2008年8月31日

ハンコック

ハンコック 前半と後半の
ギャップ

エンドロール中に席を立たないコトをオススメ。

前半とは、予想外の展開を見せる後半。
こーゆう話もアリっちゃアリ。

希望としては、ハンコックのダメダメシーンを
もっと多く流してほしかった!

アメリカで署名をしてもらう時のスラング
"John Hancock"を知ってると、豆知識を披露しつつ楽しめる。

竜巻のシーンで2~3mくらいの巨人がウロウロしているのも軽くチェック。

2008年8月30日

戦争のリアル

戦争のリアル 「敗けたから
しょうがない」
じゃ、済まされない

日本に足りない、戦争総括(第二次世界大戦)の重要性。
自衛隊の装備、兵器のディテールから戦争へと話を広げる。

兵器に詳しい人も、詳しくない人も、ネット検索片手に
読破することを激しくオススメ。

敗者の安逸にひたり、キレイ事を言っている場合ではなく、
しっかりとした防衛体制、戦略論が必要。

  • コミュニティへの帰属意識が戦争にどう影響するのか?
  • 戦争の勝利条件とは?
  • ナウシカの「風の谷」=日本?
  • RPG-7が自衛隊の最悪の局面を救ってくれる?

アニメの監督として、いち納税者として、必要な装備、
アメリカに騙された買い物を押井守監督と、
軍事解説者の岡部いさく氏が斬る!

妄想からスタートする兵器運用。
現実と妄想の境目の戦争についての対談。

戦争を語らない時に支払わされる、高くて重いツケとは?

押井:
太平洋戦争になった途端に兵隊を湯水のように消耗した。
なぜそういう変化が起こったのか。
僕に言わせれば、それは日露戦争を正確に語らなかったから。
戦争を語らないということのツケは、
必ず後世の人間の血で払うことになる。

戦敗国のその後、戦勝国のその後

押井:
やっぱり敗者であることの居心地よさにみんな涙してるだけ。

ルーザーであることのほろ苦さと自己憐憫(れんびん)の世界に
浸ってるほうが楽だから人間はルーザーになる。
ルーザーであることのほうが容易なんだ。ルーザーであることの、
敗者であり続けることの誘惑に勝てない。
日本は戦後60年間、敗者であることの言い訳に屈し続けた。
勝者になるっていう可能性は追求しなかったんだよ。

アメリカはいまだに勝者たることのツケを払い続けてる。
僕はいま現在、どちらかと言えばアメリカのほうに同情的。
ちょっかい出し続ける以外にアメリカっていう国は存続できないんだから。
外部っていうものが存在して、初めてアメリカはあり得るわけだから。
とりあえず外部を創り続けるしかない。

かつてのソビエト、ナチスドイツがそうだったように。
軍事っていうもので成立する国家というのは、
北朝鮮からアメリカに至るまでみんな同じ、
外部を創り続ける以外に国家を存続できない。

アニメ、ゲーム、漫画の中は戦い(戦争)を題材としたものが多い。
そこから日本の状況についての切り口をはじめる。

押井:
僕はどちらかでいうと、現状を政治として語るとか、自衛隊そのものを語るとか、
軍事レベルで日本の国防政策を語るとか、そういうことはとにかく置いといて、
日本人が持っている戦争文化そのものを問題にしたい、
そこから下ろしていって各論を語ると意外に正解に近づくんじゃないか、
分かりやすいんじゃないかと思ってるんです。

戦争の勝利条件から見る、アメリカのやり口。

押井:
必要十分条件は何かって言うと、相手の国の権力者もしくは戦争行為の当事者、
最終的には国民自体を銃剣の間合いに収めること。
要するに占領するっていうことなんだと。
占領を伴わない戦争の終結っていうのは基本的にあり得ない。
その前に敵が「参った」すれば別だけど。

その小銃の間合いに収めるということなしに、相手に参ったを言わせることが
アメリカのテーマになっている。間違いなくそうなんだ。
イラクではそれに失敗したわけだよね。

フセイン政府を叩き潰して、フセインの野戦軍を殲滅することはある程度可能だった。
だけどそこで引き上げちゃうと、第二第三のフセインが出てくるだけで
もとの木阿弥だと。
撤収した瞬間、またアルカイダがどどーっと入ってくる。
「テロとの戦い」っていう彼らのテーマから言えば、
あのへんの中東地域の国家を軒並み
アメリカの言うところの「民主国家」に改造する
つまりアメリカのスタンダードに変えるっていうことが、最終的には目的なんだよね。
それにはやっぱり暫定行政機関だけじゃなくて、最終的には国民の総選挙に基づく
民主政府を作って自立させない限り、戦争の目的は果たせないわけだ。

湾岸戦争時、イラクへ持っていかなかったモノ

押井:
戦車を持っていかなかったのもいまだに納得いかない。
戦車は確かにオーバースペックかもしれないけど、政治的な意味があるから
90式を持っていくべきだった。僕がいつか『226』(戦争を語るイベント)で、
なぜ90式を持っていかないんだってわめいたけどさ。
あれがあるだけで襲撃しようというゲリラの戦意を大幅に削げるだけじゃない。
90式が実際にどこまで使いものになるか試せるのは当然大きいですよ。

岡部:
だから四輌くらい持っていって、宿営地に置きっぱなしでもよかったんですね。

押井:
そうですね。僕はそう思う。

岡部:
三日に一度、50メートル走らせるぐらいでもよかったかもしれない。

       (~中略~)

押井:
宿営地に四輌ぐらいパークしてるだけで相当な抑止能力がある。
もちろんいざとなったら、そこをトーチカにして撃ちまくればいい。
実際に榴弾までぶっ放すかどうかは別としても。
持ってるところを見せなきゃいけないから、たまに撃てばいいんだよ。
公開訓練でもやって「ウオー」とか言わせればいいんでさ(笑)

自衛隊の装備に関する不明点

押井:
アメリカが出した結論が、ベトナムで大活躍したグレネードランチャー。
あれは革命的な技術だった。要するに冶金技術が上がったんで、薄くて軽い
擲弾筒が造れた。あれはいまだに現役だもんね。

擲弾筒なるものがなぜ必要だったのかといったら、
小銃で撃ち合って決着のつく戦闘は、
敵味方どちらにとっても耐えがたいものだから、
要するに短機関銃とガーランドを撃ちまくるっていうのは、
それは『コンバット』の世界だけ(笑)

日本の自衛隊って、そういうところをどう考えてるんだろう。
おそらく日本の64式から89式っていう流れは、
漠然とそういう戦術的用途を満たしてるん
だろうとは思う。でも遅滞戦闘をやってる間にどうするつもりなのか。
最終的に敵の歩兵部隊を殲滅させる手段はいまだに持っていない。
89式小銃の下にグレネードランチャーをつけるっていう発想はなぜないんだろう。
金がないから?
でも量産すれば擲弾筒ってのはじつは非常に廉価な兵器なんだよ。
なぜやらないんだろうかと、これも長年の謎。

ハンビー(大型四輪駆動車。民間仕様はハマー)と比較した
センターピラー(フロントガラス中央の支柱)の無さ。

押井:
トヨタメガクルーザー、あれもふざけた話で、
民生に落とすことを考えて設計してるじゃないですか。
だからセンターピラーがない。センターピラーあるかないかは軍用の世界では
ものすごく大事なことで、弾が一発当たったら、センターピラーがないと
たちまちフロントガラスが蜘蛛の巣になっちゃうわけ。
高速弾だったら穴が空くだけかもしれないけど。

いずれにしてもピラーがあるから半分は確保できる、
それを考えるのが軍用ってものなんであって、民生に落とすからはなっから
センターピラーは設計しなかったなんて、そんなふざけた話があるかと
いうことなんだよね。
兵隊のことをなんだと思ってるんだと
一方で世界一高いトラックをいまだに使い続けてる。
逆にあんなのは民生用でも全然オーケーじゃん。
あれが戦場へ行くわけじゃないし、仮に行ったとしても軍用か、
民生用かっていうのは大差ないじゃん。道路があるところしか行かないんだから。

銃でも戦闘機でも、武器の基本。
弾が当たる予感がするか、自分の身体にしっくりくるか。

押井:
それもこれも、「戦争のリアリティ」ってやつなんだ。
だからその戦争のリアリティの中身ってなんだと言ったら、
「勝つ予感」のこと。
勝つ予感がしない軍隊は、その時点で役に立たない。
勝つ予感だけ大量に注入するとどうなるかといったら、それは北朝鮮になる。

地形による、現実感の違い。

岡部:
北ヨーロッパってのは戦争のリアリティにどっぷり浸かり込んでますね。

押井:
ポーランドなんかまさにそうだよね。東西が必ず通過するところだから。

岡部:
そうそう(笑)

押井:
どっちから来るのでも必ず通る。

アニメ、漫画、映画、モデルガンにおける、社会的な回路の断絶。

押井:
追究して、それにお金を使おうっていう人間がけっこういるからこそ
商品化されるわけで。
それはある意味では戦争のリアリティを無意識に欲しているという願望の表れの
ひとつには違いない。だけど、逆にそういうところで消費されちゃってて、
勝つ予感につながる回路がまったくないんだね。
いくらサバイバルゲームをやったって、勝つ予感にはつながらないんだって。

僕はサバゲーは大嫌いっていうか、あんまりやる気はしない。
それだったら金をためてグアム行って、一発でも撃てばいいのに。
ガーランドだろうが、M16だろうがAKだろうがなんだってあるんだから。
ショットガンだって撃てるし、MGまであるんだから、とにかく撃てよって話なの。

――:
日本人は内面に抑え込んでいくのが得意ですよね。
例えばミリタリーのディオラマなんかでもものすごく細かく作り込むのなんて、
その典型でしょう。願望を外に出さないで心に押し込めていくという。

現実に沿った、文化的な落差。

押井:
要するにすべての戦争のリアリティが虚構のレベルで消費されている。
アニメのマニアと一緒で、「今度のガンダムはミリタリー的に評価できる」とか、
そういう会話になっちゃう。

岡部:
戦争ってものを、いつもファンタジーとか物語の世界に、棚にひょいっと上げて、
そこで下から眺めて「あー、面白いね」っていうような、日本人の『平家物語』とか
『忠臣蔵』とかに対する伝統な姿勢じゃないですか。

押井:
ああ、ありますね。

岡部:
文化の中の戦争の位置づけというか、
棚に上げて眺めちゃうっていう。

押井:
それは日本に「市民」がいなかったからだっていう話だね。
「市民」というのはヨーロッパでは「武装」しているのが当たり前。
武装した人間のことを「市民」って呼んでるわけで。
それはギリシャ以来の伝統で、納税義務と武装する義務、
これがあって初めて「市民」と呼ぶ。
だからこれがない人間に選挙権がないのは当たり前だっていう話。
だから女、子供はもちろん、かつては老人にもなかった。
壮年だけが国の命運を決する選挙権を持った。

日本にはそういう「市民」の伝統が皆無なんだよ。
江戸開城のときだって、江戸の町人たちは高みの見物をしてたわけで。
そういうレベルで言ったら、
「市民」レベルでの戦争を体験したことがじつは一度もない。

だから太平洋戦争っていったって、これもある本に書かれてたんだけど、
山間部の農村から応召された人間のなかで二、三人が帰って来なかった、
という以上のあらゆる戦争経験がない。

東京とか大阪とかで空襲を体験した人間は、それなりにいるかもしれない。
でもそれは結局、天から降ってくる災厄でしかない。
米兵の姿を見たわけではない。占領軍が来て初めて米兵の姿を見た日本人が
ほとんどで、兵隊に行った人間だって全部が米兵を見てるわけじゃない。
実際にジャングルで米兵を目の当たりにした人間なんて、
数えるほどしかないはず。それを戦争の経験って呼んでいいのか。

それよりも、もしかしたら、毎月一回防空壕に飛び込む訓練をしてることの
ぼうが、戦争の体験と呼ぶにふさわしいんじゃないか。
ロンドンの市民で地下鉄に走り込むっていう訓練をしてない人間はいない、
かつてはね。いまは分からないけど。
僕なんかは、戦争体験っていうのはそれを指すんじゃないかっていうふうに
思うんですよ。

だからいまの日本で、個人で求めてどんな戦争体験が可能なんだろうか。
傭兵に行って銃を持ったとしても、果たしてそれを戦争体験と呼ぶのか。
それは他人の戦争に給料もらって行っただけであって。
自分の国土で自分の庭で、銃を持って逃げまわるっていう経験を戦争体験と
呼ぶんじゃないか。もしくは見知らぬ国に下ろされて、今日からここで
戦うんだと宣言されて、生きて帰る保証がないと言いきられたときに、
初めて戦争体験と呼ぶんじゃないか。

だからじつは日常の世界でも戦争体験が僕はありうると思っている。
別にグアムに行って突撃銃を撃ちまくらなくてもそれは可能なんだ。
だけど、防空訓練どころか地震訓練すらほとんどやってない国で、
どんな戦争のリアリティが可能なんだと言われるとたぶん何もない。

島国であることの危機感の下落。

押井:
日本人でいることに苦労なんていらないですからね。
たまにワールドカップとか、オリンピックとかない限り、
「日本」っていう言葉に反応しないし・・・
反応するのがいいわけじゃないんだけど。
でも日本にいることによって自分の生命・財産が守られてるってことを、
意識しないですんでますよね。
しいて言えば納税通知書を見たときだけ(笑)
「あ、俺は確かに日本人だ」って。
少なくても国家の側は僕を忘れていない、それは納税者として、だけど。

ところが、例えば物好きにもアフガンとかに行って誘拐された途端に、
余計なことしやがってと言われちゃう。
たぶん大使館は何もしてくれないだろうし。
山田正紀さんもそう言ってたからね。山田さんはアフガンかどこかで
警察に捕まって放り込まれたとき、大使館から本当にゴミ扱いされたって。
ただのバックパッカーごときはね。

映画監督が行ったって、役者が行ったって同じだけどね。
役人が来ない限り、大使館の人間なんて何もしないから。
それでいったら、ふだんは忘れてても、
国家は納税者としては忘れていない
それ以上でも以下でもない。

岡部:
裏を返せば、気を抜くと途端に日本人でなくされちゃうという危機感がぜんぜん
日本人にはないわけじゃないですか。うかうかしてると東からロシア人が攻めてきて
「お前らロシア語しゃべれ」とか、「ロシアに税金払え」とか、
「皇帝の言うことを聞け」とか言われることはないし、
西からドイツ人が来て家畜を持っていかれちゃうとか、
日本人はそういう目に遭いませんもんね。

押井:
それでいえば、厳密な意味で占領されたこともないしね。
占領統治というのはほんの一瞬あったけれども。ご丁寧なことに、
いいものをいっぱい置いていってくれた
って思い込んでるし。

このまま能天気にずっと存続してればいいじゃんっていう発想は
当然あるだろうね。でも、本当にそうやって能天気に存続できるのかというと、
けっこう怪しいんじゃないかなと。

メディアに騙されるな。

押井:
実際、政治レベルとか経済レベルだけでは、
国の危機意識っていうのは絶対語れない。
自分がそっちの世界にいる人間だから、余計そう思うんだっていうことになるかも
しれないけど、それだけじゃない。

日本人は文化的に保護されているっていう危機意識がないんだよ。やっぱり
中国のキャンペーンに乗せられているんだよ。
日本人の何割かは確実に中国の宣伝にやられてるよ。
中国の市場なしに日本の経済は成り立たないんだって、本気で信じてるやつは
いくらでもいる。たぶん政治家とか経済人とかでも。これも宣伝のひとつ。

僕に言わせれば、あんなものなくたって全然OKだよ。
アジア中に護衛艦を売ったらいいんだとかさ、そういうふうについ思っちゃう
んだよね(笑)護衛艦とヘリコプターは売り物になる。
あとは潜水艦もいけるかな。飛行機はちょっとダメっぽいけどね。
ライフルもダメだろうねきっと。

日本はアニメとゲームだけじゃないんだよ。
それがいいかどうかは別として。でも、中国市場がなかったら日本経済は
立ち行かないんだって幻想を信じるくらいだったら、そっちのほうがよっぽど
マシだろうと。実際いらないもん

いつから具体的な考え、現実感を無くしてしまったのか。

押井:
日本に存在するのは言葉のリアリティだけ。
僕が言うのもなんだけど。

岡部:
日本人ってそれこそ模型を作ったりとか、手先は器用で非常に具体的なものが
好きなのにね。なんで具体的に考えることは苦手なんですかね。
これは江戸時代の朱子学の影響?
あれは何か抽象的にものを考えると偉いみたいな

漢字の装飾、雰囲気に騙されない。

押井:
英語は即物的だから、そういう装飾を施して言葉だけでも
リアリティを生んでしまうという機能が限りなく低い。
コップはコップだしという。でも漢文を並べちゃうと、なんとなく内実があるような
気がしちゃうでしょ、「乾坤一擲(けんこんいってき)」とか。

一同:
(笑)

押井:
乾坤一擲っていっても、英語に翻訳すると、
たぶんものすごく単純な言葉になりますよね。
ガッツ(guts)だとかね。ファイト(fight)って言葉はないんだけど。

岡部:
Decisive war.とか、単純ですよね。

押井:
漢語の文化圏というのは、どうしても言葉のリアリティに負ける。
実務とか実業とか、そういうレベルになると、途端に弱点が出る。
軍務令とか要務令とか言われてる世界においては、
それがあからさまに出てきてしまう。
実に無内容な文章しか書けない
例のミッドウェイのときも、レイテのときもそうだけど、
作戦目的がさっぱり分からない
いっぱい書いてあるんだけど、優先順位すら分からない。
そういう文章を元に戦争をやっちゃったのがそもそもの間違いだと、
そういう説もありますね。
日本語ってやっぱり独特だし、和歌を詠むことが最高の、
インテリの証でもあるし。

岡部:
漢文を読みこなすのとね。

最悪の事態は、みじめな状況?

