは、でとじた「親子丼」のようなで、
全員唖然!「ソースカツ丼」よりきました生ウニてんこ盛り
期待していた僕達裏切られた とじ逆バージョンですね

ったのですが、これが北海道ではく食べられている「ウニ丼」
だったそうです。地域いにはずいぶん格差がありますね

これがスキー仲間達「ニセコ・ウニ丼事件」の、
ほろ苦かしい想い出です。

2008年2月25日

ソースカツ丼とカツ丼

まだ、関越自動車道が出来る前は、苗場スキーに行くには、17号線
利用していました。帰り道三国峠を下った所のドライブイン「カツ丼」
注文して待っていたところ、だいぶ時間が経ってから出て来たのは、に入った
「カツライス」でした。

全員卵とじにしていない手抜きにき、厨房みましたが、おがすいて
いたので文句を言いながら「カツライス」を食べて出ました。

何年か経って、群馬出身の方からその人の地元では「カツ丼」
「ソースカツ丼」普通で、醤油味らかいのは「煮カツ丼」
呼んでいるそうです。

先日高崎出身のお客様に尋ねたところ、高崎では横浜「カツ丼」同じ
だそうです。翌日、前橋出身のお客様に尋ねると「ソースカツ丼」普通で、
横浜に来て「カツ丼」を注文していたそうです。

高崎前橋の間に「カツ丼」境界線があるようですね
その他の地方にも「ソースカツ丼」があって、
それぞれが元祖主張してるらしいとおしゃっていました。

2008年2月 9日

自転車で千葉

中学を卒業高校へ入学する前の休みに、友人と3人と、
今度当時人気だった「ユースホステル」を利用して、
2泊3日の「自転車旅行」を計画。久里浜からフェリーに乗って金谷へ渡り、
ロープウエイで山頂まで行き、景色を見てから、帰路は徒歩で下山♫〜♩。

州崎の灯台の近くにある「館山ユースホステル」が初日の宿です。
各自「封筒型」のシーツを持参するのが決まりで、食事自炊です。
その後の、ミーティングや合唱が、遊びたい僕達には面倒でした。
その時、灯台の前に「貨物船」が「座礁」したままで
波に洗われていたのが印象的でした!

平砂浦を過ぎ、白浜では白装束の「海女」さんが何人かで
をしているのを見かけ。野島崎から北上、「仁右衛門島」を見てから、
2泊目の「安房小湊」を過ぎ、中学で習った「おせんころがし」
見物するのが目的だったのですが、当時はまだ「舗装」されていない、
断崖の上り坂で、鼻の穴を泥まみれにして断念しました。

ここの「ユースホステル」館山のように、
独立した専用の「ホステル」では無く、「旅館」を利用していました。
僕達は何も感じなかったのですが、六畳程の粗末な小部屋
7〜8人も押し込まれたのを不服として、ホステラー全員、
女性も呼んで
、10人程で叉!ミーティング始まりです?
「旅館に抗議したが、埒があかない!!」
「協会に訴えよう!皆も協力して欲しい!♯!」
なんて、こともありました。

翌日は、山越えで、富津方面へ戻り。三浦半島からも見える
「東京湾観音」登りましたが、耳の穴から金網で囲ってある
に出ると、強風体が浮く程だったのを覚えています。

「大事件発生!」予定木更津から川崎への
フェリー
天候悪化「欠航」です。東京湾を廻って
横浜へ帰るには、時間も無いし、クタクタの僕達には無理です
仕方なく、心配するであろう家族に電話して「キャンプ場で泊まって、
明日帰りますと連絡し、キャンプ場へ向かいました。

強風の中降って来て、自転車の横レインコートを着て、
不安におののきながら座り込んでいる僕達を、
黄色いテント誘い入れてくれた青年達同じ旅人としての
「優しさ」は、いまだに「感謝」とともに覚えています。

