デザインの生態学
思考する知と行為
それがデザインだ
新しいデザインの教科書
リアリティをデザインするために、3人が紡ぐ思考の痕跡
- 深澤直人 (プロダクトデザイン/プロダクト・アート)
- 後藤武 (建築設計)
- 佐々木正人 (生態心理学)
大学の先生の講義って、本当に何かを教えようとしているのではなく、
個人の趣味性を発表する場なのか、ポジションを維持するためだけなのか、
話が生徒の方向へ向いていないような気がする。
前半、佐々木正人さんのパートは、そんな流れ。
自らの説明が必要なアート
向きであり、本書では不要な部分だ。
鼎談 (ていだん)を基本にしつつ、各パートに合わせて、
司会者が入れ替わるようなカタチで進行する本書。
建築から学ぶデザイン、デザインから学ぶ建築、その2つだけが
本書のエキスかと思っていたが、巻末のカール・マルクスのこの言葉が
出てきた時点で、一気に幅が広がった。
P.269 後藤武さんの選書の中で、カール・マルクスの文言
哲学者たちは、世界をざまざまに<解釈>してきたにすぎない。
肝心なのは、世界を<変革>することであるのに
身体的知覚の定着化
接触を楽しむ行為、そのものにヒントがありそう、
時代時代で変化する洗練さの価値
を見出せる。
意識を発見する
内側と外側の張り、力の加減がアイデアのようだ。
無意識の記憶
を刺激するデザインを学ぶ。
P.116 後藤武さん
未知なのだけど既知。
その部分を発掘するということなのでしょう。
行為の痕跡
を探し、遊ぶ。
直感の正体
P.126 後藤武さん
あたかもレンズで拡大するように分析していたものを、
一気に圧縮して整理できる瞬間がある。この技術が制作の技術なのではないか、と思うんです。
拡大するテレビ画面、近寄りすぎる関係、明るすぎるモノの輪郭、
急激に発散され、あっという間に去っていく音、急激な照明、光の強さ・・・
現代人は、モノと人の関係性や
距離感覚を意識する能力が、弱まっているのか?
P.158 深澤直人さん
ものの機能や特徴による選択はできても、
他のものとの関係が読み取れない。それは選択する側だけでなく
作る側の感覚の欠乏でもある。
mixiなどのSNS、ツイッターによる情報把握にもあてはまる、
誰が何処で何をして、何を考えているか、その情報は本当に必要なのだろうか?
存在感の無いモノを求めるのは、
雑音が多い時代ならではだ、と言う。
P.160 深澤直人さん
ものをデザインすることは
関係の距離をデザインすることである。
主張の強さを調整することである。
多機能化の落とし穴
ミニマリズムって多様性を内包 (残した)した思想だったんですね・・・
単純に、削ぎ落としてシンプルになったものかと思ってた。
人間のセンサーや触角を引き込むデザイン
P.163 深澤直人さん
デザインに意味を込めようとしてもしょうがない。
この場合の意味は作者の意図の表れであるから醜いし、押し付けがましい。意味は受け手との合意によって意味となる。
(~中略~)
デザインに理由は必要ない。
デザインの意味は発生するものである。
触媒と質感
後藤武さん曰く、
縁 (ふち)や隅 (すみ)の操作によって、浮遊感が生み出せるという。
建築に限定せず、デザインやモノ創りの現場で活かせそうなテクニックだ。
3DCG、CADでの設計での注意点も語る。
不純物を濾過して取り除く。
P.221
本質的なものだけを保存するために、不純物を除去
想像力のみに頼ると、他者性が欠落するという・・・
P.236
想像力に依存しないこと。
想像力を括弧に入れ、
物質が語るこの世界に投入すること。
その中から新しさを思考すること。
巻末ブックガイド
深澤直人さん、後藤武さん、両名のみのキーワード付き解説が役立つ
P.269 後藤武さん
哲学と同様にデザインも世界と
やすやすと「和解」してはならないのだ。
研究と表現の起点は同じであったり、中庸の普遍さが理解できる。
P.282 深澤直人さん
情報は定義化されて繁殖し事実から遠ざかる。
P.283 深澤直人さん
デザインされたものやアートもそのもの単体ではなく
状況の作り込みである。
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