世界一旨みのある商売とは?
大衆が「分衆化」してるって、ホント?
ビジネス誌、ラグジュアリー雑誌が売れてるってマジ?
ネット時代の情報はコントロールできるのか?
したほうがイイの?
テレビ局社員の給与が高くてイイな。とやっかむのなら
まずテレビを消すこと。
装置産業に押し寄せる変革の波に、
どうやって対応すればよいのか。
旧メディアは消滅の可能性も考慮しつつ、シフトする戦略も
練り直さなければならない。
そして、クリエイターは、コンテンツだけに留まらず、
メディア自体の枠組みまで創り出すことに。さあ大変だ。
53年前、昭和30年の就職人気ランキング
一位の企業はどこだと思いますか?
冒頭から繰り出されるこのクイズ。
応えは最後に・・・
既存の大メディアは崩壊するのか?
その主張には、根拠が薄弱ではないかと指摘する。
突き詰めて読んでいくと、「自分はそう思うから」
ということでしかなく、さらに行間を読み込んでいくと、
「自分はそうなってほしいから」
ということなのではないかとさえ思えます。
その背後には、マスコミ関係者の高慢ぶり・高級ぶりを
前から苦々しく思っていたとか、
ラジカルなことをいってジャーナリストとして名を上げたいとか、
いろいろな理由があると思います。
そのことは、ひとまず紙面の隅に置いといて。
行動を起こせ!議論するな!安住するな!
をテーマにして、マスメディアとマーケティングの未来話は続く。
Yahoo!とGoogleはビジネスモデルが違う
グーグルが依拠する経済は、インタレスト(能動的な興味・関心)です。
グーグルはアテンション(注目)ではなくインタレストの卸売りをする
ビジネスモデルです。
ヤフーとグーグルは両方ともインターネットを利用した検索サービスですが、
ヤフーは情報の流通経路にインターネットを使っているだけで、
依拠しているのはアテンション・エコノミーです。
だから、人がたくさん集まるトップページに、バナー広告やテキスト広告を
ベタベタと貼り付けています。
理由は単純で、アテンションが一番集まる場所だからです。
そういう意味では、ヤフーは20世紀的なメディアなのです。
テレビ、新聞、雑誌、ラジオの4マスメディアと同じく、
「大衆の注目」卸売り業。
メディア産業の方々だけではなく、コンテンツ産業の人々にもこんな話
他の産業と大きく異なる点の一つとして、
「過去のストックが競合になる」
という点が挙げられます。
たった今リリースされたコンテンツは、
ユーザーの部屋に積み上げられているDVD、録りためた番組、
本や雑誌、音楽やゲームまで、他ジャンルを問わず、
同じ業界のコンテンツストック(過去に出たもの)と競合し、
未来のコンテンツとも、ユーザーの時間を喰いあう。
Googleが新しいコンテンツを生み出さないことは
ご存じかと思いますが、なぜ時価総額がバカ高いのか?
その理由を考察
グーグルはクリエイティブ・クラス(知識労働階級)の人々に
「時間を売っている」ということになるのです。
そして、その時間が貴重であればあるほど、
集積としてグーグルの時価総額は高まるわけです。
コンテンツそのものよりもコンテンツを整理してくれること、
整理にかける時間が削減できることに価値が見出される社会に
なりつつあるということです。
ゲーム理論の用語、ゼロサムゲーム(誰かが得をすれば、必ず誰かが
損をするゲーム)を例に出し、歴史において、ゼロサムゲームの
不毛感をいち早く察知し、非ゼロサム化した人物が登場。
織田信長は、おそらく日本の歴史上最初に、
なぜ戦国時代がいつまでも終わらないのか
ということの本質的な理由を見抜いた人でしょう。
(~中略~)
土地をめぐって争うと必ずゼロサムゲームになるので、
(~中略~)
信長は自ら茶道を嗜み、茶器を広大な地領と交換することで、
観念としての「価値」を生み出しました。
これによって、「価値」が土地に結びついた有限のものから、
権力者の意思によって増減可能なモノに変貌したのです。
ネットが既存のメディアに与える影響を
検討するポイントは以下の3つ。
- 提供情報
- 情報の消費シチュエーション
- アクセススタイル
4つ目に、追加するならば
「アクション(行動)までのルート」か。
「提供情報」の部分だけを議論しても無意味なので、
検討ポイントを洗い出しましょう。
