横浜 ホットドッグ ジョンジョン John John

Love & Peace

Concrete Jungle の
オアシスでありたい。

Time Traveler の
休息所でありたい。

Lonesome Cowboy & Cowgirl の
道連れでありたい。

Music & Freedom


johnjohn_wide.jpg John Johnは、ホットドッグスタンドとして1971年7月にオープンしました。
開店当初からずっと同じ場所で、はじまりは1.5坪ほどの小さな店でカウンターに8席ほど、
あとは路肩に腰掛けてたり、バイクにまたがってホットドッグを食べてましたね。

横浜は様々な "発祥の地" 。ビール、パン屋、アイスクリーム、ナポリタン、新聞、郵便、テニスだって。
色々な事が始まるこの町でホットドッグを売り出して半世紀を過ぎました。

店は仲間やお客さんと手作りがベース、手伝ってくれた人達の名前はお店のどこかに今も刻まれたまま。

音楽が好きでレコードをかけてたら、音楽好きのお客が集まり。

その頃、流行っていたNIKEのコルテッツを履いてたら、
たまたま来てたキュートなお嬢さんと靴が同じだけで盛り上がったり。
もちろん、その子とのデートは山下公園、結婚式も横浜の教会で

音楽、サーフィン、ファッション、アート、カメラ、それぞれ好きな人同士が繋がっていく日々。
旅人が立ち寄り、また旅へ出ては戻って土産話をしてくれる。

僕らはキャンプファイヤーを囲むように毎日過ごしているのかもしれない。

ジョンジョンで出逢い、結ばれ、その子供が来るようになって、デートに使ってくれたり。

お客さんそれぞれの楽しみ方で、このお店を創ってくれていること。
それが何より嬉しくて、本当に感謝しています。

よく 「ここって何屋?」 と質問されます。
面倒くさいので「ホットドッグ屋」とは言ってますが、何屋かは来た時にお客さんが自由に決めれば良いこと。

逆に知りたいですね、皆さんがこの店を "どんな場所と思ってるか" を。

少し入りづらいかもしれませんがホットドッグはテイクアウトもできますから片手に持って散歩でもどうでしょうか。

旅人みたいに発祥の地を巡ったり、色々な国を感じたり、港の風に吹かれてみたりしてさ。

散歩のあとはジョンジョンに戻っておいで。
コーヒーやお酒を飲みながら、その日に見た物、感じたことを聞かせてください

社会貢献

「JVC」(日本国際ボランティアセンター)へ過去15年間の募金、 「アフリカ日本協議会」への募金、 地域障害者作業所「グリーン」への募金、 地域還元、地元業者からの仕入れ、 被災地への義援金 等

募金について

お客様、ライブをおこなうミュージシャンの方々にもご協力をいただいております。

ミュージシャンの故倉ヤスヒロさんには、投げ銭ライブでのギャラの一部を グリーンに募金していただいています。
同じくミュージシャンの鬼ころしAMI & TAMEさん、 髷詩鼓さんにも募金にご協力いただいています。
ありがとうございます。

2011年 東日本大震災義援金の御報告

John Johnの募金箱+マスターのポケットマネー 合計25,000円を 福島県郡山在住のお客様のご両親へ託し、避難場所になっている福島県本宮市 県立本宮高校 (この避難所には、福島第1原発、第2原発近隣の高岡市から避難して来た人々がいます) 「大川 様」宛に、母上様より渡していただきました。

→送った義援金で、避難所では「電子レンジ」「ガスオーブン」「スリッパ」を購入し、 「温かいお弁当が食べられた!」「パンを焼く事が出来て、美味しい!」 「避難所の床が冷たいのを避けられる!」と、喜んでいただいているそうです。 「スリッパ」は、僕達では、なかなか気が付かないですね。

John John マスターのこぼれ話 その1

1985年頃、夜中にBob Marleyの曲をかけて盛り上がっていた時。
一人で入店してきた男性がいました...

しばらくすると、彼はBob Marleyのコトがいかに好きなのかを話し始めました。
一緒に音楽を楽しんだ後だったので、すっかり意気投合し。

「つい最近、エチオピアから帰ってきたばかりで...」
砂漠の砂、一粒一粒の美しさを語りながら、
「たった200円で、木が一本植えられるんだよ!」と
涙ぐみながら、今までの経緯を話してくれました。

医師の資格を持っている彼は、
彼自身が考える、医師本来の活動に従事するため、
JVC(日本国際ボランティアセンター)の一員として、エチオピアへ赴き、
干ばつに苦しむ人達と共に、植林をしていたそうです。

その夜起こったBob Marleyの導きで、
John JohnにもJVCの募金箱を置くようになりました。

のちに、彼はJVCの代表にもなりましたが、
テーブルより現場が好きな方なので、再びアフリカへ戻り。
無理をしたのか、医者の不養生で体を壊し、
現在は、アフリカ日本協議会で活躍をされています。

そんな訳で、彼と共に旅する募金は、
アフリカ日本協議会へと送らせていただいています。

彼のおかげで、JVCとJohn Johnの関係も続き、
毎年購入しているボランティア・カレンダーには、
世界の美しさ、その瞬間を切りとった、素敵な写真が掲載されているので
都会の喧騒で疲れた心を、癒してもらっています。

John John マスターのこぼれ話 その2

やはり80年代。 来ると必ず、GUINNESSビールか、
J.W.ダントのダブルを注文する男性がいました。
色黒というより、いつも真っ黒に日焼けしている、その姿。

何年かして、我慢できずに...
「なんでそんなに1年中、日焼けしているのですか?」と聞いてしまいました。

すると...「百姓だからっ!」と誇らしげに語り。
GUINNESSをグっと飲み干しました。

田舎の方で農業を営んでいるのかと思い、場所を尋ねたところ...
「横浜でやってるっ!」との答え、それでまたビックリです。

何年か経ち、「街人たちの楽農宣言」という本を出版した彼は、
1993年に、地域障害者作業所「グリーン」を設立。

2006年には、「耕して育つ 挑戦する障害者の農園」を出版。
続く2007年は、NHKの「福祉の時間」という番組に連続で出演していました。

私だけではなく。John Johnの投げ銭ライブに出演してくれた
ミュージシャン中でも、協賛の和が広がっていったのは、嬉しい限りです。