2008年5月29日

本を読む本

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正しい読書の方法を、教わったことがありますか?

「この本つまらないなぁ」という感想を持つ時、
もしかしたら理解できないアナタが悪いのかもしれない。

精神や心を成長させる。または実利に繋げる読書は、
初級読書→点検読書→分析読書→比較読書の手順を踏む。
仕上げに、著者の解決が何であるかを見いだし、
読者が自分の意見を述べる段階まで至る。

本は読んだら終わりではなく、
読み終わった瞬間に何かが始まっていなければならない。

外山滋比古さんの訳のお陰で、難解な内容もスラスラ読める。

私たちは、テレビ、ラジオ、雑誌から(情報を)受け取っている。
そこには気のきいた言い回し、選びぬかれた統計、
資料などがすべて整えられていて、私たちはいながらにして
「自分の判断を下す」ことができる。
だかこの知的パッケージがよくできすぎていて、
自分の判断を下す手間まで省いてくれるので、
読者や視聴者はまったく頭を使わなくてもすんでしまう。

自分の頭でものを考えなくてもよいような仕掛けに組み込まれてしまい。
考える必要がなくなってしまった。その結果はご想像のとおり。

自分の理解を超えた本を読むときこそ、
読み手はいっさい外からの助けに頼らず、
書かれた文字だけを手がかりに、その本に取り組まねばならない。

読み手自らを著者のレベルに引き上げてこそ、理解がすすむ。

「書物には味わうべきものと、呑みこむべきものとがある。
また、わずかだが、よくかんで消化すべきものもある」

分析的に読むことを、哲学者フランシス・ベーコンの言葉を引用して説明

本は一軒の家のようなものだ。
各階に大きさや形の異なる部屋がいくつもあって、
それぞれに外観や用途の違う大邸宅のようなものである。

例えが絶妙、本の骨組みがしっかり理解できる概念だ。

著者の問題としている点は何であるかを知る

著者の解決が何であるかを検討すること

本が読者に向かって語り、読者は本に語り返す。

もっとすぐれた本の場合は、再会したとき、
本もまた読者とともに成長したようにみえるものだ。

こんな優れた本達に囲まれて暮らしたい。
その資格を得るためにも、日々学んでいこう。

人間にだけ与えられたこのすぐれた精神も、
筋肉と同じで、使わないと萎縮してしまうおそれがある。
精神の鍛錬を怠ると、"精神萎縮"という代償が待っている。
それは精神の死滅を意味する恐ろしい病である。

読書をするようになって久しいのに、
改めて読書の仕方を習い直すなど・・・ 屈辱的か?

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