「アクセススタイル」別、ネットvsラジオが参考になります。
視聴者やユーザーが、そのメディアに接触している
本当の理由とは。
「寂しさをまぎらしたい、人とつながっていたい、
人と話題を共有していたい」という欲求があります。
前述した、検討ポイントの上位概念のようです。
ここをよく見定めないと、ニーズもなにもあったもんじゃない。
テレビ番組が、CMもすっ飛ばされ、見たい時に見られているが。
社会の潤滑油としてのメディア論
社会というものが仲良くしたい人とだけ仲良くする。
という人たちの集団になってしまったら、発展しなくなってしまうだろう。
好きな情報を好きなだけ、がヤバイ理由を、
あんな事件やこんな事件を題材にして考察
インターネットは民主的であるというより、
アナーキーであるというべきでしょう
作者のラジオ対する印象や思い出
当然ながら中高生になると自宅の部屋で悶々と悩んだり、
親に見せられないようなこと
をいろいろと始めたり、
あとは受験勉強を始める、というか、勉強しているかどうかは
ともかく深夜まで部屋で起きているようになるわけです。
で、そのとき、家族以外の誰かとつながっている感覚を得たい、
もっと踏み込んでいえば、親をバイパスして世界を見てみたい、
夜の社会を覗いてみたい、という気持ちがわいてくる。
そんな彼らの気持ちに応える、開かれた窓としてラジオが機能
していたように思います。
リアルオプション理論とやらで、
選択権、選択肢、そのものの価値も判断
ポジションの取り方として、「A」「B」以外に
「今は決めない」
という三つ目があることをしっかりと認識する
「AかBか判断できないので打ち手が決まらない」
のと、
「AかBか判断できないと判断して両方のシナリオに対応して手を打つ」
というのは、考え方としてまったく異なります。
Wikipediaに関する忘れちゃいけないこと
ウィキペディアについては、多くの場合「集合知の威力」とか
「みんなの知恵が権威をしのいだ」というような
天使的に楽観的なトーンで語られます。
しかし、そもそもウィキペディアに記述されている「みんなの知恵」が、
根源的には社会がコストをかけて育んできた知の基盤に拠って
立っていることを、ゆめゆめ忘れてはならないと思います。
電波料という電波利権
最大の分配比率を享受している地方局は、
流す番組に加えて、電波利用料としてのお金までキー局からもらえる
という、世界で一番美味しい商売をやっているのですが、
対照的に実際にコンテンツを作っている制作会社は、
ひどい労働条件のなか、分配率も低い構造で
何とかやっているという構図
どの業界でもそうだと思いますが、往々にして
ハイリスク・ハイリターンを厭わない人材ほど、優秀である
ことが多いのです。
映画業界がテレビ業界に行った仕打ちを
そのままネットに向けると・・・
勃興してくるインターネットメディアが既存のマスメディア業界の
バリューチェーンからクリエイティブ能力を調達できないとなると、
彼らは自家調達を考えざると得ない状況になるわけですが、
その状況は間違いなく彼らの中長期的な競争力を向上させることになる
ネットからも学べるアナーキーさ加減
10人が接触して8人が「まあいいんじゃないか」という
コンテンツが求められていた従来から、
10人のうち2人が「最高だ」と絶賛するけど、
8人は「クソだ」とこき下ろすコンテンツが、今後は求められる。
「好みの中央値」に近いところで、ひしめき合って圧死しないこと。
メディア全体の枠組みを創りださねばならない
クリエイターたちへ
メディアの歴史をひもといてみれば、
「プラットフォームが先に作られて、
市場の文脈の中でコンテンツが生まれる」という流れである
流れを意識すると、同様に。
ネットで一方的に情報をコントロールしようとすると危険なワケ。
商品に関連する情報は、市場の文脈の中で自然発生的に生まれ、
それがネットに書き込まれ共有されることで、
新しい消費者がその情報を活用して新たな消費を生み出します。
検証→利用→評価という連鎖を、無理矢理コントロールしようと
すると、そこには悲劇が潜んでいる。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございます。
もう、最初に言ったコトも思い出せないかもしれませんが。
答えは鉱山会社です。