押井:
日本で考えられる最悪のシナリオは何かを考えてみましょう。
核攻撃は別とすれば、ですけどね。
もし上陸されたとしますよね、可能性としてかなり低いんだけど。
そうすると遅滞戦闘をして大損害を出すことになるから、
たぶん『被害担当師団』みたいなのが間違いなくあると思う。

要するに自衛隊の後詰が出てくるっていうんじゃなくて、
米軍が来るまで体を張る被害担当師団。
遅滞防御しながらどんどん損害が出て。しかもたぶん兵站も備蓄も、
国内の戦場なのにそれほどいい状況だとは思えないから、
後退する部隊は次々と再編成を繰り返しながら、指揮官を取っ替え引っ替え
しながらね、だんだんシンプルに戦うしかなくなってくる。
おそらくそうなるだろう。もしかしたら都市部も占拠されるかもしれない。

岡部:
そうでしょうねえ。

押井:
で、そうなった場合どうやって戦うのか?
ヘリとか地上攻撃機とか入れまくって立体的に戦うなんていうことが
どこまで成立するんだろうか?
僕は結局「個人ががんばるしかない」という局面がいっぱいくるような
気がする。そうすると畑にタコツボ掘って、ロケット一発ずつ渡して
「とにかくがんばれ」と、それしか言えないという
局面があるような気がするんですよ。

岡部:
そうですよね。
コンビニの脇で倒れてる
自動販売機を遮蔽物にして・・・

みたいなそういう戦闘ですよね(笑)

押井:
場合によっては、ガソリンスタンドに爆薬を仕掛けて・・・
とかね、いくらでもあると思うんですよ。
だいたい橋を一発で落とすっていう研究をやってるんだろうか?

岡部:
国交省が許してくれません(笑)

F-22(ラプター)の暗部と手間。

押井:
修理はロッキード・マーティンまで持っていかないとできない
っていう状態で戦争できるかという。

岡部:
修理どころか例えばレーダー警戒装置、まあESMなんですけども。
例えばあれのデータのアップデートをするとか、コンピュータの
アップデートをするのだって、全部アメリカに持って帰らないとできない
って話になりますよ。
あるいはロッキード・マーティンの人に来てもらって、
日本人の知らないところで
やってもらうか(笑)

押井:
ソースコードだけは絶対に明かさない、っていうことでしょ?

岡部:
そこがいちばんの問題でしょうね。F-22のステルス性というのはつまり
自分からはなるべくレーダーを出さないと。
で、ESMだけで敵の種類とかそういうものを識別して、
方向とか距離とかまで識別して、っていうのが狙いなわけです。
そのためにはESMにはしっかりしたデータベースがないとダメなんですよね。
それはつまりアメリカ軍がこの何年、何十年とかけて蓄積してきた情報であって、
それつきでポンと売ってくれるわけもなく・・・

押井:
ロールプレイングゲームの『ドラゴンクエスト』の、
膨大な戦闘シミュレーションを繰り返したダメージ表
っていうのがあるんだよね。
あれは敵モンスターがランダムに出なきゃ面白くないわけだけど、
ランダムに出てなおかつプレイヤーが普通に戦って九割は勝てそう、
という絶妙なレベルね。
あれはあの会社というかあのチームの飯の種なんだよね。
どこにも公表しないし、それを獲得するためにおびただしい
シミュレーションを繰り返してるんだから。
モニターを何百人も使って、何百時間も徹底的にやらせて、その結果作りあげた
表なんだよ。それに従って作ってるからあのゲームバランスがとれる。
それと同じでさ、要するに基礎研究にお金を使ってるわけ。
それは絶対に見せたくない
っていうのはよく分かる。

兵器体系をアメリカに依存し、F-22を買うデメリット

押井:
政治上の選択肢として、アメリカ寄り以外の選択肢はとれない
ということを宣言するようなもんでしょ。

岡部:
だからそれほどの覚悟を決めてからじゃないと買えないというか、
「買うとなるとそれぐらいの覚悟はいるよ?」
と私はいろいろ言ってるんですけどね。

押井:
耐用年数が切れる向こう20年間は
アメリカのおともだちでいなきゃいけない。

岡部:
そういうことです。

押井:
そういう選択を含むわけですね、あれを買うってことは。

岡部:
だから、インド洋の補給艦を引っ込めたら、
F-22の部品が来なくなった

なんていうことがあるかもしれないですよ(笑)

押井:
まあ、嫌がらせもされるだろうね。

押井さんが何度も念押しする、この兵器のコンボ。

押井:
(日本が)台湾海峡を守るということの大前提は、
もちろん核武装をするっていうこと。
それしかあり得ない。正規空母をアメリカ並に運用して、あそこに責任を持つ
なんてことはたぶんそれはできない。だから原潜を本気になって開発するしかない。

岡部:
そうですよね。ああいう空母って走らせるだけで、
一年に200億から300億ぐらいかかりますからねえ。

押井:
そうそうそう、運用するだけでそのぐらい消えていく。
そんな国力はとてもじゃないけど日本にはない。
いま世界中でアメリカしかないよ。

岡部:
で、しかも6000人もあれに乗るわけでしょ?

押井:
そう、だから人件費がすさまじい。

岡部:
6000人っていうと一個護衛隊軍の乗組員を丸々使うことになる。

押井:
それを訓練して、教育して、さらに再教育のシステムを作って。
それを考えたらね、どう考えたってそんなことをできるのはアメリカだけ。
そんな力はヨーロッパのどこの国にもないし、
もちろんロシアにも中国にも未来永劫ない。

岡部:
ええ。

押井:
だから日本がその真似をする必要はない。
僕は軽空母を日本海に並べるべきだと言うのは即応力の問題だけ。
一朝事があったときに最初のストライクが撃てるかどうかであって。

岡部:
それだったら潜水艦と巡航ミサイルっていう組み合わせにしたらどうですか?

押井:
だってやっぱりねえ、空飛ばなきゃダメですよ(笑)
潜水艦って基本的に見えないんだもん。
なんていうか要するに、国民にアピールできない。
「潜水艦がいっぱいあって大丈夫ですから。安心ですよ
と言ってもね、目の前に見えてない。これは大きいよ。

岡部:
大きいですね。

押井:
僕なんか、アメリカがいまでも戦略空軍を持っている理由は
それしかないと思ってるもん。

岡部:
(笑)

押井:
だってそうでしょ? じゃあB-52が実際に何をやったわけ? って話でさ。

岡部:
ええ、そうですよね。B-2(ステルス爆撃機)だったらフットボールの試合のときに
会場の上を飛ぶっていう芸当ができますからねえ。

押井:
そうそう、そういうことができる。

岡部:
原子力潜水艦がサンフランシスコの球場の
沖合に浮上しました」
というだけでは・・・

押井:
浮上航行したとしたところでぜんぜん絵面にならない。

岡部:
そうです(笑)

押井:
タイフーン級の潜水艦を並べてみせたって、やっぱり戦略爆撃機の編隊には
勝てない、絵面的にもね。だから空飛ぶものは必要なんですよ、やっぱり。
最低限。だからそれにはね、日本海だったらもうハリアーで決まり。

岡部:
(笑)

海洋立国日本、地理的都合の良さ

押井:
タイフーンだビゲンだというのもいいなと思うんだけど、
でもやっぱりスホーイだな。
あとはまあ、道楽だと思って
ハリアーを軽空母に四杯分(笑)

岡部:
えーっ(笑)

押井:
絶対役に立つんですから!
でも北朝鮮の工作船とかそういうことを考えたときに、
海上自衛隊とヘリコプターという選択肢はもちろんある。
確かにヘリコプターで十分対処可能だと思うんだけど、でもそこはやっぱり
ハリアーで一直線、というのがいいんですよ。

岡部:
そういうことを考えれば軽空母というのもあり得るかもしれないですね。

押井:
僕は軽空母を別に侵攻戦力と考えているわけではもちろんなくて、
言ってみればコーストガードの延長線上。
たぶんそのぐらい日本は守備範囲は広いから、海上保安庁だけで手に余るのは
もう分かりきってる。でも海上自衛隊の護衛艦をそれにあてるっていうのは、
これは費用対効果ではおいしくないと思う。

岡部:
ハリアーがAIM-9と機関砲を積んで空飛んでれば、
とりあえず向こうの船の上のヘリコプターは・・・

押井:
うん。まったく無力化できるから。

岡部:
だから長距離洋上の偵察機、哨戒機、ここらへんも動きがとれなくなってくるし。

押井:
全部カバーできますよね。だからお得だと思う。
で、軽空母四隻っていうことは基本的には二隻浮かべる。
訓練も兼ねて半分ぐらいに考えておけばいいんじゃないかと。
四隻全部稼働するわけないし、四隻持って三隻稼働させておいて、
一隻は訓練に使うというのでも構わないけれども、
でもやっぱり定期的に大改修すると
考えると、だいたい常時二隻態勢かな。それで二つの海峡はカバーできるから。
それでいいんじゃないかな。

欠陥空母を造ったフランスについて。

押井:
シャルル・ド・ゴール(フランスの原子力空母)が竣工した途端、
ダメ空母だということを証明しちゃったのは、たぶんいろんなことを考えて
造ったんだろうけど、やっぱりトータルデザインがないんだと思う。
なんのためにどうやって使うのか、地中海から出ていく気があるのか
ないのかということも含めて。

岡部:
エレベーターを下げていくと波をかぶっちゃうというのは
大変な騒ぎですよね。
なに考えて空母を造ったんだという。

押井:
飛行甲板の長さが足りなかったとかさ。
だいたいあの原子炉って大丈夫なのかしら?
核兵器を自力で開発したところまでは、まあ大したもんだというかご立派というか。
で、政治的決断とか政治的能力は高いのかもしれないけど、
技術的な話になってくると途端に怪しく
なるというか。あの国って車もダメだし・・・という気がするけどねえ。

日本のアイデンティティ

押井:
日本という国は、いろんな幻想とか迷妄とか、そういうのを取っ払っちゃって、
民意を集中することが可能であれば、何をやってもそこそこいくはずだ
という信頼感は失ってないんですよ、いまだに。
それこそ「日本人は優秀でいざとなれば一年で核ミサイルを造るんだ」とか、
「F-22よりすごい戦闘機をいつか造るんだ」とか、
そういうアホなことは考えないし。
でもこの国の国土をそこそこ守り抜いて、これからも国として生存していくって
いう可能性というか潜在力は十分に持っていると思うよね。
だけどそれを証明しようという意欲もなければ、必要性も感じてない。
要するにサボってるんだよね。いろんな意味でね。

岡部:
そうですね。

押井:
日本人としてのメンタリティとか潜在的なスペックを活かそうっていう動機がない。
そもそも戦争に負けてこのかた、『動機』というものを持ったことがない。
あるとすれば高度経済成長だけ。でも高度経済成長を果たしたけど、
バブルが弾けちゃって。国として目標を失ったんだと思うね、日本人としても。
日本人として自己を実現するっていう人間はたぶん出てこないと思う。

岡部:
面白いのは、日本人って日本人であるアイデンティティを
自分で声高に確立しなくていいじゃないですか。

押井:
それですんじゃうんですよ。

岡部:
ある意味幸いなことに。アメリカのヘリテージ財団の人だったかな?
韓国系アメリカ人の東アジア問題研究家のお姉ちゃんが、いまと言う時代は、
東アジアのいろんな国にとっては「新しいアイデンティティを探している時代だ」
と言っていたんですよ。
中国はああいう経済成長をして、資本主義に組み入って、
大国としてのアイデンティティを求めている。
韓国は軍事政権があって民主化して、北朝鮮の問題を抱えながら
いまでもそういう防共国家から新しいアイデンティティを探していると。

日本はそういう意味で「経済力だけじゃなくて」という新しいアイデンティティを
求められている時代になってきているんだ、と言われると
「ああ、なるほど。そうなのかな」と思いますけど。
確かにいままで日本人っていうのはアイデンティティの問題を外から突きつけられた
ことはないですよね。なんとなく日本人でいられる
何もしなくても日本人でいられる。

押井:
とくに証明しなくてもいい。でも、未来永劫そうなんだろうか? と言うと・・・。

岡部:
そうじゃないんじゃないの? と思うんですけどねえ。

押井:
そういうラッキーな国は歴史上、
他に存在しないと思うんですよ。といって大英帝国みたいなああいうふうな
メンタリティは「持て」って言われても持てないし、持つ必要もないと思うんですよ。

岡部:
ええ。

押井:
同じ島国でもこれだけ違うかってことのほうが多いわけで、
それで言ったら日本人はそうとう変わってると思うよ、やっぱり。
置かれた環境が特殊と言うだけじゃなくて。

ポーランドの例。因縁付け合いのヨーロッパはやっぱり、したたか?

岡部:
ポーランド人なんてどれだけアイデンティティを踏みにじられてきたか(笑)

押井:
あの人たちは、放っておいたら「自分は誰なんだ」って話になっちゃうから。
軍事的なことに対してはみんな好奇心強いし、何かと言うとなんとか記念日だとか、
なんとかパレードだとかしょっちゅうやってて大好きだし、
とにかくポーランドとして自己主張し続けていないと、というのが確実にある。

去年『スカイ・クロラ』のロケハンに行ったときに、
ちょうどF-16が導入されたばかりで、
もうニュースはそれ一色

岡部:
うわあ。

押井:
一日中そのニュースやってんの。
「やっとF-16が来た!」って。
「これでMiG-21ともおさらばだ!」

岡部:
(笑)

       (~中略~)

岡部:
本当にポーランド人なんて、何が欲しいって東西に海峡が欲しいんでしょうね。

押井:
たぶん。

岡部:
ほんのちょっとでもいいから海が欲しい、みたいなことはあると思う。

押井:
国境が50年と安定したことがない
わけだから。そのたびにこっち行ったり、あっち行ったり、またこっち行ったり。
まあそうは言いながら、ポーランドもけっこうやることやってんですよね。
便乗してウクライナ占領してみたりさあ

岡部:
(笑)

押井: やっぱりさすがはヨーロッパ、一瞬の隙も見逃さない。
ちょっとこいつ弱ってるな、と思ったらすかさず
入り込んじゃう。「千何百年前はウチの国だった」って言えば
どこだって言えるんだから。

一同:
(笑)

潜水艦の良いトコ。悪いトコ。

岡部:
この間キティホークが香港に入港拒否されたんでアメリカが怒ってますけど、
どうやらダライ・ラマにメダルをあげた
のの意趣返しだっていう話があって、
その前からしょっちゅうアメリカの空母は香港に出入りしてるんですよね。

しかも去年だったか一昨年だったか、天安門記念日のちょっと前の香港の選挙の
間近にエイブラハム・リンカーンかなんかが入ってるんですよ。
それって香港の民主派にしてみれば「天安門前にアメリカの空母が!」という、
すごいインパクトですよね。
しかも空母って港を見れば必ず目に入る
じゃないですか。
他のどの船よりデカいし、あれはやっぱり潜水艦が一隻、真っ黒なまんま
桟橋についてても絶対ダメですね、そういう意味じゃね。

押井:
そうだね。「なにそれ?」って感じだもんね。

岡部:
だからやっぱり潜水艦ってのは見せても意味ないですね。
やっぱりあれはふだん見えないところに意味がある。

押井:
あると言いはるだけでいいんだよ。
時々あるふりをしてれば(笑)

岡部:
そうそう。あるふりができるという。
フォークランド紛争のときのアルゼンチン海軍みたいに。

押井:
本当にいたのかな? って。

岡部:
いちおう『ジェーン年鑑』のアルゼンチン海軍のページに「潜水艦」
って書いてあるだけで、イギリス海軍はあれだけ対潜警戒網を張らなきゃ
ならなかったという。

首都攻撃かと思わせて、フェイクをかまされる?

押井:
日本海側には戦力目標が何もないから素通りして東京に押し寄せてくる、
と思ってるかもしれないけどじつは山盛りなんだからね。
原発の六割が日本海側にある
それが気になって気になってしょうがない。

これをやられちゃったらテポドンが落っこちてくる以上のことになる
わけじゃない。だからそれを本当にちゃんと守れるのかしらと。
何を考えてあんなに日本海側にいっぱい作ったんだろう。

岡部:
とくに夏場の暑い時期に日本海側の原発を制圧されて、東京に電力が行かない、
クーラーも全部止まる。そうすると「暑いからもう降伏してよ」って、
そういう世論になっちゃうかもしれない(笑)

一同:
(笑)

押井:
「とりあえずなんとか手打ちできないか」とかね。
「対馬あたりでうまく帳尻合わないかしら」とか言われたら
たまんないからさ。
だからそれを考えると、軽空母でハリアーで機関砲で撃ちまくるというのが
意外といいのかなと思った。

中国がイヤがる事。

押井:
中国は「金持ってるところがいつでも独立するぞ」という危機感を持ってる。
それをさせないためにあらゆる努力をしてるんだから。
ましてやそういう国が空軍だ海軍だというのは、どう考えても持てるとは思えない、
人民解放軍は成立してるけど。

岡部:
いまのところ中国はみんなお金儲けという求心力でひとつになってますけどね。

押井:
それがうまくいかなくなったらどうなるか。
要するに沿岸部はみんな自治区になりたいわけだ。
みんな独立したいわけ。内陸部の貧乏人を抱え込むのは絶対イヤ。
もともとそういう国民的な意思統一ってないんだもん。

岡部:
ましてや北京中央政府の役人にあれこれ指図されるとか、
賄賂を払わなきゃならない
なんていうのはもっとイヤなはず。

将来はイイトコ取りの日本鎖国

押井:
日本人っていうのは基本的にこの島にこもってね、
みんな同じような顔した人間同士で
なんとなく仲良くやっていこうぜ
っていうのがいちばん合ってるし、本心を言えばそれしかないんだもん。
「世界のお役に立ちたい」とか、そんなのは・・・

岡部:
ウソウソ。

――:
(笑)

岡部:
だって世界が分かってないから。

押井:
そうそう(笑)

岡部:
「どういう役に立つか」ということすら分かってないですよ、たぶん。

押井:
島にこもって自給自足やって、たまにお客さんが来たら歓迎するよ、という、
それがいちばん合ってると思う。だから将来はスペースコロニーだと言ってるんだ。

アホのな政治家と官僚どもは、もっと兵器のお勉強を。

押井:
本当にあの人たちはものを知らないからね。
ふだんは外交でいいところ見せるために足も切り捨て、爆撃能力も切り捨て、
爆撃照準機も積んでません、って目いっぱいアピールして。

岡部:
しかもそれ、「外交的にいいところを見せる」って言うけど、
それがいいところだと思ってるのは日本人だけですからね。

押井:
じつは逆なんだ。そういうことをやってるからつけ上がる。
だったら飛行機を持つ意味がないじゃない。
「いざとなったら爆撃できるんだぜ」
ってアピールのために飛行機を買うんであって、お互いにそれを、
いわば留保し合ってることが、言ってみれば戦争の抑止そのもので。
依然として発想の根本はそこにあるんだよ。