2008年2月 6日

自転車で箱根

中学生友人二人と三人「自転車」
「箱根」「日帰り旅行」したことがあります。
3時頃、真っ暗なうちに出発「鎌倉街道」
最初上り坂頂上「茶店」があった、
日野「七曲がり」越え東海道をひたすらり、
「箱根」向かいました。

途中何度パンクしましたが、当時子供の多くは
自分達で、直していたものです。
機械ものを「分解・組み立て」するのが好きで、
自転車自分格好良「塗装・改造」していました。

箱根に入って「宮ノ下」までは、なんとか漕いで行けましたが、
「小涌谷」越えてからは、急坂何度自転車降り
やむなくしてりました。

友人の一人の自転車「ブレーキ」が付いて
後輪「ハブギア」「釘」詰め込んで空回り
出来なくした、競輪自転車のように成っていたものです
でも時々会いますが、よくそんな自転車
箱根登り降り出来たものだと感心します

しかし、目的の「芦ノ湖」まではけずに、帰り時間が心配で、
駒ヶ岳「精進池」岐路につきました。
着いたのは9時か10時頃だったと思います。

ど、休憩く、18時間以上自転車漕ぎ続けられる、
体力気力った「少年時代」懐かしい

ところで何で三人かと言うと、自転車世界一周をして、
日本にもった外国の青年「本」感動していたは、その中で
「二人だと意見が分かれるが、三人だと多数決で上手く決まる」
かれていたのに納得していたからです。

2008年1月31日

鍋焼きうどん

志賀高原横手山中腹「山本荘」と言う
 昔風ロッジがあって、初めてPapa John
   連れて行ってもらった時から、昼飯必ず此処
「鍋焼きうどん」
食べるのが決まりです !

出来上がるまで長い1時間待ちます!?〜♪~♫
 その間ビールワイン飲めない人子供
 「ヤマブドウ・ジュース」やそれに
   アイスクリームをのせたりして、したづつみをうっています
 僕達は スキー靴脱いで、 のんびり待っています。

テーブルには自由食べられる、
「竹の子・梅干し・のびる・ふきのとう」などの
   山菜漬け物置いてあります。
甘酢漬け「ふきのとう」は絶品がすすみます
 何十年通っていて、今年初めて食べた、
 「さくらんぼ」甘酢漬けは不思議な味でした。

天気良いイスに腰掛け、出来上がるまで
      至極日光浴をして待っています。

鍋焼きうどん出来上がりました
 さあ!食べようとすると、友人「鍋奉行」
 「まだ、まだ!」ふた開けるのを静止します。
「卵が半熟になってからね!」「お酒!もう一杯!」

十種類近くの「きのこ」!
 皆「これは何茸だ?これは見たこと無い!」
  と会話弾みます。また、味付けした「牛肉」だと思うのですが、
  山のこと「いのしし」かなと思ったり。

美味しくいつも感動します 山菜たっぷり入って、
  半熟卵絡んだ「うどん」がたまりません。

横手山標高2300m頂上からの景色抜群で、
 今年大好き「六姫」一人「妙高山」が見えました。
  晴れた日には、渋峠からは「富士山」小さく見えます

条件揃うと、雲の上出て雲海のように
 浮かぶ山々景色には感動を覚えます。

天気良さそうなを選んで行くのですが、
 吹雪くと「地獄の寒さ」襲いかかってきます。

それでも横手山に行ってしまうのは、
「山本荘」へ行って「鍋焼きうどん」食べたいからです。

2008年1月23日

スキー

山は白銀〜朝日を浴び〜て ♫
す〜べる〜スキーの ♪

風切る早さ〜〜 ♬ いえ〜ぃ!♪♬

行ってきました!志賀高原!2年ぶりのスキーです。
初日はラッキー連続が続き浮かれ通し!
4日間晴れたのも珍しいことで、
何処へ行っても自然美しさ雄大さ堪能
        満足!満足!

