2008年9月 2日

スカイ・クロラ

スカイ・クロラ ループする日常に
風穴を開けろ!
そこから抜け出せ!

レシプロ戦闘機による空中戦は爽快そのもの。

映画から読み取るメッセージを噛みしめたい方は
押井守さんの最新著作、『凡人として生きるということ』を事前に読んでおくと吉
(以下、引用文は同書から)

若さに絶対的な価値があるのなら、
彼らこそ人間の理想の姿になるはずだ。
彼らは永遠に続く青春を謳歌することができたはずなのだ。
だが、そうはならなかった。
彼らは大人になれないという残酷な運命の中で、
もがき、諦め、苦しむ。

観終わった直後、あるいは観ながら。
観客に考えさせ、観客の中にしか映画のメッセージが
存在しないことを気づかせてくれる。

美化された思い出に逃げ込まず、今を生きる。

現実には人は年を取り、青春は失われる。
だからこそ人は、それを惜しむ。
青春はいつか記憶の中だけできらめく
過去の遠い思い出になる。
そうなって初めて、人は失った若さがかけがえないものだったと思う。
つまり、若さの価値とは、
記憶の中だけにある幻影のような
ものでしかない。

しかし、美化されずにいた過去は、
それほどまでにまぶしく輝いていたか。

若さゆえに苦しんでいる若者を、
僕はたくさん見てきたし、
僕自身もそういう若者のひとりだった。

見た目からはわからないが、失敗することの価値が
見抜かれないまま、無難に年をとっていく。
それは、年を重ねる。一歩一歩経験を重ねていくことと同義ではない。

若者には分別がない。
だから若者は無鉄砲だった。
それを価値と呼べるかどうかは分からないが、
「若気の至り」という通り、 少なくともかつての若者は後先考えずに行動した。

今の若者はそんな無鉄砲さも失ってしまったかのようだ。
分別がついたのではない。
分別がつく、オヤジになるということは、
物事の判断ができるようになるということである。

昔の若者は判断できないから、何でもかんでも、
無分別に手を出し、挑戦した。
それで何度も失敗し、そこから学んでいった。
今の若者は無判断なのは同じだが、何に対しても手を出さなくなった。

これでは、学ぶ機会さえも自ら放棄してしまったも同然である。
すると、彼らは一生オヤジにもなれず、年だけは取っていくのに、
中身はいつまでものっぺりとした若者のままでいることになる。

継続は力なり。というメッセージ。

僕が言いたいのは、仕事であれ、恋愛であれ、どんどん失敗せよ、
ということだ。
そして失敗をしたら、敗因をきちんと分析することだ。
二度と同じ過ちは犯さないようにする。
それでも次の勝負には、違う敗因で負けるかもしれない。
その次も、また違う理由で負けるかもしれない。
だが、何連敗、何十連敗してもいいではないか。
何度負けても、勝負を続ける限り、 いつかきっと一勝できる日はやってくる。

そして、少しずつでも勝ち星を増やしていけば、
最終的に人生の星取表を勝ち越しで終えることはできるのである。

結局は死ぬまで 勝負を諦めなかった人間が、
最後には笑うことになるのだ。

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