撃ってきたらなんとかしようという発想で、
ものすごい国防予算を組んで「絶対全部撃墜してみせます。
テポドン一発に対してPAC-3を100発用意してあります」って、
そんなバカなことはできないわけだ。そんなものはなんの役にも立たない。
そんなのに税金使ったらさすがに黙っていられないね。
だからそういうことをやめようよって話なんだよね、単純に。
どう考えたって曲芸だもん。クレー射撃より難しい。
射撃やってるから思うんだけど、動いてる目標に当てるって別次元だからね。

機能美としての兵器デザイン

押井:
銃や戦闘機のデザインというのは、やる気が出るかどうかというのが
じつは重要な要素としてあるから。
これは僕が言ってるんじゃなくて、
有名な飛行機の設計をやってた人が本で書いてた。
戦闘機のデザインというのは、乗って勝てそうな予感がするかどうかが
やっぱり大事なんだって。

岡部:
ああ、佐貫亦男さんですね。

       (~中略~)

押井:
でもたぶんね。勝利の予感がする戦闘機というのはあるんだよ。
スピットファイアはまさにそう。ドイツ軍だってメッサーシュミットがなかったら
あそこまでイケイケでいったかどうか分からない。
メッサーシュミットであるがゆえに戦争がデカくなっちゃった。

岡部:
(笑)

押井:
確かにそういう意味で言えばね、あのデザインはそういう好戦意欲をそそる。
フォッケのほうが妙になじんでて好きなんだけど、まったりしてて。

岡部:
メッサーの109と110と、それからスツーカとユンカースの88があったら
「これだったらモスクワを陥とせる!」
と思いますよね。

押井:
「勝てそう!」って感じ。

軍事がアニメや映画を模倣する

押井:
実際の軍隊とかさ、実際の戦場ってそういうふうに、
どこかしら虚構を模倣する
現実が虚構を模倣するんだっていうことはむしろ戦闘とか軍事とかいう世界では
どちらかと言うと当たり前で、「日本だったら巨大ロボを開発するんだ!」という
オヤジが出てきてもおかしくないと思ってるよ。

あれもこれも。の大弊害。

押井:
さあ造ろうっていうときにみんな冷静になるんだよね。
実際に予算をかけていざ造ろうと思うと
「うーん、あれもやれるようにしとこう。これもやれるようにしとこう」って。
そうすると岡部さんの連載(世界の駄っ作機)みたいに、
イギリス空軍当局の要求仕様みたいな「あれもこれも、これもあれも・・・」という(笑)

岡部:
(笑)

押井:
結果としてとんでもないものが出来あがる。駄作機の世界というのは
たぶん現実過程の反映だと思う。
そうじゃないものに関してはいわゆる超兵器なんだという、
成功したものはひと握りしかないんだけど、
それは妄想の体系が生んだものであって、
極端な単用途極端な汎用性
というのはじつは同じようなものなんだよ。
どちらもある種の妄想の体系。
それがいまだにやっぱり横行してるし、たぶんなくならない。
なくならないからこそ僕らがやってるアニメーションは正体不明の兵器を量産して、
飯の種になってる。それは三連砲塔の戦車みたいなものと本質的に変わらない。

映画やアニメのイメージに引きずられる現実の戦争

押井:
政治家とかジャーナリストとか、そういった人間たちを含めて、
戦争を語ろうとする人間たちは意外にそういうふうなものに無防備だったりする。
どこまでが妄想で、どこまでが現実なのか。
戦争というのはたぶんその現実と妄想の中間にある。
ある局面では妄想は有効だったり、妄想ゆえに敗北したり。

軍人たちは戦争に対して常に現実的であろうとするんだけどさ。おそらく政治家も。
政治家なんて戦争をいちばん現実化したい人間の最たるものだよね。
マクナマラがやった戦争がそうだったから。
彼は戦争を現実化する努力をした。その努力の中身は何かと言ったら、
現実化するために「数値化」したんだよね。
彼はマーケティングの専門家、ビジネスマンだったから、戦争を現実化するための
唯一の方法は数値化することだって思いついたんだよね。
これが結局ベトナムのアメリカ軍の苦戦を招いた、間違いなく。

       (~中略~)

誰だってそういう「戦争を現実化したい」という願望と、
「妄想の戦争で勝ちたい」という願望の間で絶えず揺れ動いている。
どんな高級軍人だろうと、優れた政治家だろうと、一国民であろうと、
“これ”から自由であり得ない。
経済の世界とか他の世界でそういうことがあるのかどうか知らないけど、
戦争だけは別世界だよいまだに。
どこかしら妄想の上に成立している。
たぶん日本の自衛隊もその妄想から自由じゃない。
空自の正面装備願望というか、
「とりあえずアメリカ軍と同じ戦闘機が欲しい
という。

岡部:
(笑)

押井:
なんでそうなるのかなあ。少しは違ったこと考えればいいじゃん
とか思うけど。そうすると、現実的じゃないって話になるんだよね。
だったらその「現実」ってなんなんだよ
って話なんだよ。
「どういう戦争を想定してるのか」という話から始めると、けっこう曖昧になってくる。
別に僕が言ってることが全部正しいとは思わないけどもさ、
そういう部分もあることは確かであって。

       (~中略~)

押井:
ランカスターみたいな大型のバスみたいな爆撃機でも、
あれで何千機で編隊組んで飛んできたら勝つに決まってる。
たとえそれで何万人死んでもいいという覚悟があれば、だけどさ。
戦争ってそういうもんじゃん。
現実原則だけで勝った戦争もないし、
妄想だけで勝った戦争もない。

現実の戦争を担った歴史上の人間たち、おそらく現在もそうだけど、
みんな現実と妄想のその間で右往左往してる、
振りまわされてるという。戦争を克服した人間はおそらくいない。

お互いの温度差を解決する前に、同じ妄想に浸っていないか確認する。

押井:
『航空ファン』とかの議論を見てても、何か違う気がするんだよね。
岡部さんも書いてたけど、それぞれの論者の考える戦争のリアリティと
いうのが、微妙にみんなあきらかに温度差があるんだよ。

岡部:
ええ。

押井:
「どんなに高くても必要なものは買うべきだ」と言う人には、
それはやっぱり現実感覚に裏打ちされてるという自信があるんだよね。
「あんなものは高いだけだ。もっとお利口な調達をするべきだ」と言う人は、
逆の意味の経済原則という現実を自分は獲得してると思ってるわけだよね。
だからどちらも正しいんだよ。
だけどもしかしたら同じ妄想の中にいるのかもしれない。
日本人自体がそもそもそれ以前に戦争から疎外されているからで、
戦争を現実化できていない。

近代の戦争によってどの国に、利益が舞い込んだのか?

押井:
ノルマンディー上陸以降というのは、本当に意味があったんだろうか?
あとはアメリカにまかせときゃよかったんだ、という説もあるし。
ただアメリカはやらなかったかもしれないけど(笑)

あの戦争でイギリスが得たものってなんだったんだろうと。
冷静に考えれば、植民地を失っただけ。
じゃあアメリカが第二次大戦で手に入れたものは何か。
肝心の中国市場は共産軍の内戦で全部パーになっちゃった。
結局なにひとつ手に入れられなかった。
それでフィリピンも最終的に手放すことになった。

岡部:
世界最大の海軍国になって、世界中の海洋は支配したけども。

押井:
同時に世界最大の地上軍を作ったソ連も、そうであるがゆえに
結局あれから50年経って破産した。史上最大の地上軍を作っちゃったからね。

岡部:
東ヨーロッパの諸国を手下に抑えておくのにあれだけ苦労して(笑)

押井:
結果的にその最大の地上軍を持ちきれなくて崩壊した。
あれ、やめられなかったんだよね。本当は独ソ戦が終わったときに全部解体して、
帰郷させればよかったのかもしれない。
だけどそうすると東欧に残せなかった。東欧を自分の手にできなかった。
自分の領土的な野心に負けたんだよ。
経済性から言ったら、東欧を手に入れたからって
何か有利になることがあったのかと。
東欧に油田はあったけど、別に自前の油田に不自由してないし、炭田もあるし。
なんの意味があったんだろう?
だから史上最大の地上軍を持ったがゆえに国自体が破産した。
結局半世紀もやめられなかった。

岡部:
アメリカだって結局、フランスやイギリスから自分たちの植民地支配の後始末を
全部押しつけられたわけですもんね。
ベトナムといい、中東といい、貧乏クジ引きっぱなし

押井:
フランス人の後始末をするのに30年かかった。
結局、誰が得したんだろうと考えると、
たぶん旧植民地のアジア・・・しいて言えば。あと毛沢東、それだけじゃん。
とりあえず共産中国は成立した。
しばらく冷戦の時代は全部、第二次大戦の成果物だった。
じつは社会主義自体が、イデオロギーで勝ったわけじゃなくて、
戦争で獲得したものだからね。
キューバもアフリカも中国も。逆にいまとなっては何も残っていない。
キューバだけはいまだになんとかやってるけど。

だから戦争で何かを得た国なんてひとつもない。
日本なんてコテンパンにやられたけど、とりあえずは冷戦のおかげでここまで
経済成長した、小ずるく。
小ずるくかどうかは分からないけど、あえて言えばね。
戦前よりもリッチになっちゃった。こんなバカな話があるかという。
だから戦争って本当につくづく不思議なものだと思うよ。

2008年8月29日

ラクをしないと成果は出ない

ラクをしないと成果は出ない 補助輪
無しの喜び

生産効率を飛躍させる知恵が、
読みやすく見開きで展開される。

盗んで組み合わせる、ゼロから築く無駄等。

これは是非とも実施したい。

会議は一企画につき二度だけで終える
会議の理想形とは、二回で結論が出ることだと私は思います。
一回目は、企画を絞り、どの企画にゴーサインを出すかを決める会議。
二回目は、それが具体化したものを最終形にするために軌道修正する会議。

オーダーメイドの服を作るのと同じだと考えればいいでしょう。
まず注文して、どんなデザインにするか決めるのが一回。
仮縫いしたものをフィッティングし、細かな調整をするのが一回。
あとは仕上がった服を受け取るだけです。

仕事を楽しむ。

外部の人に自分の仕事のおもしろさが伝わらなければ、
それはつまらない証拠

部外者に説明する際には、不可欠な要素がいくつかあります。
まず、自分の仕事がどういうものなのかを自分自身、理解していること。

次に、それをきちんと説明する言語能力。
さらに、利害関係がないプライベートな間柄の相手にも興味をもって
聞いてもらえる、話のおもしろさ
何より、自分自身「仕事がおもしろい」と思っていなければ、
仕事を理解することも、おもしろく説明することもできません。

もし、仕事がおもしろくてたまらなければ、誰かに話したい、
わかってもらいたいと思うはずです。

飲み屋のオネーチャン相手に繰り広げてもダメ。
だって、それを笑顔で聞くのが仕事だから・・・
ホントに利害関係のない人に試してみよう。

仲良しな関係を勘違いしない。

自分に対する相手の
優先順位を上げてもらう
ことが仕事の基本

その人と気が合うということと、仕事においてその人から信頼、尊重
されているかどうかはまったくの別問題なのです。

惰性でズルズル続けない。

「つまらない」と思ったら、できるだけ早く撤退する

このとき注意したいのは、「つまらないことをやめる」というのと、
「もう歳だから新しいことに挑戦しない」という話は、まるで違うということ。

波瀾万丈の愉快さ

公務員の定年挨拶の定番「大過なく任務を全うし・・・」が、退屈なのは明かです。
旅の土産話にしても「何事もなく無事帰国しました」よりも、
飛行機に乗り遅れたり、レストランでボラれた話のほうが、
はるかにワクワクするでしょう。

新聞、テレビのニュースはもう見ない。

情報収集にのめりこまない
情報とは「出合う」ものだからである。

周りの人が誰も話題にしないニュースというのは、何の意味もないし、
知らなくていい話だということになります。

重大なことは人から教えてもらう。これがいちばんの情報収集法であり、
それは「出合う」類いのもの。
上司との飲み会であれ、合コンであれ、家族の夕食の席であれ、
そこで人に教えてもらうニュースは、出合いの一つ。大切にすべき情報です。

「ウソをつく理由」を知る。

ウソには必ず理由や背景がある
それを探るとインプットが効率的になる

「これはたぶん、ウソだな」
人の話を聞いていても会社案内などを見ていても、そう感じることがあります。
次なるステップは、ウソを暴くことではありません
誰でも何かしらウソはつきます。言いたくないことを黙っているという行為をウソに
含めれば、往々にしてそれは、その人にとって隠したい部分だったりします。

目的は良質なインプットであり、ましてや刑事の取調べではないのですから、
ウソをついているかどうか見抜くこと自体は、さして重要ではありません。

       (~中略~)

言葉というのは「伝える」ための優れた道具ですが、本質を100パーセント伝え得る
万能の道具ではありません。
その人が言葉にしないこと、別の言葉で覆い隠そうとしていること――。
ここに本質が潜んでいる場合もあると、知っておく必要があるでしょう。

仕事に関係ある出来事を賭けの対象にする。

ビジネスマンたるもの、トレンドを知るという意味で予測を外さないよう、
日々鍛錬するべきなのです。自分の会社が産業全体でどういう位置になるかも
まったく予測できないのでは、成果を出すなど遠い夢だと思って間違いありません。

       (~中略~)

自分の予測を正確に記録に残すこと。
当たったら偶然ですませるのではなく「なぜ当たったのか」を分析し、
外れたらどうして外れたか理由を考えてみること。
賭けで予測力をつけるのです。

イベントのお誘いや、オススメを断っていると、誰にも誘われなくなる。
爪弾きにならないためにも。「いつか」はない。

誰かに薦められたら、すぐさま取り入れないと何も教えてもらえなくなり、
人とのネットワークも脆いものに変わってしまうものです。

自分が薦めたものを取り入れ、喜んでくれる相手には、誰だってますます何かを
薦めたり、教えたくなります。だったら実行しない手はありません。

誘われたときには乗っておかないと、なかなか「次」はありません。
「誘ってもいつも断られる」「忙しそうにしている」と思われたら、
誰からも声がかからなくなってしまいます。

困った完璧主義者

「妥協」という言葉に抵抗を感じる人もいるでしょう。
おそらくその多くは、優秀で理想も高い人だと思います。このタイプの人は、
企画書でもレポートでも営業報告書でも、自分が完全に満足するものでないと
提出しない傾向があります。

完全主義にとらわれているため、
自分が納得のいかないものを人に見せるのは嫌なのです。
しかし、「自分を完全に満足させるもの」という条件を自分に課してしまうと、
完成はどんどん遠のいていきます。

理想の完成度を100としたとき、100のものを出せたなら、素晴らしいでしょう。
しかし、仕事という観点で言えば、
いちばん大切なことは「完成させること」
次に大切なことが「100を目指すこと」。この順位を取り違えると、
「完成させる」という仕事本来の意味を見失ってしまいます。

先方の品性を見抜き、トラブルに巻き込まれないように、前もって用心しておく。

締切日に納品しても、
返信がないような会社とは仕事をしない

向こうから依頼や質問をしておいて、こちらが出した回答メールに返事すらない。
特に急ぎの場合に多いケド・・・ なんなんだろうね。

依頼者側のコトも考慮し、次のステップに進めるようにしてあげる。

依頼には即決で答える
「ちょっと考えさせてください」「一週間待ってください」と答えを
保留するのは、相手に負担をかける行為です。

自爆しない。

自爆の法則1:嫌なことに2つ以上の理由をつける
自爆の法則2:自分にできないことを、できると言ってしまう
自爆の法則3:自分にできないことを、他人のせいにしてしまう

無駄なエネルギーを消費しない。

NGな人には説明しない。NGな人とはモメない

説明すればするほど、立場が弱くなるのが普通です。
「論議というものは、およそ理由を尋ねたほうが勝ち」
ソクラテスもこう述べています。

相手に合わせて、説明される側に回り込んだりと、使い分けましょう。

何が黒字か、改めて考え直す。

古本屋で150円で買った本を2000円で売るのは「商売」ですが、
3万円で買ったいらない服を1万円で売るのは「買い物の失敗処理」ということ。

商売の基本原則は三つ。
一つは流通で、安く仕入れて高く売ること。
二つめは製造で、違うものを組み合わせて新しいものをつくること。
三つめはサービスで、付加価値をつけること。

役立つ情報を収集するためにも、恥ずかしがらず
「やりたいこと」をまわりに話しておく。

何かやりたいことがあれば、どんどん人に話すようにしましょう。
資金提供のみならず、思いがけない協力者が現れるかもしれません。
多くのものごとは、自分一人でやるより協力者がいたほうが、
実現の可能性は高くなるのです。

「やりたいこと」を言って、「夢があって格好いいですネ」と褒められることが
目的ではないので、見栄を張りたい人は要注意。

貧乏から言い逃れない。

給料が安かったり、独立してもまるでお金にならなかったりするとき、
多くの人が吐く決まり文句があります。
「この仕事が好きだから、お金はどうでもいい
もしあなたがプロを目指すのであれば、これは禁句です。
「好き」という耳触りの良い言葉を、
自分をごまかすための免罪符にしてはなりません。

       (~中略~)

「安い報酬しか得られないという現実」
「その仕事が好きだから」という言い訳で、うやむやにしてはいけません。

       (~中略~)

あなたの仕事の評価が「安い」のであれば、
あなたは「求められていない」のが現実です

著者、日垣隆さんの教育ルール

わが家の子どもたちには「大学生になったら、アルバイトではなく
自分で何かを売って毎月1万円稼がなければならない」
というルールを課していました。

バイトで時給をもらうのは誰にでもできますが、古着を売るのでも
ブログで稼ぐのでも、「独自に売る」というのは大変なぶん、勉強になるものです。

仕事もモノも、意識的に排除して整理してゆく。

好きな仕事を増やすために、
好きではない仕事を毎年二割ずつ削除する

「何をしないか」を明確にしてゆく

面倒だから、恥ずかしいからといって、疎かにしない。

共有する言葉の定義を明確にしないと、誤解が量産される

会社のなかで、あるいは同じプロジェクトのメンバーの中で、
共有する言葉の意味をはっきりさせましょう。
初期の段階で、お互いに充分に説明しておきましょう。

なんとなくわかったつもりで話をすすめていくと、どんどん誤解が生じます。
すると行動にも齟齬が出て、指示が伝わらず間違った動きをしてしまった、
何度も説明を繰り返すはめになった、
行き違いがあってトラブル発生という事態を招きます。

常にバランスを意識する。

よほどゆとりがない限り、
正義に多大なエネルギーを注がない

何もせず、傍観していろというわけではありません。
見過ごしていたら悪くなるに決まっているわけで、
何かしら行動はすべきでしょう。

それでも「壊滅する、ゼロにする」という正義をふりかざしてはいけません。
正義を主張するとは、よほど力のある人でもない限り、ウソをつくことになるか
事態を悪化させる結果になってしまうのです。

       (~中略~)

正義の味方よりリアリストであれ。

その情報や技術をどうするのか?