昨年30年近く利用させて頂いていたホテル閉館
「冬の別荘」が無く成った僕たちは途方に暮れて、
オロオロしている内に雪は無く成りました。

今回もスキーが好きで、30代の頃は毎週のように
泊まる処が決まっていない時は、
知り合いのステイしてるホテルに仲間入りしたり
車で野宿したりもしていた友人
最低二人でもと決心!
新しくゴンドラみつまたまで繋がった苗場か?
温泉のある万座か? オロオロ!ドキドキ?

そんなこんなで、以前から良く志賀へ行っていた、
御得意様Sちゃんに素敵「志賀の湯ホテル」
紹介していただき、アットホーム対応
食べきれないほどの食事
御一行様6名(内・シニア5名)大満足!
      ベース基地決定!

最近、良く来てくれる若者 T君、H君
色々なプランを考えてくれ、ありがとう!

2007年12月23日

ジョン・レノンとUFO

WALLS AND BRIDGES (心の壁、愛の橋)


ジョン レノン作品は殆ど全て好きなのですが、
 それぞれ自分なりの考え方複雑絡み合っています。


特にこのアルバムが好きなのは、大好き
 ジェシー・エド・デイビス
ヨーコ別居のこの時期、
 「スタンド・バイ・ミー」で有名な(ロックン ロール)
    との2枚参加している事です

ファースト・アルバムに入っている「Golden Sun Goddess」
(エリック・クラプトン、レオン・ラッセル参加)


ボブ・ディラン「I Shall Be Released」
 知るしとぞ知るJohn Johnテーマソングなのです。


イントロで始まる、「Old Dirt Road」
 どなたでも聴いた事が在るだろう?「Bless You」
  ピアノはニッキー・ホプキンスですよ


本当に極致の演奏と録音です。もう一曲気になるのが
「Nobody Loves You (When You'er Down And Out)」
 
  タイトルだけで???に成りますよね
   此れが聴きたい日聴きたくない日がはっきりしています。
   ジェシーについては、又「つぶやき」ます。

LP (WALLS AND BRIDGES)
 かなり立体的?ジャケットお店で使っていると
  ボロボロに成りました、説明がうまく出来ませんが、
   John Johnで見て頂けば判ります。


そしてジャケットの中に、
 (On the 23rd Aug.1974 at 9 o'clock
    I sow a U.F.O J.L)
と記されている事です。


実は僕もこの年(1974)ジョン来るというので、
 郡山「ワン・ステップ・フェスティバル」へ行き、


その後友人一ヶ月半に渡る日本ほぼ一周
 野宿・ヒッチハイク
に出たのですが、
  最初山形「花笠祭り」最中

 不思議な航跡オレンジ色みたいな
  彼らとの最初の出会いでした。

2007年12月 7日

光るキノコ

30年程前、2回目に小笠原父島へ行った時、梅雨時で5日も雨が降り続き、至る所で小さな滝が出来ている様な状態でしたが、雨が上がりかんかん照りの2日後、お世話になっていた「RAO」のNORI君とYUKINO-CHANが「グリーンぺぺ」を見に行こうと、車で山へ連れて行ってくれました。ラジカセでピンクフロイドの「Echoes」をかけながらランプをたよりに沢を下り「此処だよ!」と云われた場所でライトを消すと周り中「グリーンに光ったキノコ」に囲まれた、お伽の世界でした。どの位沢山在るかというと、自分たちが降りて来た場所がくっきりと黒い道に成っているのが判る程です。キノコ一つで暗がりで新聞が読める明るさです。おでこに付けて「第三の目」と云ったり、光る苔がこびり付いた竹棒を振り回し、「スターウォーズ」気分に成って遊びました。(今は数が減ってしまったのでこんな事をしてはいけません!)
小笠原からの久々の便りが在って、昨晩はTVで「光る生物」でキノコもで出来て。今晩は此れ又、久しぶりに旅行好きで以前父島にも行った事があるお客様が訪ねてきました。今回は「ブータン」帰りだそうです。デヴィド・ギルモアもカルマで「光るきのこ」に繋がっていました。