2008年6月26日

もう殺さない

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『もう殺さない ブッダとテロリスト』
加島牧史さん訳

銀座へ行った時には「ギャラリーバー・カジマ」へ
寄るようにしています。

なんだか少しだけ大人の仲間入りができたような
素敵なお店ですが、かといって変に敷居が高いワケでもなく
居心地の良い空間

牧史さんからは、毎月のように次回のギャラリーのお知らせ
ハガキをいただいているのですが、そのマメさを吸収しようと
いう欲にまみれた思惑も内包しつつ、たずねてみた。

ハガキには、毎回アーティストの紹介文があって、
その内容を書くコツも盗みに向かったんだけど、
特に文章を構成して、考えて書いているのではなく、
その時々、思い付いた流れに沿って、サラっとかき出しているよ。
とのコト。

センテンスとセンテンスを無理に繋げようとしない、
あのハガキと同じような文体で紡がれる本書

心と人生が取り散らかっている人が
立ち止まって、一息つく時間を持つためにも。

シタール(インドの民族楽器)の弾き方を例に出し
強すぎず、弱すぎず。

心もまったく同じこと。
バランスが取れるように、ゆっくりと放してやるのです。
いっぽうに片寄ることなく、真ん中の道を探すのです。

集中するために、心をかたくしすぎてもいけないし、
心をまったく野放図に手放してもいけないのです。

悩みゴトの原因

あなたたち、生きとし生けるものが
悩み苦しんでいるその原因そのものが、
自我と執着にあることを直視しなさい。

悩みの解決へ向けて

なぜ、あなたは自分の苦しみ、その苦しみの元凶となるもの、
苦しみの停止を、苦しみに終止符を打つ道を
見つけようとしないのでしょうか

真実を探求することの無意味さ、まずは美徳の優位性

真実は、数多くの美徳のひとつにすぎない。

哀れむ心、愛する心、他人に寛容であること、
ともに感じ合うこと、一緒に喜ぶ気持ち、
それらを求めることが大切なのです。

知識と知恵も区別しなければならないが、
知恵の定義とは?

知恵は、ことばではなく、考えでもなく、論理でもない。
それはあなたのなかで体験し、そして発見されるものなのです。

結局のところ、やるか、やらないか。それだけ

何が正しくて、何が正しくないのか?

苦しみを減らすすべてのことは正しく、
苦しみを増すすべてのことは間違っている。

答は、いつもあなたのなかにあります。

「ものや財産の管理人、番人」から脱却し、
解放された自由を得る切っ掛けに。

いま、ブッダはまったく節度ある生活を送っているというのに、
このわたしは所有したものに
時間もエネルギーも奪われ
ものに所有されているのだ。

ジッとしていられない性分なので
まったくといってイイほど、瞑想はしていませんが、
少しでも瞑想タイムをやり繰りしてみようかな、と思わせる一文。

瞑想をするには、まず耳をすまし、
呼吸に、そして姿勢、
すわっている感覚、知覚の動き、
湧き出る思いに注意をはらいます。

すべてが、心のなかを通り過ぎてゆきます。
そして、心そのものも手放すのです。

あなたの内から湧き出る思いと、
この宇宙全体から湧き起こるすべてのものを手放し、
通り過ぎてゆかせるのです。

瞑想とは、ただここに一時間、あそこに一時間
すわっているということではありません。

生き方そのものなのです。
生活のなかで、行(ぎょう)じてゆくものなのです。

日常の生活と、瞑想することにちがいはありません。

過去と未来の因果のなかに生きているときも、
いまここに、精一杯、真実のなかに生きているときも、
瞑想そのものなのです。

瞑想を通じて、自分の正しさと道標を
発見できそうな気がする・・・

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