2008年11月24日

案本

案本 アイディアは
すべて
コミュニケーション

アイディアの源泉は経験にあり。

書籍としての体裁をなしていないので、
本を読むというよりは、話を流し聞いている感じに近い。
経験が何より大事、と知っているなら、
ページ数を余白でごまかすような本書を読む必要はない。

ブレインストーミングをやったことが無かったり、
これまでにアイディア出しというものをしたことが無い人向け。

「経験資本主義」「経験した経験」をキーワードに、
選ばれるアイデアの原資を探る。

イメージ同士の結びつきから着想を得るには、
経験と想像力が大切。見ようとする作業を怠らない。

経験するために経験する

ド真ん中と、その軸に付随する結び付きを表現できれば、良い案となるが。
結び付きを思い付くには、脳のシナプスを結合させる必要があり、
そのベースはやはり経験である。

積んだそばから消えてゆく経験、
脳を動かさないと、その出来事は思い出になるだけ。

問題を解決できるものこそ、経験と呼ぶに相応しい。

合理性からは生まれない、
経験価値のデータベース
自分から拾いに行く、かけがいのない瞬間に事前の計画性は無い。

簡単に手に入れようとする時に注意する、
疑似体験としての経験に潜む落とし穴。

経験を得るためには、人を嫌いにならない技も活用する。

著者、山本高史さんの言葉を借りると、
芸術も広告もデザインも文章も音楽も、
選ばれてナンボ

ただ漠然と生活して、僅かながらの経験値を細々と貯めるより、
何をどう経験しておけば良いのか、あらかじめ意識して積極的に蓄積しておきたい。
じゃあ、具体的にどうするのか?

日々、のらりくらりと過ごしていても、蓄積されない。
動物と人とを隔てるもの。

P.13
経験は、だれでも生きているだけで、できるものだと思っていた。

しかし経験は、だれにでも黙っていても与えられるものではなかった。
与えられるものですらない。
自分の意思で経験するのだ
ため込むのだ。実は経験も能力だったのだ。

あなたのアイディアが誕生直後に晒される出来事を、
身も蓋も無く言い表すと、こうなる。

P.36
このくそ忙しい中、わざわざ時間を割いて、
おまえの提案を判断してやっているのだ。
どのようなベネフィットをオレに提案しようとしているのか、
わかりやすく手短にやってくれ。

             (~中略~)

彼らは、判断に際して、
自分が首を縦か横に振るだけの状況を要求する。

自分が労働することなく、つまり、頭を働かせたり
時間をかけたりすることなく、「理解」できることを要求する。

「理解」できない提案に対する仕打ちは、非道く冷たい。

少しだけ話は逸れ、歴史について著者が後悔している視点。
歴史から何かを学び取るとき、
「消えていった価値」「紹介されなかった選択肢」も意識したい。

P.44
歴史という学問の弱点は、「価値を選ぶ」ことを学ぶのではなく、
「選ばれた価値」を学ぶこと。

その場にいなかったことに、存在しなかったことにされる、
選ばれない恐怖

P.59
コミュニケーションの送り手である自分なんて、
年に数十回かるかないか。
その他の何億(推定)のコミュニケーションでは、ぼくもきみも受け手だ。

その視線って、どうだったっけ?
結構、キビしいんじゃないの?

             (~中略~)

選ぶ人間にしてみれば、アイディアを提案してくるのは、きみだけではない。
他にいる。たくさんいる。
きみがいなくなっても、彼らは困らないし
世の中としても影響はない。
選ばれないということは、捨てられること。

今さら説明するまでもないが、もう再確認しておこう。

P.86
「経験する」とは、「なにかに遭遇して、それをきっかけに脳を動かして、
脳に記憶として残すこと、蓄積すること」

文字面はそんなに違わないが、積極性が違う。
経験は自分から脳を動かして、脳に刻むのだ。
忘れ去られるようでは、思い出ですらない

経験とは、「イタリアへ行って、なにとなにを見て、なにを買って、
なにを食べた」ことではなくて、

             (~中略~)

そして、「どう感じたか、なにに違和感を持ったか、なにに感動したか、
それはなぜか、なにを発見して、どんな感想を持ったか」
ということである。

内田樹さんは言った。
自分自身を理解したかったら、自分の欠点を見ると、知りたいことに
早く到達できるのではないか? と。

ネガからの視点で、宝を発掘するのは、何にでも当てはまる
重要な方法なのかもしれない。

P.119
広告にはネガがない。
基本的に、ネガを表に出さない。
人生にダークサイドなどないことになっている。

だから、ネガが出てこないのなら、
ぼくらはポジのデータベースからのみ発想しなければならないのか?
そんなアホな

自分の主観を過信しない。

P.138
1978年だったか、来日したデヴィッド・ボウイのインタビューに、
前後の話のいきさつは忘れたが、

「たとえばだれかが、ある態度を私に見せたとしても、
それは彼の全体像に関しては
ほとんど意味を持たない
なぜなら、彼は何万面もあるミラーボールのような存在で、
たまたまその鏡の1枚に光が当たって、それが私に届いたにすぎない」

というふうな(あやふやですみません)コメントがあったのを覚えている

脳内経験、疑似経験を受ける時、あまり考え過ぎると・・・

P.148
経験のきっかけとなるものが、あらかじめ
だれかの価値観を経ている
ものだから、常に批判的な修正を心がけないと、
思いもせぬ偏見に影響されている可能性もある。

それを避けるためには、やはり疑似経験の数をこなすことになるのだが、
もともと楽しみで読んだり見たりするものが、数量、質の判断、
作品への冷静な視線などの条件を課せられると、
「なにしてることやら」
と、所期の目的を見失ってしまうことになる。

経験と思考のループは、
漠然と生活していると、得られない。

P.152
考えることは、経験である。
その経験が、考えるきっかけになる。

脳内経験とは、「経験をきっかけに、考えた経験」である。

他の人と、同じ穴を掘らない。
「課題」×「アングル」のフレームワーク。

P.189
受け手が使わない言葉は使わずに、
だれにでも思いつくものを、想像力のきっかけにすればいいのだ。

「選ばれるユニーク」とは、だれも考えないことではなくて、
だれもが考えはするが、
だれも考えつかなかったことなのだ。

ただし、行き過ぎないように調節が必要。

P.192
想像力に夢中になりすぎて
「課題」や「受け手のベネフィット」が見えないところにまで、
伸びてしまうからだ。これこそが
「ユニークの暴走」と呼んだものの正体である。

結局のところ、各自が経験を積んで、
ブレストなり、マインドマップなりでアイディアを創出すればOK。
自分のアクティブソナーを働かせよう。

P.123
経験は、自分から拾いに行く。

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