“後知恵”を
信じるな!
冷静に俯瞰するための最新行動経済学、
“感情の経済学”
真っ先に自分自身を疑え!
誰も信じられない、世知辛い世の中だが、
自分の脳ミソが一番信用ならない。
ギャンブル好きは論外としても、
まっとうな生活を送っていると思っているあなたが、
気付かぬうちに、日々ギャンブルをしていたとしたら?
自分が信用できなくなるテスト付き。
お金と経済の本音を、コラムと教訓、
心理学の視点で切り取る。
あまりに合理性とはかけ離れた人間的経済観。
信念と偏見、自惚れのコンピューターを通すと、
まったく非合理な結果が飛び出す。
そこには数学理論、経済理論なんて微塵も顔のぞかせない。
抜け目なくリッチに儲ける。
儲かっている時こそ、働け!
価格設定のトリックと使い方を学んで、
騙されないような自分に仕立て上げる。
売上げを上げるために悪用するならば、
お客さんの葛藤をブチ破り、“選ぶ理由”を与えてあげる。
結果は同じでも、
「してしまったこと > しなかったこと」
で、後悔の度合いが違う。
客商売なら、その隙を突けっ!
愛すべきあなたのオンボロ・コンピューターを騙すクイズ。
身近な話題、例えば・・・
P.22
あなたは前から目をつけていた携帯電話を買いに行く。
行ってみたら値段は9,000円だった。
代金を払おうとしていると、歩いて10分の
「あっちの店では同じ製品を8,000円で売ってるよ」
と友だちに耳打ちされる。
さてどうしますか? 安いほうの店に駆けつけますか?
P.22
今度はテレビが買いたくなったとする。
ある店では19万9,000円の値札がついていた。
例の友だちが駆けつけて、歩いて10分の
「あっちの店では同じ製品を19万8,000円で売ってるよ」
とささやく。
さてどうしますか? 安いほうの店に走りますか?
脳が、使うお金の範囲をランク付けして
分類していたことに目から鱗。
人間がちょいちょい、エラーを起こすワケ。
P.78
簡単に無意識に認知できる方法で、
複雑な問題もときには、「手軽に」完璧に
解いてしまうが、はずれる可能性もそれだけ大きい。
P.81
過小のものから過大な推論をしてしまうのだ。
たとえば株の素人は(いやプロだって)、株価の動向は
実際以上に予測できると思いがちだ。
まったく偶然に推移したものが私たちにはそう見えなくて、
あるモデルに従って推移していると解釈してしまう。
そのモデルに特別な意味や自分で見越した価値を付与してしまうのだ。
そんな意味が巣くっているのは、手もとのデータのなかではなく、
私たちの頭のなかだけなのに。
私たちは、統計的サンプルが少なくて判断が不可能な場合でも、
とにかく一般化しようとする。
P.83
私たちは「平均値への回帰」の法則が正しく適用できなくて、
あてにならない直感に頼ってしまう。
だから予測が予想屋のそれのようになり、平均値から逸脱してしまう。
このようにして実際にはないことを
みんなそろって考えるようになったとしても、不思議ではない。
たんなる偶然でしかないことに
多大な意味を付与するという癖が、
いつまでも抜けないのだ。
世でまかり通っている与太話。後出しジャンケン。
P.83 【後知恵】
何か事が起こってから、後でその原因に言及すること。
事前には予測すらできなかった事象が、
事後には必然であったかのように
判断する心理的バイアスのひとつ。
「自動車事故を起こしてしまった。もっと慎重に運転していれば
よかった」。 一見、「正しい」原因のようにも読めるが、
その真偽を深く追究することもなく、そこで
「思考停止」してしまう。
自分や他人の行為に対しても、スポーツの結果に対しても、
普通によく展開される推論。
質問や問題、現状の提示のされ方によって、選択結果が異なる。
P.98 【フレーミング効果】
これを投資の場合にあてはめれば、
確実に得をする確率が高いときには慎重になり、
確実に損をする場合は余計にリスクを負うということだ。
これはギャンブラーによく見られる現象で、
もうすぐ終わりというときに損をしていると、赤字で終わらせないために、
