他力本願 仕事で負けない7つの力
映画の格は「時間」と「世界」で
決まる
精神的に“リッチな映画”創りを目指す押井守監督が、
「映画とは何か?」という疑問を通して、仕事の本質を語る。
押井さんがコミュニケーションの重要性に気付くまでに経過した、
独自の紆余曲折、迷い、悩みの過程が紹介されています。
マニュアル本を読んだだけで、身体と脳がすんなり理解できるワケもなく、
我々は経験を通じてしか、アウトプットできない生き物である。
集合知としての映画創りを模索する氏が、
ひとつの方法として「劣化=変化」を楽しむ仕事術、統括術のまとめた本書。
数多く別案、別アイデアを提案することに、自分以外の可能性を見出し、
有能なスタッフの条件と位置づける。
組織のマネジメントをしたり、部下や外部と連携する、
人と人との中継点で指示を出す職種についている方、
映画を創りたいと思っている人にオススメ。
意識する人と、流される人。習慣の差異。
本質を知ることが、イノベーションに繋がる。
P.17
僕は何事においても、常に本質的に物事を考えるように努力している。
なぜなら、いつもそのように物事を考えるようにしないと、
どんどん仕事が本質から離れてしまい、
いつの間にか、自分が何をしているのか、
本当は何をしたいのか、
が分からなくなってしまうからだ。
アクションシーンは、観客にカタルシスを与えるサービスだと言い切る。
時間を伸縮自在に操り、同時に精神的な奥行きや広がりを持たせるために
スケールを演出する。
P.18
「時間」を支配できることこそ映画作りの醍醐味P.20
奥行きのある「世界」が、画面の外にある物語まで語る
映画の価値は監督それぞれ。その価値を認められるかどうか。
P.30
「原作が大ベストセラーだから、きっと当たると思う」
などという理由では、僕は映画化の価値はないと思う。自分で「この作品は世に問うべきだ」という確信があり、
それを他人にも説得できるかどうか、
それが大事なのだ。説得できなければ「原作がヒット作」などという理由を使って、
「きっと儲かるに違いない」と出資者を説得するしかない。
そんな志の低い映画を僕は作るつもりはない。
何のため? 誰のため? どうして今?
「大人の事情」が入ってきた時のための予防線としてのブレない軸。
P.42
企画を詰めていく段階で、
“この作品は何のために作られようとしているのか”
“誰のために作られるべきなのか”
“どうして今、世に問われようとしているのか”
という部分、要するに作品の哲学を、しっかり固めておきたかった。制作の途中で道に迷うようなことがあったら、
いつでも戻ってこられる場所を作っておきたかったのである。
3DCGでは、リアルな表現に近付ければ、近付けるほど偉い。
などといった信仰があるのは確かであって・・・
それを目的にしてしまうと、メッセージが曖昧になってしまう。
P.55
僕が強調しておきたいのは、「世界をリアルに描く」こと自体を
僕は目指しているのではない、ということだ。「リアルに描いたことで得られる表現の幅」
を目指しているのであって、「リアルな描写」はその単なる手段に過ぎない。
下記作品から、押井監督が言っているコトを掴み取ろう。
- 『機動警察パトレイバー the Movie』
- 『機動警察パトレイバー 2 the Movie』
- 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』
- 『イノセンス』
- 『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』
実写撮影と、アニメのロケハンの違い。
P.59
アニメーションのロケハンは、
その場所で何を感じたか、
という点が重要になる。アニメーションというのはつまり、制作者が体感した記憶を、
再び絵にして再現する行為なのである。
実はそれだけでは不十分である。
妄想力が必須であると続ける。
それは地に足の着いたベースを基にした妄想である。
キャラクターに魂を吹き込む方法。
P.77
観客にその人物へ感情移入までさせるにはどうしたらよいか。
これが、人の手が描いた絵で世界を表すアニメーションの
究極の目標でもある。それには二つの方法がある。
キャラクターを初めからリアルに描く方法と、
キャラクターの動きをしっかり描く方法だ。
パトレイバーの後藤隊長や、攻殻機動隊のバトー。中年男性の片想いが、
巧みに表現されていたのに。
最新作『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』ではキャラクターの
動きをしっかり描く表現(その代わり、人物はリアル表現ではない)を
使ったせいか、脚本家がいつもと違ったせいか、
恋愛の深みが表現されていなかった、映像としてのカットはあったものの、
もどかしさが伝わってこなかったのは残念でならない。
それにしても、止め絵で堪えうるほどリアルに描かれた人物のほうが
感情移入できたのは何故か?