アウトプットしないものはインプットしない

仕事ができる人は、効率よく働く人。言葉を変えれば、
アウトプットしないことはインプットしない人です。

つまり必要なことはやる。それ以外はやらない。
これが効率化につながっています。
「たとえ無駄になることも、たくさん吸収しておいたほうがいい」と
言う人もいますが、人生という時間には、限りがあります。

相手(と自分)のコストを身にまとう。

「新鮮でおもしろいこと」は30秒で説明する

この世には、タダで聞いてもらえる話など存在しません。

       (~中略~)

プライベートだろうと仕事だろうと、時間かお金、あるいは両方、
さらにエネルギーというコストまで相手に負担してもらうのですから、
短くするのが話し手のマナーというもの。

酒もタバコも、政府が課税しやすいという罠が潜んでいることを忘れない。

毎晩アルコールが欠かせない人は伸びない

禁煙を推奨する動きは拡大するばかりで、
いまや吸わない人が多数派になっています。
一方、アルコールといえば、タバコに比べて非難の声がほとんどないようです。
果たして、アルコールよりもタバコの害のほうがそんなに深刻なのでしょうか?

タバコを吸ってもアルコールを飲んでも、中毒になる人は等しくいます。
タバコを吸って人格が変わる人はいませんが、アルコールを飲む人のなかには、
確実にいます。
タバコを吸って人を殺す人はいませんが、アルコールがきっかけとなる殺人事件は
常に起きています。

自分が熱中できることを再度考えてみる。

相手を飽きさせず一時間話せたらお金になる

具体的に商品化していく、つまりアイデアや企画をお金に変えるには、
相手を飽きさせずに、1時間は話せないと先に進めません。
ディテールや商品化に必要な案件を、興味深く語るスキルが求められるのです。

2008年8月28日

ベガスの恋に勝つルール

ベガスの恋に勝つルール 生活感丸出し
ドキドキ・ラブコメ

笑いあり、下ネタあり、
うっすら倦怠期気味のカップルにオススメ。
エンドロールを最後まで観ると、さらに楽しめる。

相変わらず、キャメロン・ディアスは魅力的。
「フラッシュダンス (Flashdance...What a feeling)」がBGMに流れるシーンは
鳥肌もの。この場面を体感するためだけに、もう一度観てもよい映画。

2008年8月27日

anan 「男は顔で選ぶな!」

anan 「男は顔で選ぶな!」 男女ともに逸脱
してないか確認

「男は顔で選ぶな!」と警告しておきながら
表紙は岡田君という過激さ。

男性は、自分がナルシストになっていないか
チェックしつつ、女性は、P.55だけ読めばよし。

2008年8月26日

思考のボトルネックを解除しよう!

思考のボトルネックを解除しよう! リミッター解除

「思考のボトルネック」が
あなたの頭の良さを決め、
あなたのアウトプットを制約し続けるとしたら?

「知識」「選択」「生/活力」の枠組みから
問題を探るが、なによりもその土台は好奇心から成り立つ。

「効率的にやみくもに」
自分に必要な情報を収集する。

「知識」のパートを【情報】【手法】【技術】に区切って
ボトルネックを見つけ出す。まずは【情報】について。

知るという、ちょっとした努力
大きな差を生みます。

       (~中略~)

自分に影響があることは、知って、知って、知りまくることです。
仕事、生活、投資、勉強、病気、何でもかんでも、
知っていないと高くつきます

       (~中略~)

くだらないことから大事なことまで、
知らないことは、あなたの人生のコストを上げていきます。

今後は、ある専門分野で突出しない限り、生き残れないと思います。
そうでなくとも、少なくとも人一倍の情報を持たないと、
いろいろ不利益を被ると思います。世界はどんどん複雑になり、
巧妙なからくりを持ちつつあります。
知らないと収入も頭打ち、高コストの人生で、収奪される側になってしまいます。

言葉を手に入れろ。

言葉は素材、言葉は道具、言葉は武器

「複利」は、「金利」という言葉(概念)の発明から、
さらに派生した言葉(概念)ですが、この発明された言葉どおりに
世の中が運営されていて、大きな影響力を持っているということです。

繰り返しますと、言葉は、世界を切り取り(認識し)、
再構成して操作することを可能にしました。
「複利」を知らないと、「複利」を知っている人との間に
大きなハンディキャップが生まれます。

「複利」で貸す側は大きな収入を得ますが、
借りる側は雪だるま式の利子を払う羽目になります。

つまり、言葉を道具として手に入れ、操作できる側にいると、
多大な利益を手にすることができるのです。

       (~中略~)

まず、言葉を知るべきです。言葉は世界を創り上げる素材であり、
世界を操作する道具なのです。世界を操作する道具とは、
あなたが世界でゲームを戦うための道具です。
多くの言葉を知っているということは、
多くの「武器」を持っていること
にも等しいのです。

ECRSのフレームワークにあてはめて、情報を得るための
行動を改善してみる。

  • E:Eliminate(やめる、なくせないか)
  • C:Combine(同時化、いっしょにできないか)
  • R:Re-order(順序変更、順番を変えられないか)
  • S:Simplify(単純化できないか)

情報のラットレースに捲き込まれないように、
著者である石川和幸さんが読書において順序付けているコト。

  1. 仕事に関する領域
  2. 一般的知識に関する(気になる、知識の幅を広げてくれる)領域
  3. 趣味の領域
  4. 時間があったら読む領域(流行の本等)

【手法】について。フレームワークの効能

競争状況の分析「五つの力」

  1. 自社
  2. 顧客
  3. 競合他社
  4. サプライヤー(供給業者)
  5. 代替品

経営分析の「3C」

  • Company(会社)
  • Customer(顧客)
  • Competitor(競合)

こうした決め打ち型のフレームワークは、たくさんあります。

  • マーケティングの4P
  • 現場改善の5S
  • 製造業のQCD
  • 株式評価のPER、PBR・・・・・・
  • 株価チャートテクニカル分析の13週移動平均・・・・・・
  • 財務分析のROA、ROS、ROE、EVA・・・・・・

推論により、フレームワークを自作する。

演繹法(三段論法)

演繹法は、前提を置いて結論を出すだけです。簡単です。たとえば、

  • 大前提 SEの仕事は過酷
  • 小前提 私はSEに転職した
  • 結論  したがって、私の仕事は過酷になる

といった感じです。

これは定言的三段論法です。有名な例はこんな感じで、言い切る論法ですね。

  • 大前提 すべての人間は死ぬ
  • 小前提 ソクラテスは人間である
  • 結論  ゆえにソクラテスは死ぬ

ほかには、次のようなものがあります。

仮言的三段論法

  • AならばBである
  • Aである
  • ゆえにBである

線形三段論法

  • AはBよりも大
  • BはCよりも大
  • ゆえにAはCよりも大

帰納法

帰納法はもっと単純で、複数のことから普遍的なことを導く手法です。

  • りんごには種がある
  • 桃には種がある
  • 葡萄には種がある
  • ゆえに、果物には種がある

といった内容です。

こうした論理展開は、思考の基本となるもので、この展開に乗せて
論を整理するだけで、ふつうに思考が整理されます。
(帰納法は結論に至るときに、ちょっとした論理の飛躍があるので、
使うときはご注意を。反例がないかよく検証しましょう)

また、他人をだますときやマスコミ報道の誤謬などでは、
この推論を悪用していることが意外とあります。

MECE(ミッシー、ダブりなし、モレなし)の前提条件

全体の範囲をどう設定したかです。これをスコープといいます。
「議論のスコープは、営業部だけにします」とか、
「今日は電車の話をします」とか、議論の範囲を絞ることです。

つまり、議論の対象となる
「全体」を最初に定義
するのです。
議論の土俵を設定するのです。

スコープを設定しないと、MECEの設定はできません。
全体を定義するから、その中の要素をモレなく、ダブリなくあげられる
のであって、全体が定義されていないと、要素が次から次へと出てきてしまいます。

       (~中略~)

MECEかどうかは、スコープの設定に依存します。
スコープを広げた途端、MECEは成り立たなくなるのです。
常にスコープを意識し、スコープから逸脱しないように気をつけることが重要です。

【技能】について。

基礎練の目的

練習とは、リスクのない安全な状況下で、擬似的実践を繰り返すことです。
練習問題を何度も解くということです。

学校ではドリルや練習帳で何度も繰り返して学んでいったと思います。
その後、テストで本番を迎えたはずです。
社会に出てしまうと、なぜかみな、
練習をやめてしまい
、それどころか、
情報や手法を収集することすらやめてしまう人まで大勢いますが、
やはり「練習」は必要なのです。

「練習」内容をさらに分割する。

机上練習は次の三つです。

  1. 何度も「練習」する
  2. 「シミュレーション」する
  3. 「ケーススタディ」で現実に当てはめてみる

実地練習は次の四つです。

  1. 楽しみながら一人でもできる「ゲーム」
  2. 一定のルール下で行う「ディベート」
  3. 複数で役割分担する「ロールプレイング」
  4. 師匠について本番で学ぶ「見よう見まね」

本番の仕事は、最大の学ぶ機会。以下を意識して試す。

  1. 新しい知識をどう組み合わせて見せればわかりやすいか
  2. チームをどう説得するか
  3. 自分は何に貢献できるか
  4. どうすれば作業中も仲よくできるか

「選択」のパート

「選択」のボトルネックは、あなたの「居場所」と「向かうべき場所」を
決めてしまいます。あなたの今と今後の活躍の場を選ぶということなのですから、
この「選択」が、あらゆる努力の開花の場所を決めてしまいます。

       (~中略~)

「自分はこの程度だ」と認識して、妥協した選択をしている人がいるとしたら、
もったいないことです。せっかく学んでいることは、たんなる暇つぶしでしょうか。
あるいは、少しでも自分を向上させたいと思ってのことでしょうか。
「選択」がボトルネックになっていないか、きちんと検証すべきかもしれません。

自分が今どこにいるのか。そして、どこを目指すのか。
その前提は何か。検証してみるべきだと思うのです。

選択の視点マッピング

短期的視点では、以下の三つの視点があります。

  1. 「重要」と「緊急」の軸
  2. 「好き」と「得意」の軸
  3. 今いるところで真剣にがんばる軸

長期的には、以下の二点の視点があります。

  1. 自分を「たな卸し」する
  2. 未来を夢見る視点、未来から見る視点

自分だけの「選択」

もっと大切なことがあると思うのです。それは「思い」です。
「自分の人生のテーマ」といってもよいでしょう。
目先の作業や会社のことは自分の外にありますが、
「思い」は自分の中にあります
人生とはすなわち、たくさんの選択の集積です。
その集積が、目先の短期的な功利性だけで判断してきたものだとしたら、
人生は、「都度判断」の集積、小手先の人生になってしまいます。

もっと骨太の「選択」、人生で達成すべきことは何かという「選択」をして、
そこに、自分の時間とお金をかけるべきではないかと思うのです。

「たな卸し」の際に参考になる、著者の項目分類。

  1. 仕事
  2. 家族
  3. 人間関係
  4. 健康
  5. 趣味・ライフワーク
  6. 財産

たまには、立ち止まって振り返る。

「選択」は「認識」同様に過去を引き継いでいます。
自分を「たな卸し」するとは、自分も含めた過去を引き継ぎ、
夢へとつなげることなのです。
「あなたはどこから来たのか」
という問いは重要です。このような問いをせずに、
自分の道が決まっている人には、不要な問いかもしれません。

しかし、職業も住む場所も自由に選択できる今、この問いは重要です。
そして、この問いは、そうそうできるものではありません。
おそらく、行えて一生に一度とか、そういった回数かもしれません。

生まれてから今まで、どんな環境で育ったのでしょうか。
親は、家族は、何を支えてくれたのでしょうか。
町内会・子ども会など地域の人々や学校、塾、クラブの友達などと、
どんなやりとりがあったのでしょうか。
偶然出会った多くの人々は何をしてくれたのでしょうか。

育てたペット、植物、捕った虫、登った山、水遊びをした海や川。
本、絵画、音楽、映画、漫画、芸能、スポーツ。

見たこと、やったこと、聞いたこと、怒ったこと、泣いたこと、笑ったこと。

風景、風の音、雨のにおい、鳥や虫の声、雪の色、花の色、空の色、雲の色・・・、

たくさんの善意と少しの悪意、たくさんの生活の命の営みの中で、
いろいろな人の思いが注ぎ込まれて
きたのだと思います。
私たちはその思いを受け継いでいます。

仕事の世界に入り、多くの人々に出会ってきました。
目の前の仕事に集中する人、仕事の質にこだわる人、グループを取りまとめる人、
出世を目指す人、あきらめた人、どのような思いを受け継いだのでしょうか。

もし、過去にいやなことがあっても、そのいやなことさえ、
とらえ直すことができます。
過去の出来事は変えられなくても、
出来事の意味づけは変えられる
のです。

未来を見ること、未来から見ること。

私は今の知的な思考法を伝える書籍等の意義を認めつつも、
一方で、今の世の中が単なる知的スマートさだけでは、解けない問題に
直面しつつあると感じているからです。

つまり、頭だけでは全然だめで、そもそもの志、夢、情熱があってこその
知識であり、思考のフレームワークであり、それがなければただの頭の
お遊びになりかねない、あるいは、血も涙もない結論を導くおそれもある
と思うようになったのです。

       (~中略~)

そこでは、知的作業による結論の細かな違いよりも、思い、志、ミッション、
価値観が決めてとなると思うのです。そこには、単なるロジックや
損得勘定を越えた決断があります。

何に基づいて「選択」するのか、その基準、すなわち、自分の中の思い、志、
ミッション、価値観、目指すものを持っていること、
そして、常にそこに立ち戻ることが大事だと思います。

「選択」するということは、責任を引き受け、
未来を引き受けることだと思うのです。

「生/活力」における、石川さんの3Sルール

  1. Simple(単純)であれ
  2. Small(小さく)あれ
  3. Sustainable(永続的)であれ

2008年8月25日

プレジデント トクする法律 危ない法律

プレジデント トクする法律 危ない法律 知らなかったじゃ
済まされない!

無知で一生を棒に振るか、それとも勉強して防衛するか。

勤めている会社側は、常に解雇の
理由を探している、と思ったがよい。

各項目ごとに弁護士が解説し、
判例も出ているので、未来のために学習。

  • 痴漢と間違えられたら?
  • 会社に大損害
  • 領収書改ざん
  • 経費で使ったカードポイントやマイレージの行方
  • 上司、同僚、部下への悪口
  • 違法行為の命令
  • サービス残業
  • セクハラ
  • モラハラ
  • 内部告発
  • 犯罪被害
  • 非常識な隣人
  • 「債務一本化」広告に潜む黒い罠

気になる裁判費用も記載されているので
チラ見しておくと安心

2008年8月24日

凡人として生きるということ

凡人として生きるということ デマからの解放

押井守監督が社会を切り取る。
成熟した大人の分別を持つオヤジとは?

虚構のスタイルに踊らされるな!
生きることを留保するな!

自在感を持ちつつ、自分が平凡な人間だということに気付き、
やり直すところから始める。

本音と建前が交錯する映画創り、融通無碍に生きる術、余計な回り道、
恋愛や文化の遺伝、オタク的情熱についての考察も。

「若さの価値」に含まれるデマ

「若い」ということの意味は、生まれてから時間が経っていない
ということだが、それ以外には、経験が足りない、分別がない、
しっかりした考えを持っていないとまあ、そんなものだろう。

分別がないから、若者は無意味なことにお金を使ってしまう。
本人には重大な意味があるように思えるものも、
オヤジの目から見たら、無意味にしか見えないものだ。

例えば、ファッション。個性を表現する手段として、
多くの若者がファッションにお金をかける。
自分の個性やセンスを証明する手段として、
大量生産品の靴や服
得意気に身にまとっている。

だが、本来それは、個性やセンスとは
まったく次元の異なるものであり、
若者は自分が単なる消費者に堕していることさえ気づいていない。

一方、オヤジたちはそんな無駄なものに金を使わない。
大量生産品を身にまとって発揮する個性など、
本当の個性ではないことを知っているからだ。

むしろ、オヤジは若者をだまして、
経済効果を狙っている方である。
ところが若者の目には、ダサい格好をしたオヤジたちが腐って見える。
「ああいうふうにはなりたくない」と思う。
自分たちの個性と信じているものの正体が実は、
その軽蔑するオヤジたちが巧妙に仕掛けたものだったとも気づかずに、
である。

若者に価値はあるのか?