賞金は高いがリスクの大きい賭けに出てしまう。
悔しさを味わわなくて済む代償。
P.113 【後悔回避】
現在および将来における「後悔を嫌い、避けたい」
という人間の信念が、意思決定に大きな影響を与えている。
人は短期的には失敗した行為のほうに強い後悔の念を覚えるが、
長期的にはやらなかったことを悔やんで心を痛める。
マーク・トウェインの次の格言がそれを裏づける。
「20年たてば、したことよりも
しなかったことを嘆くようになる」
いつでも1円は1円、100円には100円の価値があると
どんな場面でも言えるか? 悔しさのバイアスに打ち勝つ。
P.117
要するにいろんなケースで、後悔したくないから
決心を後まわしにし、自信がないから縮こまって、
現状を変えることができても変えようとしない。
選択しないでいることも
それなりの選択であること
には気がつかない。
自ら手間をかけて、単位を置き換える。ラクをしない。
P.165
新聞やテレビの報道を見るときに、各種の統計数字については、
母体数がどれだけかを確認し、
%表示であれば実数に、
実数表示であれば%表示に、
置き換える頭をもとう。
そうすれば、最初に受けた印象と異なり、騒ぐようなことではない、
とわかるかもしれない。また、%表示を見たら、
残りの%が何なのかを問いかける
ことで、事の本質を見抜く眼をもとう。
プロの皆さんは、より慎重に。そして完璧の高みを望むなら。
P.167
測定が完璧になるような判断をする人は、
正反対で左右対称の二つのエラーを犯さない。
つまり、自分の仮説が正しい確率を、
過小評価も過大評価もしないのだ。
人びとが適切な判断を示すかどうかを研究する場合、
調査は広範囲に渡っておこなわれる。
(金融分析、ギャンブル、法律上の評定、臨床心理学、気象など)
大方のところ、適切な判断をくだす人はきわめて少ない。
いちばん多いのは、自分の仮説の信憑性を
つねに過度に評価してしまう例である。
エキスパートの判断は、ときに深刻な問題になることがある。
控えめな行動をとるべきだと直感でわかっていながら強行し、
困った事態を招くことがあるのだ。
たとえば金融界では、経験豊かな人ほど、
過大評価を抑えるどころかさらに高めてしまう。
真のエキスパートほど慎重な判断をするものだが、
自分の職業的能力の高さについては、
プロほど過大評価する傾向がある。
過信を抑えるには。
P.173
問題は、自分についてどれだけ知っているか、
ということなのだ。
それもとくに、知っているつもりでいること、
知らないということを
知らないでいること
なのである。
(~中略~)
たしかに私たちは何もかも知ろうとは思わない。
しかし自分の
知識の範囲は自覚しておくほうがいい。
ある選択が適切かそうでないかの違いは、
まさにそこを参照点とするからである。
人垂らしの処世術。
信念を揺るがした方が良い成果を得るのか、それとも一時の快楽に浸るか。
P.178
「意見を変えるか、その必要はないか
の選択に迫られたとき、ほとんどの人が必要はないと考える」
つまりほとんどの人が、自分の信念を「イエス」と言ってくれるものを
好ましいとし、その反対のものは疎んじるわけだ。
私たちの多くが自分の政治的信条にそった新聞を読むのも、
その一つの現れである。
要するに、間違っていると言われるより、正しいと言ってもらうほうが
気持ちがいいのだ。
予測の無意味。「そんなの初めから分かっていたよ!」
という輩に対抗する技。
P.186
これから起こることを予測するのと、
すでに起こったことを解説するのとでは、大違いである。
あとから解説するのはだれだってうまくできるし、自信も満々だ。
証券アナリストの腕はその点で抜群である。
(~中略~)
予言者より歴史家のほうが多いのもそのためであり、
試合の結果に賭けて暮らすより、
スポーツ解説者として稼ぐほうが楽なのもそのためなのだ。
(~中略~)
前もって知っている情報があったのだから、
すでに起こった出来事も予測できたはずだと、