それは、動くモノをリアルに観ていない。細かく観ていないのではないか。
表現する側が「キャラクターの動きをしっかり描いて」いても、
動くモノとして、脳がある程度補完してしまうので、
観客側は、動きの全てを拾って観ていない、のではないか。
もしかしたら、インプットする情報量が圧倒的に増えている現代では、
情報の補完化が急激に進化したために、
リアルではないキャラクターには、感情移入できなかったのではないか。
キャラを動かし、描写を簡略化したことは、間違いだったと思う。
それ以前のリスクヘッジ法は、結局、最善策だったのではないか。
(その最善策も、今回のように逆のパターンがなければ、
最善と判明しないのだが・・・)
理想論ではなく、現実を見る。
P.77
僕はどちらかというとこれまで、キャラをあまり動かさない監督だった。
キャラを動かすという事は、それだけたくさんの原画を描かなくてはならないし、
スタッフの力量によっては破綻する可能性がある。
その方法はかなりリスキーだ。僕はよく映画制作を戦争に例えるのだが、机上演習によるシミュレーションでは、
この方法は負ける可能性が高いと判断してきたのである。それで、「キャラは動かさなくてもいい」という指示を、
これまでもよく出してきた。途中で投げ出すくらいなら、
初めからやらなければよい。
その見通しが大切だ。
毎日が訓練の場。日々積み重ね。
P.138
同じ量の仕事をしていても、意識して取り組む人間と
そうでない人間との間には、少しずつ差が生まれ、
それが蓄積していくものなのである。ムダな仕事というものは存在しないが、
仕事をムダにしている人はいる。
楽しく努力できれば、継続に繋がる。
P.140
演出というものはほとんどがテクニックの積み重ねなのだと
分かってもらえたのではないだろうか。
センスや感性などというものは
最後ににじみ出るもので、
基本は技術の蓄積である。
自身で納得のいかない『うる星やつら オンリー・ユー』公開後、
宮崎駿監督にもボロクソにけなされ・・・
自己評価が低かったワケ。何が足りなかったのか。
P.234
自分の才能はこんなものじゃないはずだ。僕はそう思おうとした。
原作者やファンや配給が褒めてくれても、
自分が納得できなければだめなのだ。
同時上映作は相米慎二監督『ションベン・ライダー』で、
これほど身勝手な映画はないと思ったが、
だけど映画としては数倍面白かった。明らかにこれを作った相米慎二という男が
スクリーンの向こう側にいる
と感じさせる作品だった。彼の自信が映画に現れていた。
それは、彼以外の誰も作れない作品だった。それは他の作品にも言えることだ。『勝手にしやがれ』にしても
『ブレードランナー』にしても『2001年宇宙の旅』にしても、
それを作った人間の「どうだ」という快哉が
聞こえてくる作品であり、そういう作品が歴史に残るのである。
虚構は現実より真実を語る。
P.241
虚構に真実がないというのは、それこそウソだろう。
湾岸戦争の報道など、現実のようでいて実はアメリカの都合による
虚構の映像ではなかったか。戦争の真実は、戦争の悲惨さ過酷さは、
実際に戦場に立った兵士にしか分からないはずなのだ。僕はドキュメンタリーなど
最もいかがわしいと思っている。
真実に対して、ドキュメンタリーとエンタテインメントと
どちらが真摯に向き合っているだろうか。
3年間、仕事を干された末に気付いたコト。
P.243
僕は全然分かっていなかった。
自分の主張だけ貫けばいいというものではない。
自分の正義だけ声高に訴えていれば
良い仕事ができるわけでもない。大事なのは、相手の言い分に耳を傾けるということだ。
相手の要求を満たしながら、その上でなお、
自分の要求も満たしていくべきなのである。
お気に入りのミュージシャン、アーティスト、作家、
監督、マンガ家、等々が有名になってしまうと、
昔の作品のほうが良く思えたりするのは・・・
P.247
世の巨匠たちが晩年になって
駄作を発表するようになるのは、
才能が枯渇したからではないと僕は思う。偉くなって、人の意見を聞けなくなったからなのだ。
誰も意見をしてくれなくなるからなのだ。
人の話は聞かないわ、周りはイエスマンだらけだわ、で。
巨匠たちの病は、本人が気付かぬところで進行してゆく。
流行の先端(といわれる場所)
P.250
絶えず時代の先端にいて、その空気を吸っていないと
感性が養われないとか、鈍ってくるとか、
そんな言い方がなされるが、それは本当だろうか、と。渋谷や六本木に住んで、それでいったい何が分かるというのだろう。
物事の渦中にいる人間というのは、むしろ外で眺めている人間よりも
鈍感であることが多いのではないだろうか。
愛犬との出会い、別れが教えてくれた大切なこと。
P.254
別れを恐れて出会わなければ
人生は何も始まらないように、
僕らはしょせん出会いと別れを繰り返す存在なのである。最近の若い人たちは、別れを恐れて出会いを避けるような傾向が
あるように思うが、傷つくことも大事な人生の要素である。
人生の実相とも言える、そのことを今の僕なら
嫌味なく彼らに伝えられるかもしれない。
近ごろはそういう気がしている。
物事を一歩引いて観察する力、
日常生活には出会いが溢れていること、
日々研鑽すれば、いつかは未来が開けることを本書は語っている。
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