若者は消費単位としても、あまり価値はない。
お金を持っていないのだから、これは当然のことだ。
ましてモノを作る人間としては未熟で、ますます価値が低い。

社会にとって、若者の利用価値はそれほどまでに低いのだ。
だが、オヤジたちは自分の都合のいいことにしか、金を使おうとしない。

オヤジは簡単にだまされないし、無意味なことには興味を示さない。
そうなると、やはり若者からお金を引き出す
しかなくなるのである。

歳を取って、良い意味で狡猾になると、
本音と建前を場面に合わせて使い分け、
強者と弱者を行き来する自由度を得られる、とも。

若さ信仰でない、大人の分別について

人からの押し付けやデマゴギーではなく、
ちゃんと自分の頭で考え抜いて、自分なりの価値を探すのだ。

仕事でも、家族でも、世界平和でも、革命でも、何でもいいが、
自分が準じる哲学を自分の手で勝ち取るのだ。

「セカンドライフで田舎暮らし」とか「引退後はソバ打ち、陶芸三昧」とか、
本当にそれがしたいことならいいが、
世間で流布されたデマ
かどうかを注意深く見抜き、その上で自分が本当にしたいことを探しだす。
そうすれば、自分で自分の人生を選んだことになる。

判断基準は自分の中にしかない
ということに気づくことが大切なのだ。
そうやって内面における自由を得られるということが、
オヤジになるということの本質なのである。

千載一遇のチャンスを、よく考える。

我々はどのように生きればいいのだろうか。
それは、より本能的に、より感動的に生きる
しかないということだ。
最近、僕はいろんな人にこんなたとえ話をしている。

今、家路を急ぐあなたの足元に小さな子犬がくんくんとすり寄ってきた
としよう。本当にかわいらしい子犬で、ぶるぶる震えながら、
あなたが抱きかかえてくれるのを待っている。
もちろん、あなたも子犬を抱きしめたい衝動にかられる。

ところが、あなたはふとそこで思い直すのだ。
待てよ、この子犬をここで抱きしめたら、
きっと家に連れて帰りたくなってしまうだろう。
そうして家に連れ帰ったら、母親や妻に叱られてしまうかもしれない。

いや、家族が犬を飼うことに賛成してくれたとしても、その先が大変だ。
当然えさ代はかかるし、毎日誰かが散歩に連れて行かなくてはならない。
旅行にも行けなくなってしまうかもしれない。ああ、そうなったら大変だ。

ここで犬を抱き上げるわけにはいかない。
犬なら飼いたくなった時に、ペットショップにでも行けばいいではないか――。
そうしてあなたは無情にも、その子犬をそこへ置いて、再び家路につくことになる。

あなたはその子犬との関わりを絶ってしまった
犬なんていつでも飼えるさと、とりあえず将来の可能性に留保して、
今は子犬との生活を拒絶した。

さて、あなたはいつか犬が飼えるだろうか。それは分からない。
飼えるかもしれないし、飼えないかもしれない。ただ確実に言えるのは、
その子犬とは二度と再び会うことはできない
ということである。

確かに、子犬を連れて帰らなかったことで、あなたの暮らしは昨日までの
暮らしと何ら変わらない、穏やかなものになったかもしれない。
だが、子犬を連れて帰っていれば、もっと楽しい、
豊かな生活があったかもしれない。
それこそ、旅行なんか行きたくもなくなるような、毎日の散歩が苦行ではなくて、
楽しくて仕方ないような、そんな暮らしがそこにあったかもしれないのだ。

あなたは何も捨てていないようで、
実は大きなものを捨てている。
少なくとも、何も選択しないうちは、何も始まらない。
何も始めないうちは、何も始まらないのだ。

人生とは常に何かを選択し続けることであり、
そうすることで初めて豊かさを増していくものであって、
選択から逃げているうちは、何も始まらないのだ。

       (~中略~)

つまり外部のモノを自分の内部に取り込むことを拒絶しては
ダメだということだ。

勝負を諦めた時が、負ける時。

絶対に勝負を諦めてはいけない。
だだし、常勝を狙うのは禁物だ。勝負をしなければ勝つことはできないが、
必ず勝とう、絶対に失敗しないようにしようと意気込んだら、
緊張感や気負いや、そんな余計なものを背負い込んで結果的に負けてしまう。

押井さんが経験から得た、美学の定義。

美学というものは、自分で決める道であるとはいえ、
自分勝手なものではいけないということだ。
その美学が社会的に認知、公認されるかどうかは、とても重要な要素になる。

他人からカネをだまし取ることが美学だ、などと思い込んだとして、
そんなものは美学でもなんでもない。
自分の強い思いは必要だが、自分勝手な思い込みはいけない。
だから、絶えず自分の美学が
理にかなっているかどうか

点検する必要がある。

僕の場合は、次に誰からも仕事の依頼が来なくなったら、
「これはヤバイぞ」ということになるだろう。

仕事と恋愛の愉悦点と、その差異

仕事の場合は客観的に評価される仕組みがある。
それは、消費者の評判だったり、お客の反応だったり、
上司の査定だったり、審査員の批評だったりするわけだが、
恋愛の場合は、審査員も消費者もいない。当事者同士で自己評価しあうしかない。

収入もあって社会的にも評価され、誠実にふるまっているというのに、
「あなたのことは、恋人としては見られない」
などと無残にふられることは当然ある。

では、自分をふった相手がどんなご立派な相手を
恋人に選ぶのかと観察していると、
何のことはない、どう考えても世間的には自分より劣っているとしか思えない、
どうしようもない人間とくっついたりすることもよくあることだ。
この不条理こそが、恋愛の面白いところだ

       (~中略~)

人間というものは自己実現の方法として、
常に他人からの評価を得たがる存在である。
だから、社会性の中で評価(=仕事)と、当事者間での評価(=恋愛)という
二つの基準で成り立つ評価のうち、どちらか一つだけでは
なかなか満足できないものなのである。

「オレは仕事だけでいい」というやつは単にいじけているだけだし、
「オレは女だけでいい。愛に生きる」というのはウソに決まっている。

普通は、恋愛の相手からの絶対評価と、
社会からの相対評価の両方をもらって、
やっと満足できるものなのだ。

だから、恋愛の相手が仕事にばかりかまけていると、
「相手は私の下す評価より、社会が下す評価を優先させているのではないか」
という疑心を芽生えさせることになる。

そこで、「私と仕事とどっちが大切なのか」
などと、それこそ相手にとってはどちらか選びようのない
理不尽な二者択一を求めたりするのである。

失敗も挫折もないと、生きているとは言えない。

果敢に戦いに挑む者も現れるが、見事にふられた結果、
「あの女はオレにふさわしくない」なとど、
妙な理屈をつけて自分を慰めようとすることだ。

だが、それをやってはダメだ。本気で相手を好きになったことを否定することは、
自分を否定することだからだ。だから、不幸にして恋愛に敗れたら、
次のように考えるべきだ。

よろしい。確かにオレはふられた。
だが、その結果はオレ自身の世間的な評価とはまったく関係ない。
反省すべき点はあったかもしれないが、それとて決定的な原因だったかどうかは
明かではない。ひょっとしたら、相手の女の子さえ、どうしてオレではダメなのか、
説明できないかもしれない。

だが、オレは彼女に本気でほれた。
その気持ちにだけは、
間違いはなかったはずだ

そういうふうに考えれば、いちいち傷つくのがバカらしくなるはずだ。
このゲームは努力だけではどうしようもない。結果は不条理そのもの。

神様だか、宇宙の偉大なる存在だか、誰の差し金かは分からないが、
何かほんのちょっとした気まぐれで勝ち負けが決まる――。

だとしたら、失敗を恐れるのはばかげているし、
失敗を恐れて手数を出さず、みすみす成功の確率を下げてしまうのは
本当に愚かだとしか言いようがない。

いつかきっと素敵な恋愛が向こうからやってくる。
初めて出会った相手と、お互い見た瞬間にガビーンと電気が走って、
結ばれるかもしれない。

そう信じて、指をくわえて待っているだけの人間は、
生きることを留保しているだけの人間だ
その人生には、失敗も挫折もない。
その代わり、生きているともいえない。

犯人探しの無意味。

文化は遺伝するし、繁殖する。
いくら取り締まっても、文化はそれ自体が生き残ろうとする意志を持っている。
まさにそれ自体が遺伝子と同じ振る舞いをする。
だから、特殊な性欲も、文化の中で遺伝されていくことになるのだ。

幼い子供が犠牲となるような事件が起きると必ず、
「漫画が悪い」「アニメが悪い」と犯人探しが始まるが、
いまさらそれを主張したところで、何の意味もない。
性の商品化は文明化の一部だからだ。

漫画やゲームやアニメを犯人にしたいのならば、少なくとも
浮世絵の時代ぐらいまでは
さかのぼって批判
するしかない。

そして、文化は、文化としての存在価値を問われて淘汰されない限り、
取り締まって消えることはない。破廉恥だとか、反社会的だとか、
そういう理由で文化が
絶滅することはないのだ

映像で表現する使命感。

映画監督の使命は、虚構の中で欲望を形にして、
とりあえずそれを人々の目に触れさせることだ。
映画の主要な役割は、欲望を代行することであり、
だから、映画から暴力とセックスが消えることはない。

ただ、本来は、映画を見た人間が興奮したり、カタルシスを得たりした後で、
「はて、この映画で気持ちよくなった
自分とは何だろう?

と考えさせることが大事なのである。

つまり、「気持ちよかった」と思わせるだけでは表現としてはまだ稚拙で、
大切なのはその先にまで観客を誘うことだ。

       (~中略~)

そうやって映画監督である僕らは、欲望の本質をあぶりだすのが務めだ。
これも文明化の一つの側面である。
評論家は社会のうごめきの本質を見抜き、それに適切な言葉を与えることを
求められ、僕らはそれを映像で表現する。

幻影のお友達。

損得勘定で動く自分を責めてはいけない。
しょせん人間は、損得でしか動けないものだ。
無償の友情とか、そんな幻想に振り回されてはいけない。
そうすれば、この世界はもう少し生きやすくなる。

一つのことを信じ過ぎない。

ポル・ポトの過激な思想も元をただせば単純な正義から出発したはずなのだ。
それは、「人間は自由で、平等であるべきだ」という考えである。
それ自体は決して批判されるべき思想ではないし、間違ってもいない。
しかし、だからといって、それを徹底し始めると、どうにもおかしなことが
起きてしまう。こういうことは人間社会ではよくあることだ。

なぜかというと、人間という存在がそもそもいい加減だからだ。
同じ教育を施しても、伸びるやつとそうでないやつがいるように、
本来、人間は個体による能力差が大きい動物だ
だから、あまりに人間の平等性を確保しようとすると、
結局は人間の能力差やいい加減な部分まで否定せざるを得なくなる。

こんな人間のいい加減な部分に我慢ならず、民族を均質化させ、
優生思想を先鋭化させた集団がほかにもあった。
言うまでもなく、ナチスである。彼らは健康のためにと禁煙を推奨した。
身体障害者やユダヤ人を憎んだ。

運動会のかけっこで順位をつけることが差別だとして、
全員が一等にするようなことも教育現場では行われているようだが、
普通に考えればアホらしい、そんな行為がまかり通ってしまうのが、
この社会なのである。

元は「かけっこでいつもビリの子はかわいそう」という、
まことに善意あふれた愛情たっぷりの訴えから
始まった措置だと思う。子供に順番をつけるのは良くない、
という単純な正義感だったのかもしれない。

だが、そのアイデアのいきつく先に、人間社会を実に住みにくいものに
変質させてしまう可能性がある。
実は、そういうところに、人間の怖さが隠れているように思う。
煉獄への道は善意で舗装されている
というが、まさにその通りだ。

理念を高く掲げすぎない。

「人間は自由で平等である」。この前提には誰も反対しない。
おそらくスターリンも毛沢東も、ポル・ポトでさえも、反対はしないはずだ。
だが、人間を自由で平等でいさせるための社会システムを作ろうとした途端に、
殺し合いが始まる。

民主主義にはそもそも、そのような危険さがある。
北朝鮮が民主主義を国名に謳っているように、その理念は高級すぎて、
処方箋を誤るととんでもない事態となる。
極端な民主主義の行き着く先は強制収容所しかない。
だから、民主主義は中途半端で、
不完全な間がとりあえず一番うまく機能する。

人間は平等。はい、その通りです。
でもやっぱりちゃっかり儲けているやつもいれば、商売の下手なやつもいる。
それが人間の面白いところ。

せっかく才能があるのに、酒におぼれて、人生を台無しにするやつもいる。
わけのわからない映画を作って嬉々としている監督もいるし、
体に悪いと分かっているのにタバコをやめられないやつもいる。
いやはや、人間とはどうしようもない存在ではないですか――。

とまあ、このくらいの余裕で人間社会を眺め渡したほうが、
社会はうまくいくような気がするのである。

民主主義は根本にきれいごとの理念が鎮座しているので、
あまりにそれを徹底すると、危険だ、と先ほど指摘した。
日本人は民主主義の新参者なので、どうしても行き過ぎてしまう。
アメリカ人も原理主義的な傾向がある。長い闘争の歴史の中で学んできた
ヨーロッパは最も振れ幅を小さくして、修正する能力を持っているように見える。

だから、そろそろ成熟した社会に突入しつつある日本人は、
真面目すぎる自らの特性をよく理解して、
あえていい加減な道を選ぶべき時期
やってきたのだと、僕は思う。

民主主義に対する距離のとり方は、否定するでもなく、信奉するでもなく、
というぐらいが最も適当だろう。また、一個人の生き方としても
すべてをスッキリさせず、いい加減に生きていくことが一番ではないか、
と思うのだ。

模倣から全てがはじまり、下劣な模倣も続く。

僕は、「人の取り得る行動のすべては、
何らかの模倣である」

という考えを持っている。人殺しでも恋愛でも、戦争でも善行でも、
すべてがその例外ではない。
だから、家族内の殺人も度重なる模倣の末に起きた一種のブームなのだと思う。

       (~中略~)

欲望でさえ、模倣の末に生まれるのであり、
まったくの無から生じることはない。

       (~中略~)

この世は模倣されたモノたちで満ち溢れている。そして、ジャーナリズムの進歩が
模倣の速度を驚異的なまでに引き上げている。
あらゆることが一気に全世界に広まり、次々とブームが作られる。
これからの世界を生きる人間は、このブームの中に隠れている本質を、
いつも注意深く見つけ出す努力をしていないと、
自分の立ち位置を失ってしまうことになるだろう。
何かの事件が起きると、ジャーナリズムは
ゲームやアニメや漫画に原因を見つけようと
躍起になる。テレビのワイドショーではコメンテーターと称する人たちが、
本質とはかけ離れた議論を繰り返している。
何の発見もない言葉だけが無意味に再生産され、
際限なく展開されていく。
その言葉がまた、
新たな模倣を生むだけ
なのである。

大半のテレビ番組、ワイドショーは
ギャアギャアわめいているだけだが、
評論や批判の文化的な側面とは?

未成年の凶悪事件が起きると、母親はどのような育て方をしたのか、
という議論になるようだ。
母親の手記を読んだり、家庭環境を調べたりして、その病理を探そうとしても、
あまり有効な手段ではないと、僕は思う。

原因をすべて個人に帰しても、あるいはすべてを社会に帰しても、
それは間違いだろう。そんな当たり前の分析や、
現状を追認するだけの報道ならば、
それは害の方が勝ると僕は思う。

報道がまた新たな模倣を加速させ
事件の引き金にならないと、誰が断言できるだろう。

現実には報道をストップすることなどできないのだから、
もっと有効な言葉を使って、この社会を分析していくしか、
評論家やジャーナリズムの意義はないのではないか。

現代日本ほど言葉が軽んじられた時代はないだろう。
若者たちが次々と新しい言葉を発明しては使い捨てにしていくのと同じように、
評論家は何ひとつ有効な言葉を見つけ出せず、テレビは
模倣された言葉を無批判に垂れ流して
いくばかりだ。

それどころか「KY(空気が読めない)」といった若者言葉が突然脚光を浴び、
いいオトナがそれをまねて使う。
「KY」という略語に言葉としての温かみや本質はほとんどない。

しかし、それでもまだ若者たちが仲間内で使っているうちは
わずかに残っていたはずの言葉の体温やある種の有効性は、
世間に流布したとたんに失われ
流行遅れの冷たい言葉に成り下がってしまう。

こんな若者言葉を面白がって報道したり、
模倣したりしている場合ではないのである。

ある現実を言い当てるときに、
表現に豊かな内実を持たせて、
それを社会に再び転化するような
力を持つ「言葉」を生み出す

ことこそが本来、文化的な仕事なのだ。

言葉によって、社会を使いやすく

映画評論で言えば、映画を作った当の監督が驚くような、
「なるほど、オレが作った映画には
こんな意味があったのか」

と、作者自身をハッと目覚めさせ、作者の無意識をも再認識させる
ような評論にはめったにお目にかかれない。それが今、
できているのはスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーぐらいだろう。

だが、今必要とされているのは、映画評論などではなく、この社会を、
このろくでもない社会全体を
言い当てる鋭い論評なのだ。

僕らには言葉が必要だ。有効な言葉が必要なのである。

それがないままに軽いコトバだけが、テレビやネットの上で
無意味に模倣され続ける結果、ある状況に陥った人間がヤリ玉に挙げられ、
よってたかって叩きのめされるという、社会的リンチ状態が発生するようになった。

本当にろくでもない時代が訪れたものだ。
こんな時代には、いくらか斜に構えて、いい加減に生きるぐらいしか、
僕らには有効な手立てはないように思う。
そんなふうに思ったのことが、本書を著すきっかけだった。

2008年8月23日

伊豆 ジモトグルメ

伊豆 ジモトグルメ 地元情報

一部地域でしか販売されていない
伊豆急、地元責任編集のガイド本

各駅、各エリアごとに別れているので使いやすく、地図が大きい。
花火大会や各ビーチのリストが載っているのも嬉く、
クーポンが付属しているので、お得感までアリ。

2008年8月22日

たびまる 伊豆

たびまる 伊豆 地図が完璧

まっぷるのガイド本。季節ごとの見所、モデルコース、
プラン作りから、必携ツールまで親切に記載。
旅慣れしていない人にオススメ。

情報の細かさと、付属の地図、路線図が大活躍!