まっちがって思いこんだりする。
(~中略~)
そこであなたに入れ知恵したい。
次に新たな報告書を出したり経営会議に臨んだりするときには、
目の前にいる人に、これから説明する分析の結果がどんなものかを
先に推測してもらうのだ。
うまく行けば、そこでの結論の独自性を示し、
それが最初の直感とはどんな風に違うかも、
容易に示すことができるだろう。
情報を鵜呑みにしない。出所を疑う。
P.205
情報のほとんどは、いいかげんだったり、古かったり、
信頼できないものだったりする。
なぜなら、情報は確実な手がかりであるより、
風評であることが多いからだ。
情報が操作できるという錯覚を持つと、
重要でもない情報を重要視し、それに対して過剰な反応をしたり、
過度な行動に出てしまったりする。
復讐の醍醐味
P.242
事実私たちは、社会的な約束を破った人を罰することが大好きで、
そのために自分が得などしなくても、
それどころか約束を破ったことよりもっと高い代償を払うことになっても、
それでもへこたれずにその喜びを追究する。
するべき行動をしない、誠実で正しい行動をしない人を懲らしめる喜びを、
たとえ大きな犠牲を払おうと、あきらめようとはしないのだ。
自分の利益を最大限に引きだそうとする
経済的で利己的な計算などどこへやらである。
なぜ、こんなにもお金が好きなのか?
えっ!? 好きじゃない? またまたご冗談を・・・
振り込め詐欺に引っかかる理由が、分からなくなる。
お金は数値だけど、数字の羅列ではない。
P.288
お金の価値はそれで買えるものによって決まる、
と通常考えられている。
つまり、お金で手に入れたものを持つ喜びの程度による
というわけだ。
しかし、神経生理学から見たらそうではない。
それどころかお金は、それ自体が喜びになるのだ。
実際、お金が線条体の下部皮質を活発にする
「喜びのドーパミン系回路」は、食べ物やドラッグ
(それもとくにコカイン)による興奮の場合と変わらず、
その場でじかに満足感を与える種類のものである。
(すでに大金持ちである人でも、麻薬中毒のような中毒症状、
いわゆるワーカホリックにはまってしまう理由がここにある)
お金がそれ自体喜びであるなら、
お札を手放すことは苦痛に違いない。
さもなかったらどうしてクレジットカードという
プラスティックのお金を使ったり、ADSLをカード払いにしたり、
全額込みのパックツアーを選んだり、
その他もろもろのじか払いの苦痛をなくすシステムを使うだろうか。
財布を開けてお札を一枚一枚数え、そのあと彼らと別れるときの
つらさは、華やかなプラスティックカードを差しだすときの苦痛とは、
くらべものにならないものだ。
ウェブ担当は現金主義。クレジットカードやスイカ(パスモ)で
精算した時は、その履歴を一回一回書いて、把握している。
お金の計算が苦手な人は、このクイズをやってみて。
(ヒントはページ下部に)
P.305
サッカー用の靴一足と
ボール一個を合わせた値段は110ドルである。
靴はボールより100ドル高い。
ボールの値段はいくらか?
もう騙されない! 惑わされない!
深呼吸して脳のシステムを落ち着かせる。
クールダウンが肝。
P.314
困ったことになるのは、
私たちがものを知らないからではなくて、
知らないのに知っているつもり
でいるからだということが理解できたことだろう。
エラーを減らすためにエラーを認める
ということは、この世の生き物が持たない認知能力を持っている
つもりにならないで、
自分の限界を正直に認めるということだ。
それはまた、日々の感情がうまく解決したように見えるいろいろな
ケース(なかにはおもしろいものもある)を研究し、
罠を見つける術を身につけ、責任ある経済的および社会的選択を
きちんとこなすということなのだ。
それができれば、私たちの感情的弱みにつけこみ
合理性の限界を利用して、
密かに利益を引きだそうとする輩の餌食にもならないで済むだろう。
クイズのヒント:10ドルではない。
数式にあてはめると簡単に解けるけど・・・
答えは本書の中に。