バランスが崩れた日本
クレバーで斜に構えた文章が痛快なブログ、hard going days
で知った、宮崎駿監督へのインタビュー
子供も大人もハマる罠の話
モノ創りをする人だけではなく、
"質の良い問い"がいかにして大人の会話に発展するか、是非知っていただきたい。
一億総消費者社会を危惧して。
――日本の将来は悲観的ということですが、
60年前の悲惨な状況から経済大国にまで成長したということを考えると、
そんなに悲観的になる必要はないのではないでしょうか?
生産者であることと消費者であることは同時でなくてはいけないのに、
私たちの社会はほとんどが消費者だけで占められてしまった。
生産者も消費者の気分でいる
というのが大きな問題だと思います。
それは自分たちの職場で感じます。
人を楽しませるために自分たちの職業で精いっぱい力を尽くすのではなく、
それもやるけれど、ほとんどの時間は
他人が作ったものを消費すること
によって楽しもうと思って生きていますね。
それは僕のような年寄りから見ると、
非常に不遜なことであるという風に、
真面目に作れという風に、力を込めて作れという風に(感じ)、
「すべてのものをそこ(作品)に注ぎ込め」と怒り狂っているわけです。
だから全体的なモチベーションの低下がこの社会を覆っているんだと思います。
サービス業に従事する人が増加してゆく問題も関係してそうですね。
現実的な女の子、かよわい男の子。大人も落ちる商業主義の罠。
バンバン消費して経済をブン回さないといけないんだけど、
そんな話じゃなくて、消費させられている貴重な資材、時間や心の話。
その年齢の少年たちは実に簡単に世の中のワナに引っかかるのです。
つまらないカードを集めたり、
つまらないラジコンの車に夢中になったり、
あっというまに商業主義のえじきになってしまって、
なかなか心の中を知ることができないのです。
上映の瞬間だけではなく、未来へ繋がる映画創り。
私はチャンバラ映画のようにワッと切り捨てたらハッピーだとか、
バーンと撃ったからケリがついたとかそういう映画を作りたくない。
それは「その時は口に甘い
かもしれないけれども、自分の記憶には残らないだろう」
という気がしています。
「自分が行ったことはないけれども、見たことはないけれども、
世界は美しいものなんだな」
と見た子どもたちが受け止めてくれるようなものが
含まれる映画を作りたいと思ってます。
過去の日本が良かったという、幻想。
では楽園はどこへ行ったのか?
「いったいどこに止まれば良かったのか」というのは、
これはずいぶん探しましたが、
結局「楽園というものは自分の幼年時代にしかない、
幼年時代の記憶の中にだけあるんだ」ということが分かりました。
親の庇護(ひご)を受け、多くの問題を知らないわずか数年の間だけれども、
その時期だけが楽園になると思うようになるのではないでしょうか。
これは宮崎駿監督自身が"男の子"であるからこう思うのであろう。
男の子はいつだって過去に縛られるのである。
社会不安、政府、行政、地方自治体、国家への不信感、麻生の幼児性から、
ナショナリズムからの解放まで。
手の届く身近な範囲から変えてゆく、ということ。
子供の感受性を高める理由、仕事に向き合う姿勢。
開き直るのではなく、
バーチャルな仕事を生業とする自分自身と、業界、
映画の存在を客観的に観る力を持っている。
こんな俯瞰的な視点を持って自分の姿を観て、
判断できれば素敵だな、と。
宮崎駿監督は大作アニメを創る力もさることながら、
人間のドロドロした欲望の部分やエゴを描写する才能も持っている。
監督自身、大人には何の期待もしていないだろうけど、
そろそろ大人向けに特化した作品も創ってくださいな、と。
やっぱり単独で描いているほーが、地が出ていて好きだ。
小説とか漫画(ナウシカの原作漫画のような)、大人の恋愛とかを是非。
(取り巻きがやらせてくれないのだろーか・・・)