2008年8月21日

ことりっぷ co-Trip 伊豆

ことりっぷ co-Trip 伊豆 お洒落イアウト

今回の「伊豆グルメツアー」で
大活躍したガイド本を紹介

綺麗な写真で、可愛く構成。大まかな地域でまとまり、
カフェならカフェ、回転寿司なら回転寿司屋と、
ジャンルでも見開きできるのが、すごく便利。

行きたい場所を、あーだこーだ楽しく相談しながら移動したい
そんなスタイルなら最大限活用できる。

2008年8月14日

イヤなことは1週間で終わらせるコツ

iyanakoto_ha_1shuukan_de_owaraseru.jpg 考えすぎない
引きずらない

「万年ブルー」を封じ込めろ!
ストレスフリー体質に変身するため、
自分の考え方のクセを知る。

他人の言動にイライラしないで済むように

「この人は、こういう人なんだ」と割り切る

絶妙な距離感をキープする

敵も味方も作らない

イヤなことに煩わされないための心得

願望への執着を手放す

思考のパターンをプラス方向に変える

「とはいえ、あのときは自分なりにせいいっぱいやった。次回に活かそう」とか、
「トラブルは、どんなに注意しても起きるときは起きる。
ちゃんと解決できたんだから上出来」といった、自分を肯定する言葉です。

悩みを切り上げる

「よし、悩むのは今日で終わりにしよう」
「とにかく来週には持ち越さないようにしよう」
などと自分に言い聞かせてみてください。

こうやって悩む期間を設定することが、
締め切り後のことを考え出すきっかけになります。
「締切後はどうすればいいんだ?」と、
気持ちが未来へと向かい始めるのです。

すると、この悩みを解消するにはとにかく
行動するしかない
という現実を思い出せるかもしれません。

「悩まない」というより
「考えない」「思い出さない」

もう、先送りしない。

やらなければならないことを先送りしている状態が、
イヤな気分の正体であることは、
とても多いもの。
そうやってストレスを抱え続けることは、
重い荷物をずっと持ち続けているのと同じです。

この考えに追われる。

「正解を導き出さなければ」の強迫観念

       (~中略~)

悩みごとや考えごとの大半は、
「引きずり続けてもどうにもならないこと」
「考えても必ずしも今以上の解決策は見つからないこと」
ばかりだったりします。

ここでちょっと、自分に問いかけてみてください。
「それをずっと悩み続けて、どうにかなるのか?」
「他に何かいい方法があるのか?」と。

悩みから抜け出すということ。

悩まないようになるというのは、
問題を解決することではなく、
「問題と距離を置く」
ことだと言えるかもしれません。

事象は自分次第。

世の中には、
「イヤなこと」というものは存在しません
単に「出来事」があるだけなのです。

その出来事を受けとめる本人が「イヤなことだ」という
意味づけをしているのです。

イヤな気持ちは自分が作り出している。
自分をイヤな気持ちにさせているのは、
出来事ではなく自分自身である――。

己の感情に責任を持つ

振り回されている状態は、人生で起こるさまざまな出来事に対して
受け身になっているとも言えます。
それは、自分に与えられた権利を放棄しているようなものです。

自分で自分の感情をコントロールできるのに、
自分以外のものに感情をコントロールする
権利を明け渡しているのです。

自分への願望にも、他人への願望にも、執着しない。

「こうあってほしい」「こうあるべきだ」
という願望を手放せないと、現実をなかなか受け入れることができません。

そして、その現実とのギャップに落ち込んだり
苛立ちを覚え、イヤな気分にさらされるのです。

一方、願望に執着していなければ、起きてしまった現実を現実として
そのまま受けとめることができます。
結果、「イヤなことだ」という意味づけをすることもなく、
イヤな気持ちになることもないのです。

他人への願望に執着するのは、
自分の願望を他人に押しつけている
とも言えます。

つまり、他人の言動が原因でイヤな気持ちになっていると
思い込んでいたのも、じつはそれを「思い通りにいかない」と感じる、
自分の見方に原因があったということです。

自分をイヤな気持ちにしているのは、他人でも出来事でもなく、
ほかならない自分自身だったのです。

もし、今、負けていたら・・・

「今は負けているのだから、自分がすべきことはひとつしかない。
自分にできることをコツコツ
とやるだけだ」

同じ頑張るにしても、焦りながら頑張るのと、地に足をつけながら
コツコツ頑張るのとでは、心の穏やかさが違ってきます。
もちろん、後者のほうが結果的にはうまくいくものです。

人間関係に苦しむ原因

「あの人はむかつく」「あの人にはイライラする」と考えるとき、
ここにあるのは「もっとちゃんとやってほしい」という、
相手への願望です。

なぜ「もっとちゃんとやってほしい」のか。
それは、心のどこかで「私に迷惑をかけないでほしい」とか、
「私にイヤな思いをさせないでほしい」と
考えているからではないかと思います。

       (~中略~)

「過去と他人は変えられない」
という言葉があります。
他人を変えることは決してできません。

変わるきっかけを与えられたとしても、
最終的に変わるのは本人の意志です。

想像力が、人間関係を救う。

自分にできること。それは、相手の立場を理解しようとすることです。

「上司は上司で、現場経験がない中で、この部署を仕切らなければならない。
上にはちゃんと成果を見せなければならないし、大変な思いをしているのだろう」

「部下も部下で、別に好きでミスをしているわけじゃないだろう。
自分でもきっと、マズいと思っているにちがいない」

そんなふうに、相手の立場を理解できると、
不思議と「まあ仕方ないな」とイライラが少しずつ収まってくるものです。

ワガママし放題が身近にいる場合

自己主張が激しい人、自分のやりたいようにやらないと絶対に気が済まない人、
空気が読めない人、気分屋と呼ばれる人たちです。

彼らは、自分中心で世界が回っていると思っていますので、
自分が変わる必要などないと確信しています。
もちろんそういう自覚があるわけではなく、
無意識レベルで固くそう信じているということです。

他人が変えることはおろか、本人が「変わろう」と思うことすら、
まったくといっていいほど期待できません
こうした人たちが周りにいる場合、どのように対処すればいいでしょうか。

自分中心の人たちは、
精神レベルが子どもだと考えることができます。
わがまま子どものように、周りのことは考えられずに自分のことしか考えない。
まるで子どもが自分の欲求をコントロールできないのと同じです。

普通であれば、成長していく過程で自制心や他人を思いやる心を身につけて
いくのですが、残念ながら、彼らはその
機会に恵まれないまま大人になって
きました。

たとえば、何でも自分の思い通りになるように周りからチヤホヤされて
育てられたために、他人は自分のために存在していると思うようになった。

逆に、自分の意志とは関係なく周りの言いなりになるように
締めつけられて育てられたために、その反動で自分も同じように
他人を言いなりにしようと考えるようになった・・・・・・
といった境遇で育ってきたことが、心が成熟しないまま大人になってしまった
原因だと考えることができます。

こうした人は一生変わらずに生きていくのかというと、
答えはイエスです。
よほどのことがないかぎり変わることはありません。

ですから、同じ大人だと思って「お互いにわかり合えるだろう」と期待すると、
振り回されたりイライラさせられたり
することになります。

彼らは、他人がイヤな気持ちを持っていることに
気づきもしなければ
自分の態度をあらためる必要性に
気づくこともありません

過去を引きずる、思い込み。

実際には、そのときなりの事情があって
できなかったにもかかわらず、現在の自分ができたはずだと思い込んでいる
ところに、後悔を引きずる本質があります。

他人ルールを、自分ルールに採用しない。

輝かしい業績を上げても上げなくても、自分は自分。
頑張れていても、落ち込んでいても自分が自分であることに変わりがない。

結果や行動と自分の価値を結びつけない
ということです。


2008年8月13日

勝負の格言

shoubu_no_kakugen.jpg 99%の人は
自滅

技術論でも精神論でもない実践論。
麻雀で有名な桜井章一氏が語る、人間の花と根

『人生を変える美しい勝ち方』を改題したもの。
(書籍全般に言えることだけど、
改題はややこしくなるから、してもらいたくないなぁ・・・)

夢、希望、期待を表す言葉に潜む病理

100%期待通りにいくことは絶対にありえないわけで、
必ずどこかで「期待は裏切られる」ものだからです。

そうなると「お前のせいだ」となって、裏切られた気持ちで
文句をつけたり責めたりするわけです。

なにかを期待しても相手は変わります。
変わるのは天気と同じで、自然なことです。
だから、裏切りではなく変化だと思うことです。
流れる雲や太陽や月を見て「裏切ったな」と思う人はいません。

勝負とは

勝負に勝って見返してやるとか、大金をつかんで女にもてたいとか、
そんな枠に収まってしまうほど、勝負の本質はチンケなものではありません。
勝負は、お金という枠に収めて見るものでもなければ、
見栄という枠に収めて見るものでもありません。
いかなる枠にも収まらない無限の変化と広さ
持っているものが、ホンモノの勝負なのです。

相手の姿は嘘

勝負において、相手の情報は必要ない

「見てはいけない」「聞いてはいけない」「言ってはいけない」
これは勝負の鉄則なのです。
見ると間違い、聞くと迷い、言うと集中が切れるからです。

       (~中略~)

実際の勝負というものは、
「相手との相対的に変化する関係の中で行われるもの」
という当たり前の事実をしっかりふまえておかなければいけません。

「旬」をつかめるか、どうか

「旬」とはその瞬間をつかまなければ
2度目はないというものです。
食べものに限らず、人とのつき合いでも仕事でもなんでも「旬」はあります。
過去・現在・未来という時間の流れの中で「今、この瞬間を大切にする」と
いうのが「旬」をつかむいうことです。

この瞬間というのは、いわば現場感覚です。
現場感覚で生きていれば、過去の後悔も
ムダに浮ついた未来の希望もありません。

「守り」ではなく「受け」

「受け」は、相手の攻める力をそいで、次に自分が
攻めやすくする体勢を作るための攻撃なのです。

勝負の姿は、円のカタチ

麻雀という勝負は、東南西北という円の流れを大きく、
かつ細くとらえ、その流れに上手く乗ることが勝ちにつながります。

いい勝負の時ほど、東南西北の流れはきれいな円の形に近づきます。
しかし、弱い人や無理な手、汚い手を使う人の勝負は、動きが不自然で
人工的なため、流れがいびつになって円になりません。
こういう人は自分だけアガればいいと思っているので、
一方通行の麻雀になります。そうではなく、
円がぐるぐる回って自分に帰ってくる
自然の感覚が大事なのです。

ツキがない状況でも円の感覚があれば、大丈夫です。
また回り回ってツキが戻ってくるとわかるので焦ったりすることもなく、
勝負の流れを見失わずに済みます。
麻雀に限らず、どんな勝負でもこの円の感覚を持てるかどうかで差が出ます。

円は真理の形です。人生にはいいことと悪いことがありますが、
悪いことを点にしてとらわれるのではなく、
いいこともたくさんつなげて
ぐるっと円を描くことが大事です。

素の状態で見て、自分のリミッターを外す

人はみんな先入観、思い込み、固定観念というもの持っていて、
その虜になって生きています。
「こんなことはとても出来ることではない」
「自分はこういう人間だから、こんなことをやるのはおかしいんじゃないか」
とか言って、日常のさまざまな場面で
自分の行動を規定してしまっているのです。

私はそうしたものを全部うっちゃって、素の状態でいつも見るようにしています。
今起きていることをまっさらな状態で見ています。
するとこんなことは出来ないだろう?と常識で思えることが、
力を入れないでフッと出来たりするのです。

進化を遡る。

能力とは自然に近づいていって深いところから呼び覚まされるもの、
つまり先祖が自然の中で動物と対等に
生きていた時
に持っていた力だと思うのです。

それは、何かから取ったり作ったりするのでなく、
もともとあるものを取り戻すものなのです。

「答え」に飼い慣らされない。

人間は本来、「答え」のない世界に生きています。
なぜ生きているのか? 宇宙とは何か?
そうしたものに一言でいえる正解などどこにもありません。

でも私たちは「答え」のあるものに慣れてしまって、
なんでも「答え」を見つけないと心が不安
になってしまうのですが、
その「答え」もまた変化するものなのです。

「強さ」ということも、実はコトバで的確に言えるものではありません。
つまり、それは「答え」を持っていないのです。
「強さ」を求めても、「答え」は出てきません。
「答え」がないことが「強さ」であることを、
体で感じるしかないのです。

勝負の品

最近は野球や格闘技といったスポーツを観ていて、
「なんか品がないなあ」という印象を受けることが多くなりました。
戦う前からすでに品がないのです。

なぜそうなるのかというと、戦うもの同士、競争するもの同士が
尊敬し合っていないからだと思います。
戦う相手を憎んだり、恨んだり、蹴落としてざまあ見ろとか、
そんな嫌な感情のなかで戦うから、品がなくなるのです。

とくにプロのスポーツであれば、戦う相手は子どもの頃から
お互い非常な修練を積んで、ようやく巡り合った相手なわけです。
そうしたもの同士が同じ土俵で戦うのは、ある運命に選ばれたということでもある
のです。その縁にまず感謝すべきです。

何を選び、何を捨ててきたのか?

人は、何かを選択し、同時に何かを捨てる
生き物です。良いものを選ぶか捨てるか、悪いものを選ぶか捨てるか、
ズルいものを選ぶか捨てるか、美しいものを選ぶか捨てるか。
何を選び、何を捨てるかで
その人の人生は決まってきます

軸を見抜く。

勝負というのは、軸の取りっこです。
上手い人は自分の軸を相手に外させるし、相手の軸を取って
バランスを崩しにいきます。
軸を取られれば、強い軸の持ち主でも負けてしまいます。

仕事も人生も遊びも、真剣に遊ぶ

信念を持ってただひたすら真面目にこなしているだけであれば、
その仕事はあちこちに角が出来てしまいます。
角があれば違う考えを
持った人ともぶつかる
し、
スムーズないい流れ生まれません。

けれども遊びの感覚ですると、角が削がれて円い形になり、
仕事にいい膨らみが出ます。
仕事でも人生でも、真剣に遊べばいいのです。

遊びの感覚があれば、柔らかくものごとをとらえられます。
柔らかいということは変化していけるということです。
変化できるということは可能性がたくさんあるということです。

小さな流れにも気づく、それは大きな変化へのサイン

サーフィンは、波の動き、潮の流れ、風の流れといったものを
いかに巧みにとらえるかが勝負です。
サーファーは、無数の水と風の流れの中からサーフボードが強く前へ
進むポイントを瞬間に見つけ出します。

魚や鳥はこうしたことを本能でやります。
気流や潮の流れを巧みに体でとらえ、一体となり、人間には想像もつかない
距離を泳いだり、飛んだりします。

人も普段さまざまな流れを読んだり、流れに乗ったりしています。
人間関係の流れ、仕事の流れ、生活の流れ・・・・・・、
さまざまな流れの中に人は生きています。
そこでは当然、いい流れを作り出したり、いい流れを見つけて乗ったり
することがとても重要なわけです。

シンプルにする。

どれだけ速く、強く相手を攻撃出来るか。
その条件はシンプルであることです。
コトバでも何かを伝える時、長く喋るより、簡潔なほうが相手に届きます。

       (~中略~)

相手に伝わるのが遅いのは、考え過ぎてものごとを複雑にしているからです。
遅ければいろいろなものが
相手に届く手前で落っこちてしまいます。

均衡を保つ。

バランス感覚を持つには、全体をとらえる「全体観」、相手との「相互感」、
流れの変化をとらえていく「時の感覚」の3つが必要です。

視野が一部分にとらわれ過ぎると、全体が見えなくなってしまいます。
現代人は一部分にとらわれて生きている人が少なくありません。
仕事にばかりとらわれると家庭が疎かになるし、趣味にはまり過ぎると
生活が疎かになります。
このように、一部分に向かい過ぎると他人が目に入らなくなり、
自己中心的な考え方をする人間になっていきます。

日頃から一部分にばかり目が行く人は、勝負においても全体がつかめません。
勝負の流れの中では、一部分を見ながらも「全体観」を持つことが大事です。

「相互感」は相手の変化だけをとらえるのではダメです。
相手の変化だけにとらわれると自分は変わっていないような気になりますが、
自分も変わっているのです。
相手と自分との関係は、相手と自分の両方の変化の上に成り立つものです。
「相互感」とは、そうした感覚で変化をとらえていくことです。

「時の感覚」は流れを見極める感覚です。
慎重すぎても大胆過ぎても
チャンスのタイミングを逃します。
余計な思考を入れず、素直に流れを感じていくことが大切なのです。

奇襲や不意打ちにも備えられる、困難な道とは?

困難できびしくリスクのある道を局面、局面で選んでいけば、
いろいろなことに気づいたり、工夫したりしなければならず、
それによって強いほうを選ぶことになるからです。
反対に楽なほうを選べば、それは弱いほうを選ぶことになります。

       (~中略~)

困難な道は、リスクやトラブルがある道です。
つまり、困難なほう、きびしいほうを選ぶのは、リスクやトラブルに慣れ、
それに対して免疫を作るということです。

「後で」や「また今度」、「いつか」は無い。
合い言葉はNow!

仕事でも日常のさまざまな雑事でもさっさと「片付ける」感覚が大事です。
この「片付ける」感覚とは、「済ませる」「間に合う」といった感覚にでもあります。

瞬間、瞬間に気づき、動き、済ませる。
それが「間に合う」です。済ますことが出来れば、余計なものがない
「澄んだ状態」になります。「澄んだ状態」になれば五感も澄み、
より気づくことが出来ます。
それによってまた「間に合う」動きになるといういい循環が生まれます。

ダメだなと思う人を見ていてよくわかるのは、いつも「これからやります」と
いう姿勢になっていることです。
そんな人は例外なくその時になってもやらなかったり、
たとえやったとしてもタイミングが合っていません。

逆に出来る人というのは、今出来る人です。
今この瞬間に「片付ける」「間に合う」ことの出来る人なのです。

調子が下がっていても、悪いと思わない。

どんな人にも調子があります。カラダの調子、気分の調子、仕事の調子など、
調子がいつも一定するということはありません。
スポーツ選手であれば、試合や競技において好不調は如実に現れます。

怠けたり、やり方を間違えれば調子が上がらなくても当たり前ですが、
するべきことをちゃんとしていれば、ちょっとした調子の波はさほど
気にすることはありません。

それは、波が押したり引いたりするのと同じです。
波が引いている状態をダメな状態とは
だれも言いません

調子は波が引いたり戻ったりする水辺の感覚でとらえればいいのです。
寄せる波に強さがあれば、引く波にも強さがあります。

一体感を得る。

闘っている相手との一体感、攻めと受けの一体感、
勝負という見えないものとの一体感があると、研ぎ澄まされた勝負が
立ち上がってきます。その時、一体感の強いほうが勝ちに導かれます。

また勝負の土俵に表れないものとの一体感も大事です。
背後にいて支えてくれているコーチや仲間、家族との一体感、
プロ選手であればファンとの一体感もそうです。

そこには応援してくれる仲間や家族、ファンのために闘うという
「誰かのため」というより、そうした人たちとの一体感があることが
大事なのです。「誰かのため」と思うのはよくありませんが、
そういいながらも一体感がそこに生まれれば、闘っていく大きな力になります。

集中の範囲

円に広げる集中。つまり
集中とは「拡散」なのです。
拡散していけば、一つのことにとらわれずに、
一度にいろいろなことが出来ます。

慌てないために、基準を下げておく。

「不調」を、実力の基準にする

       (~中略~)

人間は調子のいい時だけ都合よく勝負するわけにはいきません。
調子が良かろうと悪かろうと、いつだって仕事の勝負があったり、
生活の勝負があったりします。

人生の勝負は容赦ないもので、人の好不調などまったく配慮してくれません。
不調であっても本番に引っ張り出されるのが人生です。

2008年8月12日

プロ棋士の思考術

pro_kishi_no_shikougyutu.jpg 虚仮の一念

誘惑に弱くて、意志が弱いという
囲碁棋士、依田紀基さんが
どん底生活から得た、一心にひとつ。

  • 「実利」=金、財産
  • 「厚み」=人脈、信用

どちらを取るかで、その後の展開が変わってくるのは、囲碁も実生活も同じ。

負け心の共通点

判断ができない人、つまり負けが込む人は、
判断基準を持っていないのではないかと私は思っている。

心の根本のところに、「こういう方向に行く」
「ここで行動する」という定まった基準がないのではないか。

完璧を目指し過ぎない。

野球で十割打者がいないように、
100パーセント勝てる碁打ちなどいない。

それを全部勝とうと欲するから苦しむ。
何も考えずにベストを尽くし、あとは天に任せればいい。

呪縛から解放してあげる。

マイナスになるのは、既成概念化しているからだ。
既成概念がすぐ胸に浮かぶようでは、縛られてしまう恐れがある。

束縛は、新しい手を生み出す障害になる。
ここはこう打つものという決めつけが、
よいイメージを損なってしまうからだ。

決めつけがない
こだわらない
自由である
そういうことが碁では大事だ。

相手は常に、生きて、揺れ動いている。

生身の人間であるから、こうした手で必ず感情は動く。
肝心なことは、そのようにこちらから動いて相手を動かし、
局面を動かすことだと思う。

いま、世の中は理屈っぽくなっていて、
感情の重大さを見逃しがちな気がする。
だが、自分、相手、周囲それぞれの感情が一体となって
大きな作用をもたらすことを忘れてはならない。

感性と共に心中する勇気。

勝ちたいと思いすぎると、のびのびした手が打てなくなるのだが、
そのさらに真因を探ると、
「安全に勝とう」とする心がある。
「この手はいけそうだ」と感性上では成立している、
しかし、ぎりぎりのところでどこか危ない感じがある。

いくか。いくのをとどまるか。

対局中には、そういう葛藤が何度もあるが、そのたびに、
その手を引っ込めていたのだ。
その結果、ずるずると後退してしまう。

冒険をしないのだ。自分を信じていないわけである。

そこで、「安全に勝ちたい気持ちは、かえって危ないな」と
考えを変えた。

それよりは、自分の読み、感性がとらえた手を大切にし、
それと心中するくらいの気持ちで打とうと決心した。

勝負の世界と、一期一会の繋がり。

その手を打つ場面が、自分の生涯における最後の対局だとしたら、
どのように打つだろう。一期一会の気持ちで、
一手を、悔いのないように思い切って打とう。
そう深く思い定めた。

好機とは?

チャンスはツキとかなり似ている。
キャッチしなければ、ただの風景として通り過ぎていく。
「幸運の女神には後ろ髪がない」というが、まさにそれである。

チャンスはどこにも転がっている。
あとはキャッチするだけだ。
必要なのは意識の集中である。

       (~中略~)

可能性のあることはすべてやってみよう。
そう意識を集中させて考えていくと、路傍に転がっている
石さえもチャンスに見えてくるものだ。

       (~中略~)

感受性が閉ざされた人には、何も聞こえないのである。
「チャンスに恵まれなかった」という人の多くは、
「チャンスをキャッチできなかった」
人なのではないだろうか。

少しずつ、自分を。世界を変える。

自分を進めることは
世界を少し進めること

2008年8月11日

デキる人は説明力をこう磨く

dekiruhito_ha_setumei_ryoku_wo_koumigaku.jpg デキると思わせる
キメ文句

ちょっとした言い方の違いによって
効果が劇的に変わるツボ、
実戦で役立つフレーズ集。

センテンスごとに見開きなので読みやすい。

  • 失言のリカバリー
  • 「はい」「いいえ」で答えられる質問
  • 効果的なボディランゲージ
  • プライドをくすぐる極意
  • やる気を表す
  • 「ポイントは三つあります」の本当の意味
  • 劣勢を挽回する言葉

自分のプライドを少しだけ捨てて
相手におうかがいを立てれば、物事がうまく転がりだす。

説明時に力み過ぎて失敗しない。

どんな状況でも、うなずき、相づちで相手を受け止める
という気持ちの余裕を持たなければいけない。

自分を良く見せようとしない。

ビジネスの会話では、ともすると自分の能力や実績を
高く見せようとする意識が働く。
そのことによって自分が主導権を握ろうとするのだろう。

しかし、これが功を奏することは少ない。
能力や実績の評価は周囲がするもので、
自己評価があてにならないことは誰もが知っているだろう。

「背伸びをしているな」「そこまで自分をよく見せたいのか」
と相手に見抜かれたら、信頼感は得られない。
むしろ、ビジネスの達人たちが口をそろえるのが、
自分の失敗談を披露するほうが有効だということだ。

どう解釈するかは、相手任せ。

自分の言葉が相手にどう受けとられるかを考えること、である。

話をするときには、だれでも自分の思いを言葉に換え、文脈を組み立てる。
問題はそれからである。
多くの場合、その作業を終えて実際に話すときには、
思いがそのままに伝わっているものと考えてしまうのではないか。

相手のプライドに対して配慮する。

プライドを傷つける言い方は、相手の素直に耳を傾けようとする
気持ちを確実に失わせる。正当のクレームや指摘、注意に対しても、
反感しか持たないようになるのである。

どこから話すか、手順を見極める。

  • 全体の流れを話す
  • ポイントから話す
  • 結論を先に話す

詫び方のテク

「申し訳ありませんでした」と言われれば、反省していることが伝わり、
相手も、「わかった。じゃあ、ミスの説明を聞こうじゃないか」
ということになる。

言い訳が先にくれば、「そんなことより、
最初に言うべきことがあるんじゃないのか!」
と相手も感情的になって、まともに説明を聞いてくれなくなる。

詫びの言葉は、「申し訳ありませんでした」が定番だろうが、
できる人間としては少しアレンジを加えたい。

「申し訳ありませんでした。私の不手際です」
「申し訳ございません。私に不行き届きな点がありました」

などのように、「不手際」「不行き届き」「不注意」「不始末」
といった言葉をつけ加えると、もっと反省の思いが伝わり、
責任を感じている潔さが際立つのである。

リアクションを引き出してこそ、コミュニケーション。

「ここまでお話ししたなかで、疑問点はありませんか?」
「私の説明でわかりにくかったところはなかったでしょうか?」

そんな質問をすることで、相手はそこまでの話の流れを反芻するようになる。
つまり、耳から入った話の内容について、頭で整理するわけだ。

さらに質問を無視することはできないから、必ず、
なんらかのリアクションが返ってくる。
対話が成立するのである。

忘れがちだが、相手に対する配慮であり、
説明の精度を高めるポイントでもある。

「何のために面談するのか」ではなく、
「何を中心に話すか」ということを、事前に相手に伝えておく

ときには、自分の意見を封印する。

「事実」と「意見」を混同すると穴に落ちる。

「事実」と「意見」は、はっきり区別することが大切になる。

几帳面、合理的、好奇心旺盛、大雑把、
相手のタイプを素早く見抜く。

人間は物事を判断するとき、その人なりの方法で理解しようとする。

たとえば、説明書をじっくり読んでから機器を使い始める人もいれば、
説明書の最初だけを読み、あとは機器を使いながら覚えていくタイプの
人もいる。前者は理論派、後者は実践派だ。

どちらにも同じようなやり方で説明したとしよう。
するとどうなるか。理論派の人には「もっと詳しく説明してよ」
といわれる可能性があるし、実践派の人には、
「回りくどい説明はいいから、実物で見せてよ」
などといわれてしまうかもしれない。

条件反射で、相手の非を責めない。

説明の過不足は、どんな場面でも起こるものだが、
それを「言い訳」や「弁解」にしてしまうか、
「事情説明」に換えられるかは、コミュニケーション能力とも
大いにかかわってくる。

相手に通じる説明をするためには、相手の立場や状況に
気を配る姿勢が必要だということを肝に銘じておきたい。

2008年8月10日

スティーブ・ジョブズ 神の交渉力

steve_jobs_kamino_koushou_ryoku.jpg ジョブズにだけ
使える魔法

著者は、スティーブ・ジョブズやパナソニックがらみの
書籍が多い、竹内一正さん。

ジョブズが繰り出す、強気の成功例と失敗例、熱意と感動を魅せるトーク術

プレゼンテーション時に意識するコト

肝は「シンクロ」(同調化)である。

一般用語、話の緩急、早口に注意、明瞭性に気を使う。

恩知らずといわれるジョブズの利点

企業がなにかを変えていこうとするとき、
意外に大きな障害になるのが、過去のしがらみだ。
「創業者同士が不仲だったから取引できない」とか
「昔、商売を横取りした相手とは提携できない」といった
次元で頓挫し、ビジネスチャンスをみすみす失ってしまう例が多すぎる。

ジョブズは、受けた恩に対して感謝などまったくしない。
日本的に言えば、恩知らずの人間だ。
だが、だからこそ、過去のしがらみによって判断が鈍ることがなかった。
目的達成のためには、たとえ毛嫌いしているビル・ゲイツとでも、
平気で手を結ぶことができたのである。

仲間に頼りすぎない

味方を信じすぎると打つ手が限られる

義理人情のせいで、一緒に沈む。

グローバルなビジネス戦争では、恩を恩とも思わない
冷徹さが要求される。
重大な局面では、なおさら「恩義があるから」という理由に
引きずられての判断ミスを、決しておかしてはならない。

「いい人」は結局は負けていく

強気で火種を創る

ジョブズのマネジメント手法は、まさに対極主義である。
仲よしごっこでは、世界を驚かすほどのすごいモノは創造できない。
互いの信じるものが激しくぶつかり、
バチバチと火花を散らした先に現れてくるのだ。

登用のジレンマ

信頼していた人間に裏切られるのはしばしばあることだ。
有能であるからこそ信頼し、スカウトするのだが、
有能であるがゆえに主導権をとられるわけだ。
かといって無能で無害な人間ばかりで固めては成長が望めない。

多くの船頭はいらない

会社を成功に導くには、「二人の船長」ではなく、
野球でいうエースピッチャーとキャッチャーという
「補完関係」が重要である。

ソニーでは、井深大が技術を考え、
盛田昭夫がそれを世界に広めていった。

松下電器では、神様・松下幸之助を支えた
大番頭・高橋荒太郎がいた。

ホンダで本田宗一郎が二輪車や自動車づくりに熱中できたのは、
藤沢武夫というすご腕の金庫番がいたからであった。

同じ領域を得意とする二人ではなく、
違った分野を得意とする者同士がタッグを組めば、
1+1=2以上のみごとな成果を生み出すことができるのだ。

自分の器を限定しない。

日常の仕事で、つい「専門外です」と
自分に限界線を引いてはいないだろうか。
線引きをしている限りは、仕事の質を高めることは難しい。
能力アップも起こらない。新しいチャンスも摘み取ってしまっている。
それではもったいない。

仲良し管理職はいらない。

すごいモノを生み出すには、現場の「ノー」を受け取らない
鬼軍曹的な管理職が必要である。

現場の「できないコール」に耳を傾けてしまう
やさしい管理職は不要だ。

常識の限界で立ち止まっている部下には、
背中を蹴り飛ばすことだ。

調査任せにしない。

本田宗一郎氏が「独創的な新製品をつくるヒントを得ようとしたら、
市場調査の効力はゼロとなる」と言っている。

大衆は創意を持たない批評家だ。
企業は、作家でなければならない。
自分で発想せず、大衆への市場調査に発想を求めたら、
企業は作家ではなくなる。

大衆が絶賛する商品とは、大衆がまったく気づかなかった
楽しみを提供する独創的なものだ。
市場調査に頼って商品開発を進めると、
「ちょっといいもの」で終わる

お金に振り回されるか、振り回すか。

お金は手段であって目的ではない。
お金は、自分の夢を実現するために使うものだ。
だが、凡人は「お金を貯める」という手段を、
目的と勘違いすることがしばしばだ。

負けてるときにも、突き進む。

負けが込んでいるときは、戦いの土俵から降りることも
現実的な選択だと、世間では教える。
傷口を広げないために「賢明な判断だ」と表現し、まわりも納得する。

だが、「あきらめない」という凡人にとっては
賢明と思えない判断にも、勝機はある。
最後の最後まで土俵から降りないとき、突然道が開ける。

ジョブズから学生たちへ向けたアドバイス

「興味を持った一つ一つのことに熱中していけば、
そのときは散らばっている点のような別々の存在が、
将来にはつながり合ってすばらしい一つの大きなものとなる」

ジョブズの判断力、その根幹

「人生で大きな決断を下す際にもっとも助けになったことは、
もうすぐ死ぬということを
頭に入れておいたことだ。

周囲の期待やプライド、または失敗や恥への恐怖は、
死を前にすると消え去り、本当に大事なことだけが残る。
自分の気持ちに従わない理由はない

思い通りにできるコト

「大金持ちでも貧乏人でも、白人でも黒人でも、
『三つのこと』しか人生にはない」
とは、ある哲学者の言葉だ。

一つ目はオギャーと生まれることだ。
二つ目は死ぬことである。

この二つは自分の思い通りにはならない。
だが、三つ目は自分の思い通りにできる。
それは、生まれて死んでいくまでの間を「生きる」ことだからだ。

だが、会社勤めをしていると、いつしか自分の人生が
他人の人生にすりかわっていることがある。

スタンフォード大学での名スピーチ

「君たち、人生の時間は限られている。
他人の人生を生きてこの限られた時間を無駄にしてはいけない。

世間の常識などという罠にはまってはならないよ。
他人の意見という雑音に、自分自身の内なる声
かき消されないようにすることが重要だ。

そしてもっとも重要なことは、
自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。
心と直感は本当になりたい自分を知っている。
それ以外のものなんてのは二のつぎだ」

2008年8月 9日

崖の上のポニョ

ponyo.jpg

大人と子どもの
境界線

ポーニョ♪ ポーニョ♪ ポニョ♪ ポニョ、ポニョ、ポッ!
日常の些細な出来事を、思いっきり表現。
幸せが、ごく身近にあることを再確認できる。

液体の描写がすさまじい。
内容は、子供版「紅の豚」といったところか。

老若男女の観客が、これほど幅広く揃うのも珍しかった。
隣に座っていた女の子と男の子、
ちょうど、劇中の主人公くらいの年齢。
大人とは違ったタイミングで笑い、そして謳う。

このタイミングのズレに、大人と子どもの境目があるように思えた。
だいぶ過去の自分と、今の自分にどれだけの差が開いてしまったのか
是非、劇場で確認してほしい。

2008年8月 8日

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう

now_discover_your_strengths.jpg 才能の痕跡を
発掘する

強みを磨き、違いを活かす。
弱点の克服は成長に繋がらない。
ダメージコントロールに無駄なエネルギーを使わない。
弱点を隠しても何の役にも立たない。

脳のシナプスは、日々、瞬時に決定を下している。
そのシナプスのラインが太くなっている部分が
自分自身の個性であり、才能である、と。

ニューロン同士の結合の話も含めて、
脳医学からのアプローチがあるところが、たんなる自己啓発書と異なる。

「強み革命」によって「偽りの切望」を炙り出す。

人材採用側の募集要項の書き方、
管理職のパフォーマンス管理システムの構築など、
組織として活用する方法も掲載されている。

本一冊一冊にIDが付いていて、ネットを使って自己診断ができる。
それによって判定される34のタイプ、各タイプ別の使いどころガイドもあるので安心。

(ただし、診断は一度だけしか行えない。
2つの設問の答「どちらでもない」は、両方にあてはまらない場合に選ぶものであって、
「どっちもあてはまる」ではないので注意すること)

先に本書に目を通して、自己診断してみると二度美味しい。
ウェブ担当は、回復思考、規律性、内省、分析思考、ポジティブの
5つを重視しているかと思いきや・・・

(他にもあてはまりそうだったのは、学習欲、コミュニケーション、
自我、社交性、慎重さ、責任感、調和性)

個別化、戦略性、学習欲、達成欲、原点思考の5つが
ストレングス・ファインダーによって判定された。

この34の資質は、ピアノの88の鍵盤に似ている。
鍵盤を一つずつたたいているだけでは、弾ける曲はかぎられるが、
いくつもの鍵盤を組み合わせれば、モーツァルトからマドンナまで、
あらゆるジャンルの曲を演奏することができる。

34の資質もそれと同じだ。この資質を踏まえたうえで、人を観察し、理解すれば、
その人が奏でる独自の旋律
聞きとることができるはずだ。

投資家ウォーレン・バフェットの才能

彼が特別な人間になりえたのはその行動パターンのおかげだが、
まず最初に、彼は自分にはそうした行動パターンがあることに気づいた
(ここが大切なところで、われわれはこの最初の段階にも達しないことが多い)。

次に彼は、(ここがもっと大切なところだ)弱点を克服することに重きを
置かなかった。それどころか、彼がやったのは正反対のことだった。

最も強力な自らの特徴を特定し、教育と経験によってその特徴を補強し、
それを今日だれもが認める最も大きな強みに成長させたのである。

日頃、ゴチャ混ぜにしてしまっているが。

  • 才能とは、無意識に繰り返される思考、感情、行動のパターンである
  • 知識とは、学習と経験によって知り得た心理と教訓である
  • 技術とは、行動のための手段である

3つの革命ツール

  1. 「才能」と「経験によって身についた能力」
    区別する
  2. 才能を特定する
  3. 才能をことばで表す

使われなくなった回路によって
選ればれた回線がより強調される。

自らの永続的な独自性をなかなか信じようとしない人は存外多い。
才能は実に簡単に手に入るものである。

だから、みんなも私と同じように世界を見てるんじゃないのか、
みんなもこのプロジェクトを立ち上げたいと思ってるんじゃないのか、
みんなも衝突を避け、共通基盤を見つけたいと思ってるんじゃないのか、
今のまま進むと障害が待ち受けていることぐらいだれだってわかってるんじゃ
ないのか、などと誤った安心感を持ってしまうのだ。

才能というものはあまりにも身近にありすぎるので、
あたかもそれが常識であるかのように思ってしまうのである。
ほかの人々も自分と同じ意識を持っているものと信じたほうが、
ある一定のレベルでは確かに安心なことではあるが。

しかし、実際には、われわれの意識はみな一人ひとり異なっている。
だから、世の中の事象に対する考え方、感じ方も当然一人ひとり異なってくる。
それは、われわれの意識――繰り返し現れる思考、感情および行動パターン――
がその人独自の脳内回路によって生み出されるものだからだ。
脳内回路がフィルターの役割を果たし、
日々出会う出来事をふるいにかけ
集中すべき対象と切り捨てるべき対象を分類しているのである。

才能が発揮される具体例

六人の仲間がお気に入りのレストランで夕食をとっているとしよう。

このような場面で、共感性にすぐれた人は脳内フィルターの作用によって、
ほかのみんなはその夜の会食をどのように感じているか考え、
一人ひとりに笑みを向け、問いかけ、本能的に脳内回路の周波数を
相手に合わせ、相手から発信されるシグナルを正確に受け取ろうとする。

そして、全員がだいたい同じ気持ちでいることがわかると、
自分も愉しい気分になれる。ありていに言えば、この人はそうして
安心感を得るのである。

しかし、もちろん
全員が同じ気分でいることなどありえない
なかに一人遅れてきた人がいたとしよう。
その人はそのことを気にかけ、食事代を持つことで埋め合わせをしようかと
考えている。くわしくは後述するが、これは<責任感>という才能のなせるわざだ。

また別の人はみんなが何を注文するか考えている。
これは<個別化>という才能による。ある人は一番親しい人の横にすわり、
その人の「近況をどうしても知りたい」と思っている。
これは親密な人間関係を築こうとする<親密性>という才能。

また別の人は同席している二人が、前回同じ顔ぶれで食事をしたときのように
口論を始めないかと心配し、二人が激しやすい話題にならないよう気を配っている。
これは<調和性>という才能だ。

残る一人はまわりのことなど眼中にない。
食事のあとでみんなに披露しようと思っている、ジョークを心の中でただひたすら
練習している。これはことばでドラマをつくり上げようとする
<コミュニケーション>の才能である。

劇的に異なるフィルターを理解して、仕事に活かす。

みなさんにはこんな経験はないだろうか。
わかりやすい簡単なことばで説明して、自分の考えをできるかぎり明確に伝えた
つもりなのに、まったく理解してもらえていなかったという経験だ。

どのように仕事を進めるべきか、順序立てて懇切丁寧に説明したにもかかわらず、
自分が伝えたのとは異なるやり方で、まったく別のことをされてしまった。

こういうときにはだれしもいらだってしまう。
ちゃんと話を聞いていたのか。承諾できなければ、どうしてそう言わなかったのか。
どうして何度も同じやりとりを繰り返さなければならないのか。

しかし、フィルターは一人ひとり劇的に異なるということを心得ていれば、
相手が話を聞いていなかったわけでも、故意に別のことをしたわけでもなく、
ただ、指示を与えた人間の考えが読み取れなかっただけなのだということが
わかるはずだ。要するに、問題はフィルターの相違ということである。
ことばの意味は理解できても、
そこに込められた意図

くみとれなかったのである。

色覚障害のある人に、紫色をことばで説明しようとするとどうなるか。
もうおわかりだろう。どれほどことばを尽くそうと、
その人が紫色を見ることはないのである。

才能の愉悦

才能は持ち主に、その才能を「活かしたい」と思わせる力だけでなく、
活かして「愉しい」と思わせる力も備えている。
どういうわけか、最強の脳内回路は、この「活かしたい」と「愉しい」と
いう二つのシグナルがズムーズに流れるようにできているのである。

才能をどうやって特定するのか?

才能はあなたが下す決定すべてに影響を与えている。
ということは、あなたはすでに才能と親しくつきあっているということである。
確かに、才能は人生という布地にあまりにしっかりと織り込まれ、
あまりに絶大な影響力を持つので、一つひとつのパターンを認識するのは
案外むずかしい。しかも才能というやつは
自己主張をしない。目立たないやつだ

それでも、必ずどこかに痕跡を残している。
その痕跡を見つけ、才能を突き止めるには、われわれはみな
自分自身を見つめ直す必要がある。

無意識の反応でも才能の源泉は探れるが、
それ以外にも三つの手がかりがある。

  • 切望
  • 修得の速さ
  • 満足感

ジョブズのスピーチでもあったような「切望」

どんな人にも長いあいだ胸に秘めた願望があるはずだ。
切望というのは、脳内回路の中でもとりわけ強力な回路が
引き起こす自然現象である。

だから、外界からどれほど抑圧されていても、その強力な回路は
その人に気づいてもらえるよう常に訴えつづけている。
自分の才能を本気で見つけたいなら、
耳をすましてその声をとらえてほしい。

どうやって「修得の速さ」を体感するか。

新たな職務のためにしろ、新たな目標のためにしろ、
新たな職場のためにしろ、動機はなんであれ、
新たな技術を学びはじめたとたん、配電盤のスイッチが
すべてオンになったかのように、まさに脳の中で光がともったかのような
経験をした人は、みなさんの中にもいるはずだ。

そうした技術は、新たに開かれた脳内回路を通してあまりにすばやく伝わるので、
技術を習得する段階そのものが消えてしまう。
初心者特有のぎこちなさはあっというまになくなり、
巨匠の優雅ささえすぐに漂うようになる。
そして気がつくと、勉強仲間を引き離し、教わらなくとも次にやるべきことを
やろうとし、鋭い洞察力で次々に質問を投げかけるものだから、
場合によっては、指導者に快く思われなくなってしまうこともあるかもしれない。

しかし、あなた自身はそんなことはまったく気にならない。
新たな技術のほうからあなたに手を差しのべているのである。
それを修得しない手はない。

「満足感」を手繰る

自分はどのような状況で満足を覚えるか、それを仔細に観察してほしい
ということだ。それがわかれば、才能のありかを必ず突き止められる。

       (~中略~)

とりすまして言えば、
「感じているか、感じていないか」
ということだろう。

どの時制を意識してるか。

「これはいつ終わるか」と考えているようなら、
おそらくそれは才能を活かしていないからだと思う。

一方、将来を見据え、「いつまたこれができるか」
考えているようなら、あなたはそれを愉しみ、
なんらかの才能を活かしていると考えてほぼまちがいないはずだ。

客観視の困難具合

われわれはあまりにも忙しすぎ、客観的になるには
自分という対象はあまりに自分に近すぎる

弱点、失敗に対する恐怖、
批判に対抗するカール・ユングの言葉

批判は何かを破壊したり、打破したり、屈服させたりするときには
有益な力を持つが、何かを築こうとするときには害にしかならない

人の不幸は密の味

断言してもいい。自信満々の人が失敗するのを見て、
少しも喜びを感じないと言いきれる人はまずいまい。

人間の性とでも言おうか、われわれはだれしも多かれ少なかれ
他人の不幸を喜ぶ卑しさを持っている。

そして、その喜びは失敗した人の自己主張の強さに正比例する。
つまり、失敗した人間が自信家であればあるほど、まわりの人の
喜びは大きくなるのである。

自暴自棄にも物笑いの種なってしまうこと。
この二つを恐れるあまり、自らの強みをあえて前面に押し出そうと
しない人は多く、そういう人たちはただひたすら弱点を繕う作業に没頭する。
そうしていれば、まわりは勤勉で謙虚な人と評価してくれる。

しかし、残念ながら、弱点を繕うだけでは、めざましい成果は決して得られない。

「感じる」ことを疎かにしていると・・・

錯覚と拒絶のために感覚が鈍ると、真の強みを探す気力も失せ、
結局のところ、だれかの二番煎じのような人生しか生きられなくなる。

世界クラスの人生ではなく、どこにでもある月並みな人生しか
送れなくなるのがせいぜいだろう。

本書の才能診断、その必要性
場面にあわせて「意識的に有能になる」

だれしも成功を収め、達成感を得た瞬間が人生に少なくとも一度はあると思う。
強固な人生を築けるかどうかは、
そのときの瞬間が再生できるかどうか
にかかっている。

おまけ

顧客をどのような気持ちにさせたいのか?
大規模調査から得た質問

  1. 全体的に見て、期待どおりのサービスが受けられたと思いますか?
    それは期待をはるかに上まわるものでしたか・・・・・・
    期待をはるかに下まわるものでしたか?
  2. このたびの製品またはサービスをほかの方にも勧めたいと思いますか?
    ぜひ勧めたいですか・・・・・・絶対に勧めたくないですか?
  3. このたびの製品またはサービスを今後も継続して利用したいと思いますか?
    ぜひ利用したいと思いますか・・・・・・二度と利用したくないと思いますか?

スタッフにぶつける質問

  1. 今後三ヶ月、何に一番力を入れるつもりか?
  2. 何を発見しようと(学ぼうと)しているのか?
  3. どのような(協力)関係を築きたいと思っているのか?

2008年8月 7日

攻殻機動隊 2.0

koukaku_2_0.jpg

『攻殻機動隊』のリメイク
オープニングの3DCGアニメーションと、
エンディングのビル群が創り込まれてた。
『イノセンス』のトーンに適合させて
全体のイメージは緑色→オレンジ色に変更

ヘリもリニューアルされて3Dになってたけど、
なんだか鮫モチーフ。前のほーが好きだったナ・・・

音は、かなりリアルに付け直されてドンパチ。
流石スカイウォーカーサウンド

細かい台詞も差し替えられたりしていて、探す楽しみがアリ

人形使いの声優に榊原良子さんを起用 (主な作品は以下)

  • 『風の谷のナウシカ』 (クシャナ役)
  • 『機動戦士Ζガンダム』 (ハマーン・カーン役)
  • 『機動警察パトレイバー』 (南雲しのぶ役)

メインキャラが男性の声から、女性の声に代わるのは前代未聞か?
ストーリー的にもガラっと印象が変わりますねー

2008年8月 6日

日経TRENDY どれが効く?

trendy_2008_09.jpg どれを
使えばいいのか?

メタボ対策のためのトクホと大衆薬、ダイエット食品、健康食品、
ゼロ系飲料、コレステロール、禁煙、水虫、薄毛、不眠

各薬の結果に差はでるのか? 比較

新日本人の価値観を、
頭痛のタネは新入社員』の前川孝雄さんが分析する。

かつてはクルマやブランド品など、
目に見えるものを持つことでカッコよさを競っていた。
しかし、今の若者の場合は、
“人から認められること”
カッコよさの象徴になっている。

カッコよさの定義が移り変わり
承認欲求が強くなってきたようだ。

今は、遊びが目的ではなく、手段になっている。
その手段を通して、気の合う仲間とつながり、
安心できる居場所を育てているのです。

2008年8月 2日

相手を1分で動かす心理学

aite_wo_1pun_de_ugokasu_sinnrigaku.jpg 人と良い関係を
築きたい

動かさなきゃいけない人々が大勢いたので、つい手に取った。

「この洋服、変じゃない?」、「髪切ったんだけど、似合ってる?」
と聞かれて、正直に答えてしまう方向け。

みんながいる場所で、誰かがアドバイスを求めてきた。
しかし、「本音」を口にしたら、その場が凍りつきそうだ。というとき。

たとえば、オーダーメードのスーツを買ったばかりの同僚。
「このスーツ、どうかな?」と聞かれたら、正直に答える必要はない。
相手はあなたに意見を求めているわけではないからだ。

「格好がいい」と褒めてもらいたいか、センスがいいことを認めてもらいたい
のである。本当に意見を求めるつもりなら、
買う前に生地の見本をもってくるだろう。
事後のこと、つまり、今さらどうにもならないことについて
意見を求められたら、とにかく「褒める」こと。
これこそ、相手が本当に求めているものだからだ。

言葉ひとつで命を落とす。

本書は、私たちが日々の生活や人生の中でめぐりあう
「人間関係」の「重要な局面」に焦点を当てている。

「重要な局面」というのは、「些細な言葉ひとつで、
“得られるパイの大きさ”が違ってくる
ような場面」のことだ。

決定を下すときの動機3つ。

  • A. 気持ちがよいから
  • B. それによって、自分がよく見えるから
  • C. よい行いあるいは正しい行いだから

怒り、悲しみ、嫉妬、憎しみ、無力感などの感情は
自尊心や主体感覚に集約される。

人は誰かの行為によって、自分でコントロール力や権限を
奪われてしまうと、多少なりともムカッとくる。

しかし、自尊心が低い人は、日頃から、
自分には人生をコントロールする力がないと思っている。
だから、誰かがやってきて、ごくわずかしかない
主体性や権限に加え、彼らのコントロール感覚までを
取り上げようとすると、「ふざけるな、それは私のものだ」
と反発し、すぐつっかかったり、キレたり、暴言を吐いたりするのだ。

自分で人生をコントロールできていると感じている人は、
自尊心があるので、怒りをあらわにすることはない。
自尊心が高ければ、思いどおりにならないことがあっても、
そうそう腹が立たなくなるからだ。

さらに、「自尊心のない人は、自分を心から愛せない」と前述したが、
彼らは、「自分を愛せないがゆえ、人から尊敬や愛情を与えて
もらおうとする」のだ。そうやって、必死に自尊心を高めようとする。

自尊心の低い人は神経過敏で傷つきやすいのだが、
それは「他者からどう思われているか」によって
自己評価がころころ変わってしまうためだ。

自尊心が高ければ、「人からどう言われようと、自分は自分」
と思えるので、ちょっとしたことでは傷つかずにすむ。
皮肉なことに、自尊心の低い人は、人から尊敬されようとして、
自慢話をしたり、偉そうな態度をとったりする。
また、すぐに人の噂話や批評をしたり、相手を振り回したりする。

しかし、人を悪く言う人や、周りから認めてもらおうと必死な人を、
誰も尊敬しないし、むしろ見くびられるばかりで、
なおのこと自己嫌悪に陥るはめになる。

誰とでもうまく関係を築くポイント

あらゆる状況において、まず
相手に主体性をもたせてあげることだ。
心が傷つくと人は守りの姿勢に入るが、
怒ると自我が高められ、失われていた自己やコントロール力が
戻る感じがする。しかし、それは単に自分の「脆弱さ」に対する
防衛機能が働いているだけにすぎない。
そのため、怒ったところで真の満足感は得られることはない。

「難しい人」というのは、なかなか他者を許すことができないし、
不当な扱いを受けると「防御態勢」をとる。
それは、自分自身を相手に差し出すのが怖いからだ。
人を信頼する、尊敬する、許す、というのは、
自分の心の中をさらし、相手に惜しみなく分け与えることだ。
したがって、相手に「与える」となけなしの自尊心まで奪われた気がしてしまう。

そこで、心理術の基本は、相手が自由と主体性を手に入れ、
「自尊心の蓄え」を増強できるようにとり計らうことだ。

第三者経由で「好意の互恵性」を伝えたり、
謙遜しつつ、褒めてから頼み事をしてみたりしているうちに、
人の提案をやんわり却下したい時は

  1. 相手の案の「素晴らしいところ」を二つあげる
  2. しかし、やはり「自分のやり方のほうがいい理由」を一つあげる
  3. 相手のおかげで、別のいいアイデアが出せたと感謝する
  4. 次回、他の案件で相手の意見を求める

批判を真に受けない。

相手があなたに失礼なことを言うのは、
尊敬されたいからだ。

意見を受け入れてもらって、自己満足したいのである。
否定的な批判をすることで、その欲求を満たそうとしているのだ。
そういう人間にとって、他人を落ち込ませるのが自信を得る一番の近道だ。
しかし、それは錯覚にすぎない。

気分を害さずに意見を通す。

その人の問題としてではなく、「自分の問題」にする。
まず相手の「そのやり方」に感心していることを告げ、
そのあとで、「ちょっと思いついた」、あるいは「気が変わった」ので、
相手に違うやり方を試してほしいと伝えるだけで、
相手は見違えるように変わる!

相手の対応が変化する魔法

正しいか正しくないかを問題にするのではなく、
単に相手に「お願い」をしてみる。

       (~中略~)

これなら、相手も何か「いいこと」をした気分になれる。
議論に負けたのではなく、あなたの頼みを聞いてあげたのだから。

相手のやる気がそがれる、意外な結果

ある実験によると、自分の行動を金銭などの報酬によって評価されると、
同じ行動をもう一度したいという欲求が薄れていくという。
この手の外面的報酬が動機になると、
内からわき上がる欲求が失せてしまうのだ。

先手を打って、未来の状況を真っ先に説明してしまう。

いったん主導権を握ると、
自分の力を主張する必要がなくなるため、
相手は十中八九、公平でバランスのとれた決定を下すようになる。

交渉では、勝つためにあえて放棄する。

先日、ジョンは友人と二人でドライブ旅行に出たが、
そのせいで車にガタがきてしまった。
修理代を友人にもいくらか負担してほしいと思うのだが・・・・・・。

ジョン
「なあ、ちょっと話があるんだけど・・・・・・、
俺たち親友だよな。
こんなことでギクシャクしたくなくてさ。
おまえは公明正大なヤツだけど、俺はたぶんそうでもないから、
おまえに任せるよ。この間の車の修理代、自分で適当だと思う額だけ
出してくれれば、それでいいよ」

これでもう友人には勝ち目がなくなった。
思いどおりに金額を設定できるが、逃げることはできない。
ジョンは友人にコントロール権を与えることで、
彼から「勝つ機会を奪って」しまった。
一方、友人にしてみれば、それなりの金額を払えば、
まるで自分がとってもいい人のように感じる。
けっして、議論に負けたから渋々払うということにはならない。

相手のショックを軽くするテク

たとえば、妻に電話するのをすっかり忘れてしまった夫は、
妻にこう言った。

「帰宅するときに電話を入れるのを忘れただけじゃないんだ。
今日は会社で上司と打ち合わせが入っていたのも忘れてしまって」

こう言うと、「自分だけが損害を被ったわけではない」ので、
相手の気も楽になる。

大げさに見積もる演技力。

自分に厳しくすればするほど、
状況を深刻に受け止めれば受け止めるほど、
相手はあなたに甘くなる

2008年8月 1日

ドロップ

drop.jpg どんな立ち位置に
するのか?

中学時代を生き抜くポジショニング、
笑いあり、涙あり、切なさありの処世術が
物語を通してサクっと読める。

達也のお父さんが、すっげぇいいキャラしてる。